仕事に復帰して、少しずつ愛ちゃんのいない日々に慣れ始めた。


慣れてくると、そもそも、あんな素敵な奥さんは元々いなかったのかもしれないと思ってしまう。

でも私のスマホには、愛ちゃんからのメッセージや動画がたくさんあって、それがまた辛い。



子どもたちは、溶連菌になったりしながらも、元気に過ごしている。


家の片付けは、全然進まない。

なんとか3人暮らしがしやすい形にして、不要な物は空いている部屋に押し込んだ。



毎日、子どもたちを寝かしたあと、ほんとに少しずつ、片付けている。


愛ちゃんのものは、まだ捨てられない。

愛ちゃんのものが出てくるたび、愛ちゃんを感じることができる。

保険金関係も、全然進まない。

がんセンターの治療費の書類を見ると、クラクラしてしまう。



日々育児家事仕事で1日が終わる。

休みの日は、平日片付かない部分の掃除で手いっぱい。


忙しい日は、愛ちゃんに、何で手伝ってくれないの?と文句を言っている。




愛ちゃんのいない日々に慣れ始めたのに、


やりたいこと、生きたい理由が見つからない。



なんとなく、生きている。


だからって死にたいとは思わない。

子どもたちは可愛い。

成長は嬉しい。


でも、それは当たり前で



なんというか、僕たち家族には、行きたい場所や欲しいものがない。



これが、じわじわと、ほんのり苦しい。




こんな感じで、愛ちゃんのいない日々は大変で、辛くて、でもそうじゃない時間は寂しくて


さらに終わりが全然見えないから、本当にしんどい。



いやー、どーにか、ならないもんですかね。

この痛みは。