その喜びが込み上げて、俺は二人の前で泣いてしまった。
しばらくして、ようやく気持ちが落ち着いてくる。
久しぶりにエレナに身支度を手伝ってもらい、俺は一階へと降りていった。
着替えを整え、髪もきちんと直してもらった。
こうしてエレナに世話をしてもらうのも、本当に久しぶりだ。
いつもなら自分でできることでも、昔から慣れ親しんだ人にやってもらうと、なんだか安心する。
そんなことを考えながら階段を下り、玄関ホールへと足を踏み入れた。
そして――
「…………え?」
思わず足が止まった。
ホールには、見覚えのある顔が並んでいた。
ベアトリスをはじめとする、武術侍女たちだった。
「えーーーーーっ!?」
思わず大声が出た。
「な、なんでいるのーーー!?」
驚きが一気に吹き飛び、俺は駆け出した。
そして、そのままベアトリスに飛びつく。
「ベアトリス!」
「わっ!? ア、アルヴィン様!?」
突然抱きつかれたベアトリスが、慌てて俺を受け止めた。
そんなことはお構いなしに、俺は彼女をぎゅっと抱きしめる。
「会いたかった!」
「そ、それは……私もです、アルヴィン様」
ベアトリスの声が、少しだけ震えていた。
顔を上げると、彼女は困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべている。
俺はベアトリスから離れると、今度は隣にいた武術侍女に抱きついた。
「みんなも!」
「まあ、アルヴィン様ったら!」
「ふふっ、ずいぶん甘えん坊になられましたね」
「本当に大きくなられましたねえ」
次々と抱きついていく俺を、彼女たちは笑いながら受け止めてくれた。
そして、俺の頭に手が伸びる。
わしゃわしゃ。
わしゃわしゃわしゃ。
「ちょ、ちょっと! 髪が乱れるって!」
そう抗議しても、誰も手を止めてくれない。
「よしよし、よく頑張りましたね」
「大変でしたね、アルヴィン様」
「もう、皆さん! アルヴィン様が困っていらっしゃいます!」
ベアトリスが止めようとしてくれたが、彼女自身も俺の頭を優しく撫でている。
……いや、これ。
俺、完全に犬扱いされてない?
昨日は、五百人近い賊との戦いだった。
領主として判断を下し、作戦を指揮して、戦いの後も後始末に追われた。
正直、心身ともに疲れ切っていた。
それでも、こうして懐かしい顔に囲まれていると、張り詰めていたものが少しずつ緩んでいく。
みんなに頭を撫でられるのも、嫌じゃない。
むしろ、すごく嬉しい。
でもさ。
「……俺、犬みたいだ」
ぽつりと呟くと、武術侍女たちの笑い声が一段と大きくなった。
「ふふっ、可愛らしいではありませんか」
「アルヴィン様は昔から、こういうところがおありでしたね」
「ちょっと待って!? 昔から!?」
俺が慌てて聞き返すと、また笑い声が上がった。
……なんだろう。
みんながいるだけで、ここが懐かしい場所になった気がする。
* * *
その後、俺たちは食堂へ移動し、朝食を取ることになった。
リリア母様とエレナ、ベアトリスたち武術侍女。
久しぶりに大勢で囲む食卓は、いつもよりずっと賑やかだった。
あちこちで会話が弾み、笑顔がこぼれる。
俺も、いつもより食が進んだ。
誰かと一緒に食べる朝食が、こんなに嬉しいものだったなんて。
領主になってから、食事をする時間も、どこか仕事の延長のようになっていた気がする。
けれど、今は違う。
目の前には母様がいて、エレナがいて、ベアトリスたちがいる。
それだけで、胸の奥が温かくなった。
朝食を終えると、俺たちは談話室へ移動した。
食堂とは違い、落ち着いた雰囲気の部屋だ。
ソファに腰を下ろすと、みんなもそれぞれ席についた。
これから話すのは、領地の現状について。
そして、母様たちが王宮を離れて、ここへ来ることになった経緯だ。
「まず、領地のことなんだけど……」
俺は、昨日起きた賊の襲撃について話し始めた。
国境の関所から賊が侵入したこと。
賊たちがローデンの町に押し寄せたこと。
そして、事前に準備していた作戦によって、賊を撃退し、多数を捕らえることができたこと。
最後に、事件に関与していた代官を拘束したことも伝えた。
「今のところ、町の人たちに大きな被害は出ていないよ。領地の警備も立て直しているし、ひとまず安心していいと思う」
そう説明し終えたところで、俺はようやく息をついた。
これで、みんなも安心してくれるだろう。
……そう思っていた。
「アル」
リリア母様の声がした。
「はい?」
「危ないことをしないの!」
「……はい?」
思わず聞き返してしまった。
母様は笑っていなかった。
「あなたはまだ子供なんだから! そんな大勢の賊が襲ってきたのよ? 何かあったらどうするつもりだったの!」
「そ、そうです! アルヴィン様!」
隣からエレナも声を上げる。
「無茶は駄目だと、あれほど申し上げたではありませんか!」
「ええっ!? でも、俺は前線には出ていなかったよ?」
慌てて弁解する。
「周りには騎士もいたし、ちゃんと準備もしていたんだ。それに、俺だってけっこう強くなったんだよ?」
少しだけ胸を張ってみせた。
実際、以前の俺と比べれば、戦う力は大きく伸びている。
自分の身を守るくらいなら、以前よりずっとできるようになった。
……と思う。
しかし。
「アルヴィン様」
今度は、ベアトリスの声がした。
にこり、と笑っている。
けれど、その目は笑っていなかった。
「少し見ない間に、ずいぶんと調子に乗っていらっしゃいますね」
「えっ?」
「なるほど。ご自分がどれほど強くなったのか、確かめたいと?」
「いや、そういう意味じゃ……」
「分かりました」
ベアトリスは、実に爽やかな笑顔を浮かべた。
「後ほど、少し厳しめの鍛錬をいたしましょうね」
その瞬間。
周囲にいた武術侍女たちの目が、ギラリと光った。
「私たちもお手伝いしますね」
「せっかくですから、アルヴィン様の成長を確認しませんと」
「えっ、ちょっと待って!?」
俺は思わずソファの背もたれに身を引いた。
いやいやいや。
久しぶりの再会だよね?
感動の再会だったよね?
どうしてこうなった!?
リリア母様とエレナは、そんな俺を見て、ようやく少しだけ表情を緩めた。
けれど、二人とも心配していることに変わりはない。
……はい。
次からは、もう少し心配をかけないようにします。
たぶん。
そんな俺の心の声が聞こえたわけでもないだろうが、ベアトリスは満足そうに頷いていた。
どうやら、逃げ道はなさそうだった。
* * *
ひとしきり賑やかなやり取りが落ち着いたところで、今度は俺が尋ねた。
「それで……母様たちは、どうしてここに?」
本当は、さっきからずっと気になっていた。
リリア母様とエレナが来てくれたことだけでも驚きなのに、まさかベアトリスたちまで一緒に来るなんて思っていなかった。
リリア母様は、俺の顔を見て微笑んだ。
「少し前に、あなたからの手紙を受け取ったでしょう?」
「うん」
あの手紙で、俺は母様たちにこちらへ来ないかと伝えた。
領地の状況や安全対策についても、できるだけ詳しく説明したつもりだった。
「その後、王妃様ともお話ししたの」
「王妃様と?」
「ええ。私があなたのもとへ行きたいことを伝えて、了承していただいたのよ」
そうだったのか。
母様が王妃様と話をしていたことは知らなかった。
「国王陛下も、特に反対はなさらなかったわ」
母様は、どこかあっさりとした口調で続けた。
「あなたのもとへ行くことを伝えたら、すぐに許可してくださったの」
……父上らしいと言えば、父上らしい。
俺が王宮を離れることになったときも、あれほどあっさりと決められてしまった。
母様が王宮を離れることについても、特に引き止めるつもりはなかったのだろう。
もちろん、母様自身が望んだことなのだから、許可したこと自体は不思議ではない。
けれど、少し複雑な気持ちにはなった。
母様は、そんな俺の気持ちを察したのか、そっと微笑んだ。
「それでね。許可をいただいたら、あとは早かったわ」
「早かった?」
「ええ。引っ越しの準備を済ませて、すぐに王宮を出たの」
母様は、まるで当たり前のことのように言った。
「あなたがいない王宮に、これ以上未練はなかったもの」
その言葉に、俺は何も言えなくなった。
母様にとって、王宮での暮らしは、決して幸せなものではなかったのだろう。
俺がいなくなってから、なおさら。
それでも、母様は今、俺の目の前で笑っている。
その笑顔を見ていると、ここに来てもらえて本当によかったと思った。
「……そっか」
俺は小さく頷いた。
「来てくれて、ありがとう。母様」
「ふふっ。こちらこそ、迎えてくれてありがとうね、アル」
母様が優しく俺の頭を撫でた。
その手の温もりが、嬉しかった。
すると、今度はベアトリスたちが口を開いた。
「私たちも、リリア様についてくることにしたんです」
「え? みんなも?」
俺が驚いて聞き返すと、武術侍女たちは顔を見合わせた。
「はい。実は、以前から言われていたんですよ」
ベアトリスが、少し苦笑しながら説明してくれた。
「アルヴィン様のもとへ行くのであれば、勘当する、と」
「……勘当?」
思わず眉をひそめた。
そんな話になっていたのか。
「ええ。でも、私たちは別に構わないと思っていました」
ベアトリスは、迷いなく言い切った。
「私たちを雇ってくださったのは、アルヴィン様ですから」
その言葉に、他の武術侍女たちも頷いた。
「その後はリリア様にお仕えしていましたけれど、王宮での暮らしには、もううんざりしていたんです」
「……うんざり?」
「はい」
別の侍女が、少しだけ表情を曇らせた。
「リリア様への嫌がらせを、ずっと見てきましたから」
談話室の空気が、わずかに変わった。
「表立って何かを言う方もいれば、陰で嫌味を言ったり、わざと困らせたりする方もいました。貴族の方々の振る舞いを見ているうちに、あの場所にいること自体が嫌になってしまったんです」
「私たちだって、家族と離れるのは寂しいですよ」
別の侍女が、少し困ったように笑った。
「でも、二度と会えないわけではありませんから」
「そうです。それに……」
ベアトリスは、俺の方を見た。
「アルヴィン様のもとにいた方が、きっと楽しいと思ったんです」
「えっ?」
思わず間の抜けた声が出た。
「楽しいって……」
「だって、そうでしょう?」
ベアトリスは、当然のことのように言った。
「アルヴィン様は、私たちを道具のようには扱いません。私たちの働きを認めてくださいますし、頑張ったこともきちんと見てくださいます」
「それに、アルヴィン様の周りでは、いつも何か新しいことが起きますからね」
「そうそう。退屈する暇がありませんもの」
武術侍女たちが、次々と口を挟んだ。
……いや。
それ、褒められているんだよね?
俺は少しだけ不安になった。
確かに、領地に来てからはいろいろなことが起きている。
領地の整備に、新しい町の開発。
賊の襲撃に、代官の逮捕。
……うん。
確かに、退屈とは無縁かもしれない。
「それに、これからはアルヴィン様のおそばで、またお仕えできますから」
ベアトリスは、真っすぐに俺を見つめた。
「私たちは、それが一番嬉しいんです」
その言葉を聞いて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
母様も、エレナも、ベアトリスたちも。
みんな、それぞれの事情があって、ここへ来てくれた。
王宮での立場や、貴族としてのしがらみ。
家族と離れる寂しさだって、きっとあるはずだ。
それでも、俺のもとへ来ることを選んでくれた。
「……そっか」
俺は、みんなの顔を見回した。
「みんな、来てくれてありがとう」
今度は泣かない。
そう思ったのに、少しだけ目の奥が熱くなった。
「これからも、よろしくね」
俺がそう言うと、みんなが笑顔で頷いてくれた。
……ただし。
「では、アルヴィン様」
ベアトリスが、にっこりと笑った。
「午後の鍛錬を楽しみにしていてくださいね」
「まだその話、終わってなかったの!?」
談話室に、また笑い声が響いた。
どうやら俺の新しい生活は、思っていた以上に賑やかなものになりそうだった。