子どもたちを迎えに行き、洗濯、風呂をこなす。
長女が昼寝をしていないせいで、たまにぐずるが、上手くなだめながら家事をこなす。
夕食を食べながら、妻が不在で子どもたちと過ごすのが初めてだと気づく。
妻が体調を崩してから、子どもたちの世話をすべてやっていたので、全く気にならなかったが、それでも寂しさがこみ上げてくる。
何となく、妻の名前を呼ぶ。
愛ちゃん。
私の心の中で、妻が、
なーに?
と応える。
私の中に妻がいるのを確認し、安心する。
本当は、本物に返事をしてほしいのだけど。
もう一度妻を呼ぶ。
愛ちゃん。
なんでママを呼ぶの?
長女が言う。
妻の真似をして、
なーに?
と言う長女
わかっているじゃないか。
妻は、今も私と長女の中にいる。
まだ死んでないけど。
でも、そばにいなくても、そばにいれた気がした。
妻がもし亡くなった時、私は、妻を何度も呼び、そして、私の中の妻と話すのだろう。
これが、夫婦になるということなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、やっぱり寂しくなって、夕食を食べながら、妻に電話をする。
妻は、病衣を着ていた。
電話をできるのが、ロビーや公衆電話の中だけとのことで、妻は公衆電話の中で電話していた。
本物の妻の声を聞き、嬉しくなる。
やっぱり本物は良い。
テレビ電話にすると、思ったより元気な妻に驚く。
座ったまま、たまに笑う妻。
朝は痛いと言って横になっていたから、てっきり電話もできないと思っていた。
今日は、緩和ケアの先生の診察を受けて、その後検査をいくつもしたらしい。
昼ご飯を三分の一食べて、あれこれと忙しくしていたそうだった。
でも、吐いたりはせず、案外家事をしていたほうが調子がいいかもしれないとのことだった。
また、妻の吐き気と痛みはガンによるものではなく、ガンが腸の動きを鈍らせたためであろうとのことで、その症状を緩和する薬を明日から処方してもらう。
緩和ケアの先生から、ほかの臓器は健康だと言われたと嬉しそうに話す。
先生に、子どもたちはの送迎をしたいと言っていたが、十分可能だと言われたらしい。
私も妻も、痛みの原因がわかったことが嬉しかった。
また、痛みとの付き合い方がわかりそうで、日常を取り戻せそうな気がした。
こんなにうれしいことはない。
早めに入院して、治療を受けて、良かったと思う。
子どもたちは、ママママ!と言って、妻を呼ぶ。
長男は画面に顔を近づけ、ニコニコして、長女は昨日の余りのチキンを頬張り、おどけて見せる。
妻は子どもたちを呼び、ケラケラ笑う。
その姿が嬉しくて、私も変顔して妻を笑わせる。
嬉しくなって、子どもたちと3人で変顔をする。
可愛いのが3人。
と、嬉しそうに言う妻。
久しぶりに食事の時に笑って過ごせた。
本当に嬉しかった。
長男がぐずり始めたので、電話を切って長男をおんぶしたまま家事をこなす。
父と友人から心配の電話が来たので、妻の様子を伝え、妻の容体が良くなったと喜んだ。
もちろん、まだわからない。
でも光明が見えたのは間違いなかった。
父とは、自由診療を含めてほかの病院に移るべきか等を話した。
妻ががんセンターで頑張りたいと言っていること、がんセンターの先生を信じていること。
それを取り上げるのは、リスクがあると父は言う。
でもそれは、妻の気持ちと免疫力という見えないモノに縋るようで、私は嫌だった。
少し嫌でも、治る可能性があるのなら。
そう考えてしまう。
今日先生にいくつかの自由診療や先進医療の効果を効いたが、先生の反応は悪かった。
末期がんが必ず治る治療方法はない。
それは、変わらないのだと改めて知る。
それなら、妻をバックアップするしかないのだろう。
退院したら、一応妻に転院について話し合おうと思う。
多分がんセンターを信じる一択だが、その言葉をきちんと聞いておきたい。
これから、いくつこのような選択を迫られるのだろう。
その先に、私達の幸せはあるのだろうか。
7時半ころ、子どもたちを寝かせる前に再び電話をする。
夕食は各おかずを一口ずつしか食べれなかったとのことだった。
疲れて、吐き気があるとのことだった。
テレビ電話に映る妻は、家で苦しんでいた時の妻と同じ顔色になっていた。
今日は早く休むと言い、電話を切る。
子どもたちを寝かせる。
長男が夜泣きをするので、先程から起きてしなぷしゅを見せながら落ち着かせている。
一度寝かけて布団に入るが、私の歯に頭突して泣き叫ぶ。
それはお前のせいだろ。
とツッコミつつ、もう一度しなぷしゅからやり直す。
妻のガンを知るまで、私は周囲に比べて育児をする方だったが、それでも長男の夜泣きは苦手だった。
睡眠時間を削られ、自分の時間を削られ、耳元で大声で泣き叫ばれる。
本当に辛かった。
でも、最近は違う。
仕事を休んでいることもあるが、長男の夜泣きを苦しむことはなくなっていた。
夜泣きする長男を愛おしくさえ思う。
妻と何度も話した。
私達は一心同体だと。
離れていても、死んでも、私の中に妻がいて、妻の中に私がいると。
この慈愛は、妻と一心同体になれた証なのかもしれない。
今日家事をこなして、妻ならこうすると思うことが多かった。
私の中の妻が、家事について口を出す。
離れていても、2人で子育てしているようだった。
妻よ。
私の中の妻よ。
口出ししてくれるのは、寂しくなくて嬉しいが、やっぱり手が足りないのだ。
早く元気になって、2人で家事と育児をやろう。
今度はもっと手伝うから。