言葉、特に書き言葉は、人の思いを完全には表現しきれない場合があります。
時として、誤解を招くことさえ、よくあるものです。
話し言葉でさえも、場合によって、意志疎通が難しいことはよくあります。
文章として形作られた思いというものは、人が実際に表現したい内面的な感情の微妙な流れを、相手に伝えきれない、もしくはおおむねのところまでしか伝えることは出来ないのです。
気持ちの微妙な流れだとか、自分自身の抱える複雑な問題など、説明不可能な精神的現象というのは、理解を共有するのが大変に困難です。
そこに愛の心さえあれば、人の思いというものは、自然に伝わり、お互いにうちとけあえるものです。
頭でいろいろと考えることより、心をこめて愛することを大切にしたとき、はじめて人間は、思いを誰かに託すことが出来るのかもしれません。
同じひとつの思いを分かち合い、仲間同士がお互いにその精神を共有するということは、愛という、目には見えない心の深奥部が目覚めるかどうかということにかかってくるのです。
人間存在の生命の核心部分は、心に秘められた愛という宝物だからです。
愛する心を共有することさえできるなら、人は、言葉の壁さえ乗り越えてゆけることでしょう。
この広い世界を超越する莫大無辺の外部宇宙を想像することよりも、人の存在の核心的な最重要価値を保持している愛という宝物を探求することこそが、現在を生きる意味であり、未来に希望を託すことなのです。