1月2日の夜
私の両親と今後について話した。
私の住んでいる街は、両親の住む街から1時間ほど離れていて、私の職場、妻の病院、子どもたちの保育園など、全てがそこにある。
両親はともに働いていて、いつでも応援に来れるわけではない。
その両親から、両親の住む街へ移住して、同居をするように勧められている。
有り難い話だった。
でも、私達夫婦はこれを断っていた。
それは、病院が遠くなったり、転院するかだったり、子どもたちの保育園だったり、私の職場が遠くなったり等の様々な理由があり、正直すぐに決められなかった。
さらに、妻は四人のこれまでの生活を強く望んでいた。
それが病気と戦う活力になっていた。
しかし、私の両親は、現実が見えていないと感じているようだった。
30歳のガンの妻と、4歳の長女、1歳の長男
3人を抱えて、4人で生活できるのか
と聞かれた。
わからない。ただ、やるしかないと答えた。
では、今回のような災害の時はどうする。
それも乗り越えるしかないと思った。
両親は、呆れた顔をする。
そんなに、俺達を頼りたくないのか。
そう表情に出ている。
これまでの関係は、その程度だったのか。
何が不服なのか。
そう表情に出ている。
不服なんて、ないんだよ。
そこまでしてもらえて、本当に嬉しい。
ただ、恐いんだ。
介護される妻や子どもたちを嫌われるのが。
今まで、うちの両親に毎年誕生日プレゼントを送る妻
妻にそんなに送らないでいいと伝えると、
私の親なんだからいいでしょ。
と言ってくれた。
そんな出来た妻が嫌われるのは、本当に辛かった。
しかも、うちは、決して広くはない。
元々両親、私、弟の4人でギュウギュウだった普通の一軒家だ。
その家に両親と子どもたちが移り住む。
それは、とても無理があると思った。
その負担は、計り知れない。
じっさいに、私達が数日いるだけで、子どもは古くなったトイレを壊し、親父の電子タバコで遊ぼうとしたり、イスから落ちそうになったりして、もう親は二人ともパニックになっていた。
それが、これから続くのだ。
それは、キツイだろう。
さらに、今までの日常は、やっぱり捨てづらいのだ。
こっちに引っ越しても、まず子どもたちの保育園がない。
あっても、私の職場は遠いので、私の送り迎えは完全にできなくなる。
母が正社員からパートに代わると言うが、それでも子どもたちの送り迎えは早朝夕方になる。
子どもたちの負担は変わらないのだ。
さらに病院も遠い。
今回のように妻が体調を崩しても、どうにもならない。
転院も考えるが、妻は今の病院に希望を見出している。
それを取り上げることは出来なかった。
優先順位をつけるべきだと思った。
まず一番は、妻だ。
妻の治療、延命、そして回復が全てだ。
他の何よりも、優先すべきことだ。
何故ならこれが成せば、全てが丸く収まるから。
二番は子どもたち
健康に、健全に、立派に育てることを優先する。
其の為に何がベストなのだろう。
わからない。
わからない。
…結局答えは出なかった。
両親には、妻と相談するとしか言えなかった。
それ以上は、答えられなかった。
両親には、私の葛藤を伝えた。
さらに、子どもたちの前でこの事を話すことへの葛藤も話した。
子どもたちの前で、妻の死や病気について話し合うのは、どう考えても不健全だった。
少し理解してもらえたようだった。
でも、少しの軋轢を感じた。
母は言う。
子どもたちの世話は、大変だと。
そのとおりだ。
だから、背負わせたくないんだ。
私は、これまでの両親との関係が好きだった。
深く干渉をせず、ただ、行事の度に集まって騒ぐ。
それが、楽しいところだけを共有できている気がして、本当にちょうど良かったのだ。
だから、多少困っても、助けてと気軽に言えたのだ。
わたしは、実家に帰ってから、助けてと言いづらくなっていた。
帰る時にお惣菜を持たせてくれということさえ、ためらった。
それくらい、色んなことに申し訳ない。
この事を、明日愛ちゃんに話すべきか迷っている。
愛ちゃんは強い嫁さんだと思い込んで、伝えるべきか。
それとも、正月くらいは楽しく過ごそうか。
難しい。
私は、どうすればいいのだろう。