バベルの塔
もう逢わないと決めていた。
逢いたくない、逢っちゃだめだと本能がささやく。
これといって用事もないし、私も今はもう元気にしている。
でもちょっとぐらい気になっていたかもしれない。
完全には消し去ることはできないみたいだ。
そもそも繋がりがまるでないともいえない距離感だから
何年か先、どこかでバッタリ出逢ったとしても
何事もなかったかのように振舞いたかった。
「やあ、久しぶり。どのぐらいぶり?」なんて普通に会話して。
ところが不意に私を呼んだ「その声」はほとんど叫びに近く、
後ろから追いかけてくる気配から逃げるように
私はもつれる足で、ひたすら一目散に階段を下りた。
振り返らない、絶対につかまらない。
そうだ、この感じはよく憶えている。
ブレーキのない車に乗って坂を下るような切迫した気持ち。
大切にされているはずなのに、身を滅ぼすようなすれすれの愛情。
そこには石を積んで出来上がった塔のような精神世界があって
愛されていることを恐れるほど、閉塞感に満ちていたんだ。
ゆうべ見た夢は、こんな風だった。
天に届くほど高い塔の一番上で窓から外を眺めていた。
きらきら瞬く地上は魅惑的で、危険だと言われるようには見えない。
一日に三度届けられる上等な食事で、空腹を知らず
自分で選んだものでない上等な服は、いつも寸足らずだった。
一度だけ、開いたままのドアから外に出てみたら
心地よい風が吹き、音楽が聞こえ、いい匂いがした。
けれども指が土に触れた途端、裸足だったことに気付き、戸惑った。
その上、右も左も分からない世界は不安に満ちていた。
どうしたらいいのか分からずにへたり込み
親切に聞こえる言葉を従順に信じた。
「ほら、言った通りだ。外の世界は怖いんだ。
ここが一番安全なんだよ。もう二度と、出ようとしちゃいけない
この塔はじき、天まで届くのだから。」
そして窓は塞がれ、瞳は光を失った。
上等な食事は手つかずのまま下げられ、上等な服に埃が積もる。
ここから出たいと、涙を流した。
「それほど言うなら外に出ればいい」
空からの声に、私は塔を抜け出した。
いびつな螺旋階段を転がるように駆け下り、何度も倒れた。
裸足でも、右も左も分からなくても、走るしかなかった。
はあ、はあ、肩で息をした。もう、追いかけてこないで。
壁からぐらついた小石を一つ引き抜いた途端
さっきまでいた見事な壁も、階段もすべて崩れ
塔は消え去り、ごろごろとした石の山だけが残った。
天に届くと思い込んでいた空想はすべて崩壊したのだと悟った。
轟音と白煙の向こうに、ゆらゆらと影が見えた。
不吉な予感はどこかに消えていた。
足を止めた。追いつかれようと、つかまろうとも
もう、逃げない。
世界は歪んでなどいない。