今日は仕事終わりに妻の病院へ面会に行った。
ナースステーションには、たまたま主治医の先生がいた。
少し話をいいですか。
先生と面談室へ
先生が妻の腹水について説明する。
昨日撮ったレントゲンには、小腸にガスが溜まっている様子が写っている。
さらに、お腹の中がぼんやりとしている。
これは全て腹水で、だいたい2リットルくらいある。
これを明日抜いて、ガン細胞を取り除き、点滴で体内に戻す。
また、腸閉塞を起こしているので、静脈栄養法のための手術を早めたい。今麻酔科にできるだけ早く出来るようにかけあっている。
ということだった。
また、先生は、進行が早く、半年より短くなる恐れがある。とも言った。
寿命の話だった。
先生に、覚悟はできてますか。生活は大丈夫ですか。
と聞かれた。
覚悟は、出来ていないです。
妻を、治すことに集中しています。
だから頑張りますと答えた。
先生は、少し笑った。
電話が鳴り、先生が出る。
妻の手術のことだった。
予定を早めて26日に手術となった。
予定より2週間早い。
ただ、腹水を抜いて腸閉塞が緩和しなければ、退院せずに手術をして、最短2月2日まで入院生活になるとのことだった。
先生は、静脈栄養法なら、1日に成人女性が必要な1900キロカロリーを食事に頼らず摂取できるとのことだった。
全て、先生の言う通りにする。
先生に、妻の負担を減らすため、治療については電話でもいいから私に連絡して欲しいと頼んだ。
先生は承諾してくれた。
また、緩和ケアの先生に妻の心のケアをお願いすることになった。
その後、今度は看護師さんが話したいと言った。
看護師さんは、私や子どもたちが心配だと言った。
一人で家事育児仕事をして、パンクしないかみんなで心配しているとのことだった。
確かに、先生もさっきずっと私の生活について聞いてきた。
私は、まだ大丈夫だった。
妻が生きているから。
それが、私の支えだった。
だから、まだまだいくらでも、頑張れると思った。
看護師さんにもそう応えたが、まだ心配で、サポート制度を市役所に聞きに行くよう進めた。
子どもたちの送迎や色々なサポートがあるとのことだった。
また、自宅で看取ることもできるから、何でも相談してほしいとのことだった。
心配してくれて、嬉しかった。
でも、私はまだ大丈夫
妻が生きている限り
…でも、きっとみんな
妻が生きている限りってところが心配なんだろうな。
でも、その先は、その時考えれば良い。
結局1時間ほど話して、妻と面会する。
顔色は悪くない。
抗がん剤と一緒に吐き気止め等をもらっていて、それは前回と同じだが、前回に比べて症状が落ち着いているようだった。
妻は、ごめんねと謝っていた。
退院が遅れて、子どもたちに悪いと泣いた。
その後は、ずっと目から涙を流していた。
机に突っ伏したまま、ボロボロ涙をこぼした。
私は、妻の手を握る。
妻に、好きだと伝える。
好き。大好き。愛してる。世界で一番大事。
妻に伝える。
長女が話すようになった時、長女に一生懸命この言葉を教えた。
パパに言ってって、何度もせがんだ。
その様子を見て、妻も私に言ってくれるようになった。
我が家での、愛を伝える最上級の言葉
私は、妻に何度も言った。
好き。大好き。愛してる。世界で一番大事
妻は、泣きながら頷いた。
私は、今が最初の正念場、分岐点だと思った。
ここから、巻き返す。
そう思った。
妻の手を強く握ると、妻は強く握り返した。
力はまだある。
歩ける。
先生も、頑張ってくれている。
まだ、まだまだまだまだ
絶対に諦めない。
妻の涙が落ち着く。
その目には、確かに光があった。
私は、一緒に頑張ろうといい、それからはバカ話ばかりした。
妻と別れて帰宅する。
父から電話があったので、折り返すが出ない。
母からライン
父が高速道路で事故
車大破
父は胸骨骨折で1日入院
私に連帯保証人になってほしい
…父に電話をかける。
痛いと言っていたが、元気そうだった。
高速道路で車が大破したら、普通死ぬので、運が良い。
母に電話して、大丈夫か聞く。
生きているから大丈夫と言っていた。
それならと思い、病院でのことを話す。
先生から、半年より短い可能性があると言われたことを伝えると、なんだよそれーと言って電話口で大泣きした。
今年のうちの家系は、ヤバい。
家に帰り、妻のお母さんにも話す。
お母さんもやれることを頑張ろうと言っていた。
夜、妻にテレビ電話をした。
子どもたちはスマホに集まって、ママ!と連呼していた。
その後、2人揃って、おもちゃのある寝室へ急ぐ。
カメラ係の私が妻に子どもたちが見えるようにしてついて行く。
長女は妻に見ててと言って、ブロックを作り始めた。
長男はカメラのおもちゃを持って、妻に見せながらずっとしゃべっていた。
子どもたちは、妻と遊んでいた。
妻は、子どもたちに
すごいねー
とか
面白いねー
とか言いながら、また泣いた。
子どもたちは、本当に楽しそうに遊んでいた。
ママがいるだけで、全然違うのだ。
結局30分くらい妻とテレビ電話をしながら遊んだ。
妻が少し疲れたというので、最後にみんなで妻を応援した。
子どもたちには、ママって大きい声で呼んでと頼んだ。
二人とも、何度も大きい声でママ!ママ!と呼んでいた。
まるで、今際の際を彷徨う人を引っ張りあげるように、力強く、大きな声で呼んだ。
妻は、うん、うんと返事をして、さらに泣いた。
妻が何故泣いたかはわからない。
ただ、私は諦める理由がなかった。
まだ始まったばかりで、ここから始まると思った。
今日からずっと入院なら、毎日電話してたくさん遊ぼう。
妻を元気づけよう。
私は、妻のためにできることを考える。
妻が治れば、何でもいい。
もう、暗い話は終わり
ここから、逆転する。
絶対に、逆転だ。
必ず、勝つ。
妻を助ける。