「やろう」「やめよう」「もうちょっと後にしよう」って決められたり、責任を負って挑戦できたりする状態でいることって、わたしの「生きる」を創造していく上でとても大切だ。

わたしの存在価値が「できるからいい・すごい」や「できないからよくない・ダメ」に基づいていると、文字通り死ぬほど怖くてそんな決断や挑戦ができない(経験者は語る)

たとえ決断を誤ったり、挑戦が上手くいかなかったり、失敗したりしても、
どんな自分でも自分に愛されている、受け入れられているという、裁かれないという安心感(自己受容)があるからこそ、自分の本当の望みを実現できる(自己肯定感)のだ。


そんな生きる上で大切な自己受容って、簡単にいうと「自分のあらゆる側面を受け止める」こと。

具体的には、

  • 自分の状態・性格・行動・結果に関わらず、理想の自分像とは異なる面など全ての側面、湧き上がる全ての気持ちを、

  • 思考によるジャッジ(社会的・家庭的・教育的な基準や他者との比較による)をせずに、ただ観察し、自覚し、受け止める。

  • そうして気づく、自分という存在が無条件に受け入れられている、どんな自分でも存在していいという安心した感覚・状態のこと。

それは、

自己評価が高いということではなく、評価なんかせずとも、どんな自分でも存在していいと気づくこと。



この生きる上での命綱でもある自己受容って、基本的には幼少期に保護者によって育まれていく。
保護者のどんな行動で育成されていくかというと、
  • できたことだけでなく、できなかったことに対しても寄り添ってもらい、肯定され、それを気持ちを言葉や態度で伝えてもらっている
   例:あなたは今のままのあなたでいいんだ

  • 長所も欠点も全部ひっくるめて丸ごと受け入れられる
   例:いいところばかりじゃなく、悪いところもいっぱいあるけど、あなたが大好きだ

  • 存在していること自体を喜ばれる・幸せに感じてもらえる
   例:今あなたがここにいてくれるだけでとても幸せ

実際に、

自己受容できている人を思いつくところでいうと、ホリエモンや西野亮廣(キングコング)さん、前澤友作さん。なぜか男性ばかり思いつくのが興味深い。



ただ、実際は自己受容できている人の方が少ないんじゃないかな。

それは、
自己受容を育む保護者自身が自己受容ができていないために、子どもの自己受容を促す方法がわからないからだ。

だから、

自己受容できていないのは保護者が悪いとかそんな保護者の元に生まれたのは運が悪いとか、コウノトリのコノヤロー!誤配達しやがって!とか思ってもいい。



しかーし!

ここでそんなあなたに朗報!


たとえ保護者に自己受容を育んでもらえないまま大人になっちゃったとしても、安心してください、命綱は自分で作れますよ。

ないのなら 自分で作ろう 命綱(笑)


ざっくりと、感覚派か思考派でやり方は異なるが、実際に試してみてその都度やりやすい方または両方をやり続けるのがおすすめ。


感覚が強い人

  • 今に集中し、湧き上がる思考も気持ちもとにかくジャッジをしない
  • ジャッジしそうになったら、動きを止め、深呼吸する
  • ジャッジしてしまったとしても、それをジャッジしない
  • ジャッジしないという行為が苦しくなったら、一旦止めて休む

思考が強い人
  • 良い・悪いという思考のジャッジが出てきて苦しくなった時に、同様に感じたことのある過去の出来事を思い出す
  • そのときの感情に意識を向け、ジャッジせずに感じきったり、安心できる場所で感情を声にして出し切ったり、「そうだったのか」と受け止める
  • 過去の感情に飲み込まれて苦しくなる時は、一旦止めて休む

私は、両親が自己受容できていないタイプで、ジャッジされまくり、受け入れ拒否されまくりだったので、
私自身も漏れなく自己受容ができていないまま大人になってしまった。

だから、
何をやってもやらなくても、どんな状態でも存在を受け入れられているという、自己受容の経験の真っ最中。
命綱を自分で作りながら生きている。

会社に勤めていた頃は、やったこともない業種(精密機器系)でやったことのない業務(経理、PR、法人営業、企画)をやり、ミスや失敗をしまくり、たくさん謝り、弱音を吐き、勉強不足は露呈し、助けを請うてきた。

穴があったらそこに引きこもりたくなるようなことは数え切れないほどあったけど、
それでも働いてこれたのは自己受容が進んできた証拠だ。

今は、仕事を中心とした生活ではなく、
日々の暮らしでこれまでやりたかったことをやっている。


私は、幼少期から自分の存在価値が働かざるもの食うべからず(家の手伝いをしないとごはんをもらえない=死ぬ)に直結していた。

やりたいことだけをやり、社会に出て働いていない時間が多いということは、私自身にとって一種のチャレンジである。
そんな私をあたたかく見守ってくれる夫や親友たちのおかげもあり、今は自分の存在に対して罪悪感が薄くなってきた。気楽になってきたのである。

それに、
自己受容ができて初めて、自分の本当の望みを実現化できる。

それは、
社会や家庭の評価軸(普通、当たり前、一般的に)からくる自分以外の誰かの望みを実現させるのではなく、
自分の望みそのものを実現できるようになるため、心から満足感を得られる。

さらに、
自己受容が進むと他者受容も進む。
全然違う他者や他者の価値観を自然と尊重できるようになる。
もっともっと軽やかに生きることができるのだ。


だから、大丈夫。
少しずつ命綱を作っていけばいいんだ。


人生はオモロ〜!