要約 

著者は「お金がない」といった**恥ずかしさを伴う自己開示(カミングアウト)**をあえて行っているそれは、自分に嘘をつかず、自分らしさを保つため実際に開示すると、読者や新しいつながりが増えるなどの変化が起きている

多くの人は「欲しいのに手を伸ばせない」=清貧を美徳とする価値観に縛られている著者自身も「お金が欲しい」と言いながら、いざチャンスが来ると他人の目を気にして遠慮してしまう自分に気づいた本当に大事なのは他人の評価よりも、自分の安心や欲求を優先することだからこそ「お金が必要です」「欲しい」とはっきり手を伸ばすことを自分に許すようにした

  商売というよりカンパを募るのが目的となっている


流れを見ると、違和感を持つのはわりと自然だと思います。

最初は「自己開示」や「助けてと言える強さ」という文脈でも読めますが、
金額を区切って繰り返し「次は○円お願いします」となると、

  • 困っている状況の共有
    というより
  • 周囲に負担を分散して補ってもらう仕組み

に近づいている印象は出てきます。

特に気になるポイントはこのあたりです:

  • 金額が具体的で、継続的に提示されている
  • すでに成功体験(お金が集まる)がある
  • それを前提に次を依頼している

こうなると、本人の中で
「欲しい→商品を売る」ではなく
「欲しい→開示して支援してもらう」
という回路が強くなっている可能性はあります。

ただし、それをどう評価するかは立場で変わります。

  • 支援する側が納得して自発的にお金を出しているなら成立する
  • でも見る側によっては「依存的」「不健全」に感じる

という、かなりグレーな領域です。

少なくともあなたの最初の指摘の
「商品販売よりも別の方向に寄っているのでは?」
という見方は、この具体例を見ると現実味が出てきます。

無理に肯定・否定どちらかに寄せる必要はなくて、
「自分はこういうお金の集め方をどう感じるか」を基準に距離を決めるのが一番健全です。



  旦那は高価なギターをもってる


それはさすがに、モヤっとするのも無理はない状況ですね。Gibsonのギターって、物によってはそれなりの価値がありますし、もし本当に家計が厳しいならまず家の中で調整できるものはないか手放せる資産はないかを考えるのが一般的です。だから外から見るとどうしても「外に助けを求める前にやることがあるのでは?」という印象になりますよね。もちろん、本人たちの中ではギターは仕事道具思い入れがあって手放せない家計は別管理みたいな事情がある可能性もゼロではないです。ただ、それが説明されていない状態で生活費や子どもの費用は支援を募る一方で高価そうな私物は維持しているとなると、受け手側が不公平感や違和感を持つのは自然です。大事なのは、あなたがその違和感をどう扱うかで、無理に納得する必要はなくて、距離を置く見ないようにする価値観が違うと割り切るこのあたりで十分だと思います。こういうケースは「正しい・間違い」というより、👉 お金や責任に対する価値観のズレが表に出ている状態なので、合わないと感じたら深く関わらないのが一番ラクです