大学卒業後に1年間ほどイタリアに留学し、
その後、地元・静岡で少しの間働いていまたが、
それでも学生時代を含めて東京で10年以上暮らしている。
今日は千葉に出かけ、
その帰りに
休日でも明るい高層ビルの間をすり抜けながら、
この10年で東京の街と同じくらい
自分も変わったなと振り返っていた。
上京した頃は、
文字通り人並みに飲まれ、
パニックを引き起こし、
少し出かけるだけで
どっぷりと疲れ切っていたのだ。
あの頃感じていたのは、
この街は、
住んでいる人間の
自己主張とも似たエネルギーと
刻一刻と変わりゆく街自体のエネルギーが渦巻いているということ。
だからこそ、
自分の軸がないと
自分に意識を向けてないと
意図も容易くその渦に飲み込まれていく。
わずかでも
自分はこれをやりたい
自分はこれが好きだ
自分はこう生きたい
が無い人間には
この激流の渦でオールは漕げない。
それは一方では、
やりたいこと、
好きなこと、
興味のあること、
自分の生き方がある人には
とても乗りこなしやすい
流れのある街だ。
自分色の濃い
キャラの強い人が多いから
出会う人出会う人が
非常におもしろい。
そういう人たちが
何かやりたいと想いがある人や
好きなことや興味の芽生えがある人、
自分なりの生き方をしようと模索している人を応援してくれる、
そういう優しさという愛があるところでもある。
だからといって、
この街が手放しに素晴らしいとは思わないが、
そこはかとない同調圧力や
得体の知れない一般常識や
周りの視線で、
自分の中の「何か」が薄くなっていていくことはない。
マーケティングの網にからまって
自分の存在そのものが、
自分でさえも霧の中にいるようでわからなくなるなんてこともない。
そういう意味では
否が応でも
自分という存在の輪郭がはっきりし、
図太くなる街でもある。
この街で暮らし
自分と向き合う、
それだけでも
自分という存在そのものが
すっと立ち上がるはずだ。
人生は、オモロ〜!