わたしが好きだと感じる人にとっての
役に立つ人間でなくていい。
そんな人にとって有益で実用的でなくていい。
わたしにとっての実用性が
他者にとっての実用性と必ずしも合致することはない。
わたしの根本的な存在価値は、
誰かにとって役に立つかどうかというところにはないのである。
わたしのことを本当に好きな人は、
何かができるといった、わたしの実用性のあるところが好きなのではなくて、
わたしならではの考え方や視点、性格といった実用的でないところが好きなのだ。
自分は誰かにとって実用的であるということは、自分の存在価値が他者によって決められてしまっているということ。
それは、
自分の存在価値がとてつもなく儚くて危うい状態であるということだ。
私の頭の中にも、長らくそんな思い込みが強くあって、
人の役に立たないと自分の存在価値はないと信じていた。
それもこれも、
忙しく働く両親の元、
幼少期から「働かざるもの食うべからず」というルールの家庭で育ってきたから。
簡単に言うと、家の手伝いをしないとご飯が出ない。
用意してあったとしても、下げられてしまう。
年齢が上がり、できることが増えていくほどそのルールは強化され、私の思い込みも強化される。
すると、
ちょっとした風邪で家事の手伝いができないときに
病人食が用意されていないことはおろか、
インフルエンザで40℃近くの熱を出し、フラフラになっていたのにも関わらず、
レトルトのおかゆさえ出ないと言うことまで起こった。
もうここまでくると、
私の頭の中で
「家の中で役に立たない人間はご飯をもらえないほど存在価値がない」
という思い込みは、耐震住宅並みに強固に完成するのである。
おかげで、料理も掃除もアイロンがけも洗濯もボタン付けも、
ありとあらゆる家事はできるようになったし、
料理と掃除なんかは私にとって好きなことにもなった。
ところがどっこい!
私が好きになり、結婚した人は、
家が清潔で綺麗なことも
手作りの美味しいおうちごはんを毎日食べることも
シワひとつないワイシャツを着ることも
毎日洗濯をすることも
私ができることは何一つ
彼の人生で優先順位が高くなかったのである!
私のできることは何一つ
彼が生きる上で重要な意味をなさない(笑)
なんならそんな細かいことは気にせず、
雑然とした部屋でも悠々と生きられる逞しい人だった。
私が頑なに信じてきた
私の存在価値は彼には通じず。
一体なんだったんだ、あの思い込みは(涙)
じゃあ、
彼は私のどこに存在価値を感じているのか(好きなのか)
もう気になって仕方がなかったから私は質問してみたのだ。
そうしたら、
綺麗(そうなのかしらね)
かわいい(意外だわ)
賢い(ううむ)
そして何よりも
おもしろい
(へ??なんですと?)
おいおいおい、
ちょっと待ってくれよ。
料理ができるとか
掃除して家の中を綺麗にしてくれるとか
いつもワイシャツにアイロンをかけてれるとか
いざとなればお金を稼いでくるとか
そーゆーあなたの役に立つようなところ、
一つもないんか〜い!
私が30年間真面目に信じてきた
私の存在価値ってなんだったんだ(驚)
ショックで打ちひしがれなら思い出していたのは、
私を親友として付き合ってくれる人たちは
もれなくみんな、
私のその性格や行動や物事を観る視点が好きだと言ってくれていたこと。
(そして私はそのことをすっかり忘れていた笑)
やればなんでもそこそこできるところや
若くして家事を全てできるところなんて
誰もそこを一番に好いていなかった(笑)
ああ、それは究極の一人芝居。
今まで観客のいない舞台の奥を向いて一生懸命踊っていたのに、
誰も見てくれない・誰にも好かれていないと嘆いた。
それがある時、ふと後ろを振り向いたら、
拍手喝采してピーピーワーワーしてくれる観客がたくさんいたのだ。
それに
◯○ができるって
年齢や状態(体調や心境)に左右される
とても変動性の高くて不確かなものだ。
つまり、
〇〇ができるという誰かにとっての実用性が高い系の存在価値って
危ういのである。生きている間、安心を感じて生きづらいのだ。
きっと私も年齢を重ねていくうちに
料理ができなくなったり、
ボタンつけられなくなったり、
掃除するのが大変になったり、
誰かにとって実用性の高いことはできなくなるだろう。
それにそれに、
〇〇ができる系はこれからどんどん他のものに代替されていく。
料理は、既にミールキットや宅配で美味しいものが食べられるようになっている。
掃除はロボット掃除機がやってくれる。
アイロンかけしなくてもいい素材は、これからもどんどん開発される。
お金があれば、家事全般は気軽に人に頼むことだってできる時代だ。
必ずや私がやらなくてはいけないことではないのである。
けれども、
私のこの物事を視る視点や考え方、ユーモアといった独特のおもしろさや、
ゆるんだときや笑ったときの可愛さ(夫談)は、一生変わることがないし、他の人が代わることができない。
そんな
わたしの実用的でないところこそ、
わたしの最強の存在価値だったのだ。
そうして、
わたしは既にずっと愛されていたことに気づくのである。
人生はオモロ〜!