「小糠雨」、読めますか?
どんな雨でしょう?
そんな内容もありました、月曜日1限。「建築計画」という授業項目ですが、もはや国語です。
建築は日本の文化、日本の心、日本の言葉である日本語の重要性を教えてくれようとしております。(と感じます。)
私はずっと文系で、高校も大学も、理数系を捨てて生きてきました。
それが、建築士を目指すにあたって、取り返しのつかないことだったと思って、覚悟を持って、この世界に足を踏み入れました。それが、この週明けの学校始まりの時間に、日本語、言葉の大切さ、レパートリーの多さや表現方法の多様さについて説く授業から始まること、とても嬉しく思います。
これまでやって来た学びも建築に活かせるのだ、と。
(2限目は、その分、がっくし、理数系を捨ててきた過去を後悔するのですが、笑、それは置いておいて。笑)
本を読もう、日本語を知ろう、日本で生まれ育った人は、日本語でものやものごとを考える、それこそが日本の文化で、日本人を日本人たらせるもの。
日本語のレパートリーが「考える」を左右し、そして表現にも影響する。
日本語を大切に。
そうやって、日本の言葉について考えたことがありますか?
F先生は、建築士としてだけでなく、人として尊敬できる人だな、と2限目にして引き込まれています。
さて、「小糠雨」です。
授業では、高温多湿である日本には、雨を表現する言葉がたくさんある、と。
皆で出し合いました。
夕立や秋雨といった身近な雨から、
氷雨、白雨、驟雨、、、知らない雨の表現がたくさん。
日本人なのに、日本語を知らない。恥ずべきことです。
先生が持ち出した、「小糠雨」。
一言で先生が こんな雨です と教えてしまえば、へ~で終わる、たった1分で完結しようとすればできる時間です。
おそらく20分、「考える」時間を先生は作ってくれたのでしょう、そうやって、日本語と向き合う時間をつくってくれた(と思います。)
糠とは何か、
糠床の「ぬか」。
→ぬかるむような雨なのでしょうか?
先生のヒント、
糠床は糠ではない、
糠漬けができるあの糠床は、元々はサラサラの、きなこのような粉なのだ、と。
イメージしよう、間違っていてもいい。
~シンキングタイム~
→霧、霧雨よりも少しばかり大きくて、小雨よりも小さな雨。
そんな風に、ひとつの「雨の種類」について考察する時間、最近はありましたか?
とても新鮮で楽しくて学びのある授業です。
先生が伝えたかったこと、
雨の、強さ、季節、降る時間帯によって、日本人は雨の表現を変える。
と言うことは、雨の違いが分かるのだ、と。
そこには、日本人の感性が存在する。
逆に、
言葉を知らないと、言い分けることができない。
表現が乏しくなってしまい、相手に伝わらない。
五感、感覚+言葉で表現することが、建築士としてとても大事なこと。
↑
ここ、赤線!笑
手段は、読書、あるのみ。
環境が「日本人をつくる」、
日本人に「なっていく」、
は~!なるほど。
(たぶん、こうやってブログに書いている私の説明より、先生の授業の方がとても分かりやすいです。それは、先生の言葉の量と数と質、話し方、ストーリーの違いです。先生はそういう意味でもとても日本人です。)
図面、CADは、あくまでもツール、手段でしかないのだ、ともおっしゃっています。
建築士は、
どんな空間をつくるか、が大事。
図面の、CADの、目先のことばかりにならないこと。
身の回りの、自然の中に、ヒントはたくさんある。
心地よい、快適、と感じること、それを意識すること、意識したら、なぜそうなのかを考えること、そしていったんでもいいので、答えを出しておくこと、それを自分にストックしておく。
ストックは自分の引き出しに、取り出したいときに引き出せるようにしておく。
建築士として日頃の心得を教えて頂きました。
最後に、心得をもうひとつ。
原寸を知っておこう。
図面、CADでも、原寸を想って描こう。
身の回りのものには全てに寸法があります。
向かい合っている机にも、PCにも、あらゆるものに。
「コンベックス」を持ち歩くこと。
知らなかったので、さっき調べました。笑
調べたら、知っていました、コンベックス。
(こういうことですね、先ほどの言葉の話。知らないと表現に乏しい。)
いわゆる、メジャー。スケール。
それがないとき、どう測る?
手のひらを使う。自分の身体を使う。
自分の左手をMAXに広げたときの、親指の先から、中指の先までが、200㎜=20㎝。
両腕を広げた、右の中指から左の中指の長さは、自分の身長と同じ長さ。
立って、右腕を上げたときの高さはどのくらいか、測って覚えておく。
自分の身体がスケールになる、おもしろいですね。
(その道の人からすると基本でしょ、と言われそうですが。)
月曜1限の授業が心ワクワクして書くことたくさん!笑
2限の構造力学は次の回で!