「格言の書」30章18~19より



 「私にはわからない3つのことがある。また、私の知らない4つめのことがある。

 天をかけるわしの道
 岩をはうへびの道
 海を走る舟の道

そして、

 乙女に向かう男の道。」






 鷲には鷲にしかわからない道があり、

蛇には蛇にしかわからない道がある。

舟にはその舟を操る船頭にしかわからない海の道がある。

そして恋する男がたどるのは、乙女と結ばれた運命の糸を信ずることだけが頼りの道である。
これは当事者にしかわからない特殊な事情である。


f(^_^;)





……古来より、木を扱う者は木こりも木彫の職人もみな
「木の性を知り木の声を聴け」

などといわれてきた。


また、自然を相手に仕事をする者はみな、農夫も漁師も空や海や山の表情を読み、風の匂いを嗅ぐことができなければならなかったといわれる…。


見えないところにものを見、聞こえないはずのところに音を聴く。

こんなことがはたして可能なのだろうか?




それは、もはや普通の人間では退化してしまった直感なのか。


あるいは動物的本能とでもいうべき能力か、それとも超人的な特殊な才能なのだろうか?


近代科学の立場ならば、そんな不確実なものは実証不能にして検証不可能な

「人間の単なる錯覚の産物」
と笑い飛ばされるかもしれない。



それでもなお、近代科学の実証主義や客観主義、論理主義や弁証法的懐疑論では割り切れないこともある。

そんな世界を相手にするものこそが「詩あるいは歌」なるものの使命なのだ!!という風に言えなくもない。


古来より人間は、見えないところにものを見いだすことができ、聞こえないところに音を聴く力があったために、自分たちの生活を支えることができていたのだが、今ではどうだろうか。



逆境にあっても、それを人生の終わりだとか、この上ない不幸として苦しみ続けるのかどうかは、心一つ。

むしろかえってそこにこそ、幸福へと続く道程の始まりを感じることができるかどうか。


逆境を苦しむのも、苦境や困難な状況を愉しむということも、人の知恵ひとつでどうとでもなるものだ。


見えない未来に何を託し、今この時に何を見、これからの未来に、人はいったい何を聴こうとするのか。


人はそもそも、未来をイメージし、デザインすることで、文化をクリエイトしてきたともいえる。


人はものを生み出すことで生きてきたのではなく、ものを生み出す力そのものによって、自らを生かしてきたといえるのだが、今ではそこに気付く人は少ない。


引き寄せの法則とは、この世の中のどこかにある何かを、自分に引き寄せて入手することなどではない。


この世界そのものが、無限に想像(イメージ)され無限に創造(クリエイト)されることにより、喜びも平和も幸せも、世界とともに無限にもたらされること。




それこそが、

創造の源であり、
永遠の知恵であり、
人類の希望である。



それこそがまさしく、

愛の力。



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ハッピー・ラッキー・スマイリーな毎日であるために...Thanks Giving Awakeness...!-2012111721010000.jpg