私は言葉や情報を象徴する双子座のせいか、

物心ついた頃から言葉に対して異様なまでの興味があります。

(そのわりに誤字脱字が多い笑)

 

個人的に海外行くのが好きなので

英語とイタリア語もしゃべるんですけど、

話していて不思議な感覚になるんですね。

 

英語やイタリア語を話しているときは
どう思っているのか

どう感じたいのか

自分は何をやりたいのか

他者に何をやってほしいのか

自分の気持ちや考えがはっきりして頭の中がスッキリします。

 

それが、

日本語で話し、考え、感じようとすると

どうにもこうにも自分が感情や思考がわかりづらいんです。

 

そうやって感覚が変わるから、

話す言語で自分の性格が変わる感じがする人も結構いるんじゃないかな。

(ちなみに、私は日本語を話す時は真面目、イタリア語の時は明朗快活、英語の時は明快になります)

 

たまたま出くわした海外の方に、

英語で何か話したり説明したりしようとすると、

無意識のうちに、まずは日本語では何と言うか考え、

どうシンプルに言おうかと困惑して上手く英語で話せなかった〜(涙)って感じることってありませんか。

 

 

日本語と欧米の言語では明らかに言語感覚が違う。

 

 

日本語で話す場合、

それまでの文脈で「誰が/何が、どうする/どうした」が既に聞き手もわかっているなら、

話す文章の中に主語がないことが圧倒的に多いです。

 

例えば、誰かとその日の夕ご飯をどこで食べるのかと言う話になった時に

「私は今夜は友達の家で夕ご飯を食べるよ〜」と誰かに言いたい場合、

 

日本語で話す時は、

「(私は)今日は友達の家で夕ご飯を食べるよ。」と「私」という主語が省かれます。

つまり、主語と動作の関連性が薄くなり、

「私」が自分が行う動作を眺め、事柄として描写する傾向があります。

つまり、話すまでは主語の意識があるのに、話すと途端にその存在が曖昧になるんです。

まるで独白のよう。

 

一方で、英語やヨーロッパの言語は異なります。

英語では、「I'll have dinner at my friend's home in this night.」と主語が必ず必要になります。

自分から見えている世界に自分を登場させて描写する傾向がある。

聞き手が文脈をきちんと理解していようがいまいが関係なく、明白に伝える。

対話が前提になっているんです。

 

そう、英語を話しているときに自分の気持ちや考えに気づきやすいのは、主語を常に強く意識しているから。

主語を明確にすることで「私」と「その他(人、モノ、コト)」を分離させて話すから。

 

それに比べると日本語は

文脈や聞き手によって主語がいたりいなくなったり、とても気まぐれ。

これでは自分の気持ちが行方不明になって、わからないのも仕方ない。

 

 

じゃあ、

私たちは日本語を話している時、

何に意識を向けて話しているのか。

日本語でも話しながら自分の気持ちや考えがすんなりわかるようになる方法はあるのか。

 

 

明日に続くっ!

 

 

(明朗快活ガールだったイタリア留学時代)

 

スピリチュアルや自己啓発系のブログだったけど、社会言語学の話になってきたぞー!!

もう興味の赴くままにどうにでもなれ〜(笑)

すべての学問は「よく生きる」に通ず。

人生はオモロ〜!