津波にあったNAKAGAWAさん | ハワイの風お届けします。朱いハイビスカス

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朱いハイビスカス

Waipioとは
ハワイ語で「曲がりくねる水」という意味です。

水量豊かなところで
カメハメハ大王が幼少期を過ごした
聖なるマナがあふれた聖地とも言われています。

昔大津波がこの谷を、2度ほど襲ったことが歴史上に
伝わっているなぁと
歩きながら回想していると


後ろから、孫を連れた紳士に

英語で声をかけられました。

一眼レフをぶらさげているので

観光客かと一瞬思いましたが

なんとここで生まれた方だったのです。




僕はNAKAGAWAといいます。

僕のおじいちゃん、おばあちゃんが日本からきました。

僕のお母さんは15人も子供を生んで
僕は13番目です。

お母さんは医者にもかからず
全部一人で子供を生み、全部世話をした。

薬草がずいぶん役に立った。



僕が一才の1946年にSANAMI(津波のことらしい)がきて
僕たちの家はビーチの前にあったけど


流されてほら、今はここにうつってきたんだよと

家にぜひきなさい

カウカウしていきなさいと(ランチを食べてと薦めてくださった)

手招きして招待してくださった。

NKAGAWAさんはたくさんのことを話してくださった。
全部理解できたと思う(そのときは)

英語の細かい単語はわからなくても

NAKAGAWA’さんの伝えようとしている事は

奇跡的にすべて私に伝わってきました。

マナのちからですね。きっと。

そしてこの谷でSAnami(津波)で亡くなった人は
ひとりもいない。

ここはマナで守られた神聖な場所だからねと

続けてくださったことが印象深い。



しほりとふたりサンドイッチとフルーツと
タロイモをごちそうになりました。

なぜか割り箸を提供くださいました。



オハナがいっぱい集まって談笑しています。

写真に写っているかれらは
とてもフレンドリーで
微笑みながら私たちを取り巻いてくれました。

彼らはいとこ同士や兄弟なのですが

ある子はハワイアンの風貌を色濃く残し

あるこは白人の血が

ある子は東洋系の顔という風に

同じ一族なのに

本とハワイって素晴らしいなと実感しました。



この家はNAKAGAWAさんの兄弟が住んでいますが

NAKAGAWAさんは

オアフにいたこともあり
日本で働いたこともありで

その人生は移動が多かったようですが

なんと今はモロカイに住んでおられます。


モロカイの盟友MIYAKOさんのことも
存じ上げていて

その話でも盛り上がりました。

モロカイで再会する約束をして

辞しましたが

素敵な縁がつながりました。


ハワイアンは親戚や友人付き合いが
とても濃いと感じます。

核家族はありえないというか

気軽に集まってしゃべり、食べ、飲み
歌い、演奏しとてゆう生活の謳歌の仕方を

皆が知っているように感じました。


つづく