いつまでも
心に残る
愛の歌。





それぞれの時代とともに、さまざまな楽曲が歌われ、歌は世に連れ世は歌に連れ人々の心を癒してくれる。



そういう曲にはげまされ、頑張ることができた人は、どんなに幸せ者だろうか。


心からの愛を揺り動かした楽曲たちは、それぞれの時代の人の心を照らし、あたため、輝かせてくれる。



明るい希望の未来を示してくれることもあれば、暗くみじめな過去の気持ちから抜け出す力を与えてくれることもある。



その曲を聴けば、心に熱い情熱の炎がわいてくるというような歌もあり、勇気を持って生きるよりどころを見出だした人たちもいる。


言葉にしてしまうとなんだか大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当の喜びや悲しみを表現できることというのは、頭で色々考えることではなくて、心を大きく広げて前向きに生きる姿勢にこそあるのではないだろうか。





新しめの楽曲を歌ってみて気がついたんだけど。



若さってやつは、実年齢とは関係ない次元にあるんだと、引き寄せの法則を学んでいると耳にするけど。



本当にそう。



自分の気持ちが時を越えて無限の時空の流れに入っていけば、年がどうこうなんて、あまり関係はない。






永遠なのか、本当か、時の流れが無限に続くのか、などということは、わりと考える人もいなくはないみたいだけど。




自分の中に流れている時間を、無限の時空、永遠の聖なる領域につなげられるならば、若さがどうこう年がどうこうだなんて、あまり意味がない。




若いっていうことは、もうそれだけで、未来への無限の可能性を秘めているんだなんて、よく言うけど。



でも、若いということと、若いと思っていることって、実際にはかなりちがう。



若さとは、意志であって、現実の事象ではない。


若さはかたくなさではなく、やわらかさと力強さ。

うたれてもへこみつづけたりしない図太さに、若さ、つまり成長する可能性があると思う。


若さは、低反発マクラよりも柔軟さに富み、

若さは、コンビニのおでんよりもあたたかみがあり、

若さは、メタボのおなかよりも弾力性がある。




若さは事実じゃない。
心にとっての真実だ。



心に希望があるかどうかっていう、ただそれだけのことなのさ。







愛の力は心を開くんだって、さっきのZARDの曲を歌ってみて思ったんだけどさ。


いまの『関ジャニ∞』の曲を歌ってみて思ったのは、若さというのはただ若いだけじゃないってことかな。


常に前向き、絶えず新鮮、いつまでも腐っていない。

若さと幼さって、そもそも最初からちがうもの。


似て非なる、っていうか、全然方向性がちがう。


見る人の視点の違い。


若い世代が、成熟した大人といざこざを起こす典型的パターンは、お互いがそれに気付かないこと。

かわいそうなことに、彼らはお互いに、自分たちの目線でしか、互いの世代を見ない。


今どきの新しい世代は、皆同じように『上から目線』という態度を忌み嫌い、一方的な理屈で判断されることを拒み、自分たちだけの世界を築いて、そこへ逃げようとする傾向がある。




世代間格差みたいなかなしい問題は、いつの時代にも発生するけど、よりいっそう深刻化しているとも言われる。


お互いにもっと、心を開いて接していかないことには始まらない。


優しい愛の力が心を開くってことは、北風と太陽から教わったじゃないか。



開いた心が再び閉じないためには、脱いだマントを必要としないくらいに、旅人が寒さに対して強くなればいいんじゃないか。



色々な経験を積み重ねて、間違ったり失敗しても素直に認めて、何度転んでももう一度立ち上がればいいじゃないか。



ちょっとオレ、今日から体きたえて、寒さに強くなることにするわ。体調管理とか栄養管理もしっかりして。お風呂上がりに冷たい水とか頭からかぶったり、乾布摩擦とかしたりして。



いや、としをとるのがいやとかじゃないから。





少年の心が風邪をひかないようにするためだからね。






べっ、べつに、仕事仲間の新人から、『お父さんと一緒の年齢ですね』って言われたのがショックだったわけじゃないんだからn(ry