月明かりのない空の下、町は静寂に包まれている。
家々の窓には明かりもなく、住民たちはすでに眠りについていた。
そんな静かな町で、門がゆっくりと開き始める。
ギィ……。
軋んだ音が、夜の闇に溶けていく。
開いた門の向こうから現れたのは、厳つい顔つきの男たちだった。
身に着けている武具は、統一感がない。
使い古された革鎧に、傷だらけの金属鎧。
手にしている武器も、剣や斧、槍など様々だった。
まともな軍隊とは到底呼べない。
しかし、その人数は尋常ではなかった。
男たちは互いに目配せをしながら、次々と町の中へ入り込んでいく。
これから始まることを想像しているのか、彼らの口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
抵抗する者などいない。
眠っている住民を襲い、金目の物を奪い、逆らう者がいれば力でねじ伏せる。
そんな光景を思い描いているのだろう。
彼らにとって、今夜は獲物を狩るための夜だった。
やがて、町の門前にある広場へ、男たちが集まり始める。
一人、また一人。
その数は増え続け、ついには総勢五百人に達した。
広場は、男たちの姿で埋め尽くされていた。
「よし、全員いるな?」
ひときわ体格のいい男が、周囲を見渡しながら声を張り上げた。
賊たちを率いる、リーダー格の男だった。
「まずは二手に分かれろ。逃げ道を塞いで、屋敷へ向かう連中は俺の合図を待て。住民どもを起こすなよ。騒ぎになったら面倒だ」
男は、これから始まる襲撃を疑っていなかった。
関所は問題なく通過できた。
町の門を開ける手引きも、予定どおりだった。
衛兵も買収済み。
領主側が異変に気づいている様子もない。
あとは、計画どおりに動くだけ。
そう考えていた、そのときだった。
ギィ……。
背後から、再び軋む音が聞こえた。
男が振り返る。
町の門が、ゆっくりと閉じ始めていた。
「……あ?」
最初は、誰かがうっかり閉めたのだと思った。
だが、門は止まらない。
重々しい音を立てながら、少しずつ閉じていく。
やがて、大きな音とともに門が閉ざされた。
広場に、奇妙な沈黙が落ちる。
「おい……どういうことだ?」
賊たちの間に、ざわめきが広がり始めた。
「誰が門を閉めた?」
「いや、俺じゃねえぞ」
「衛兵どもは何をやってやがる?」
リーダーの男は、苛立たしげに舌打ちした。
「誰か馬鹿が閉めやがったのか?」
周囲を睨みつけ、怒鳴り声を上げる。
「おい! 誰が閉めやがった!」
返事はない。
「後でぶっ殺してやる!」
そして、近くにいた賊の一人を指さした。
「おい、お前! 門の様子を見てこい!」
「はっ!」
命じられた男は、周囲を警戒しながら門へと近づいていく。
あと少しで門に手が届く。
その瞬間だった。
ヒュッ。
闇を切り裂く、かすかな音。
次の瞬間、男の頭に矢が突き刺さった。
「……がっ」
短い声を漏らし、男はその場に崩れ落ちた。
バタリ。
誰もが、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
倒れた男を見つめる賊たち。
そして――。
ヒュヒュヒュヒュッ!
四方から、矢の雨が降り注いだ。
「伏せろ!」
誰かが叫んだ。
だが、その声が響き終わる前に、何人もの賊が矢を受けて倒れていく。
「敵襲だ!」
「どこから撃ってやがる!」
「壁際へ逃げろ!」
広場は一瞬にして混乱に包まれた。
身をかがめ、近くの建物の陰へ飛び込む者。
倒れた仲間の体を盾にして、必死に矢を防ぐ者。
何が起きているのか分からず、門へ向かって走り出す者。
指示を出そうにも、飛び交う矢と怒号に声がかき消される。
賊たちは、完全に不意を突かれていた。
相手が誰なのか。
何人いるのか。
どこに潜んでいるのか。
そのすべてが分からない。
一方的な攻撃に、彼らの顔から余裕が消えていく。
しかし――。
五百人の賊が、全員同じようにうろたえていたわけではなかった。
広場の一角に、明らかに様子の違う集団がいた。
およそ五十人。
他の賊たちと比べ、身に着けている装備が明らかに良い。
鎧は手入れされ、盾も統一感がある。
そして、何よりも彼らは落ち着いていた。
矢が降り注ぐ中、互いに声を掛け合いながら素早く集まる。
前列が盾を構え、後列がその隙間を埋める。
個々が好き勝手に動くのではなく、仲間と連携して矢を防いでいた。
「盾を上げろ! 固まれ!」
一人の男が叫ぶ。
その声に従い、集団は防御を固めた。
矢が盾に突き刺さり、乾いた音が連続する。
やがて、矢の勢いが弱まった。
その瞬間、彼らは動いた。
「門から離れろ! 反対側へ抜けるぞ!」
判断は速かった。
この場に留まり続けるのは危険だ。
ならば、攻撃の手が薄い場所へ移動し、態勢を立て直す。
彼らは集団の形を崩さず、広場の反対側へ向かって走り出した。
だが、それもアルヴィンの想定の範囲内だった。
町の中へ賊を散らばらせてしまえば、状況は一気に複雑になる。
路地に入り込まれれば、こちらの兵も少人数で対応せざるを得なくなる。
住民の家へ逃げ込まれたり、建物を盾にされたりすれば、戦いは長引き、被害が増える可能性もある。
だからこそ、町の中で自由に動ける場所を減らしておく必要があった。
各道路には、あらかじめ簡易的なバリケードが設置されていた。
賊たちが移動を始めると、待機していた眷属たちが連携し、通路を塞いでいく。
木材や荷車を利用した障害物が、次々と道をふさいだ。
「くそっ! こっちも塞がれてやがる!」
「別の道だ! 回り込め!」
精鋭集団は、すぐに進路を変えようとした。
しかし、別の道にもバリケードがある。
正面から突破するしかない。
そのとき、集団の後方から一人の男が進み出た。
男は、杖を構える。
周囲の空気が、わずかに揺らいだ。
「詠唱だと……?」
眷属の一人が気づいたときには、すでに遅かった。
男の口から呪文が紡がれ、杖の先に赤い光が集まっていく。
次の瞬間、炎が生まれた。
ゴウッ!
放たれた炎がバリケードへと激突する。
爆ぜるような音が響き、木材が砕け散った。
炎と煙が夜空へ立ち上り、塞がれていた道に突破口が開く。
「今だ! 突っ込め!」
精鋭集団は、一斉に走り出した。
その動きには迷いがない。
明らかに、ただの賊とは違う。
魔法を扱う者がいるだけでも厄介だが、それ以上に、彼らは戦況を見て判断する能力を持っていた。
アルヴィンは、離れた位置から戦場を見渡していた。
念話を通じて届く情報と、眷属たちからの報告。
それらを照らし合わせながら、戦いの流れを把握している。
「……やっぱり、あの五十人は別格か」
普通の賊なら、ここまで組織的には動けない。
装備の差もそうだが、状況が悪くなったときの判断が速い。
このまま放置すれば、町の中で混戦になる可能性が高い。
そうなれば、こちらにも被害が出る。
アルヴィンは、唇を引き結んだ。
せっかく住民への被害を抑えるために準備したのだ。
このまま相手のペースに持ち込ませるわけにはいかない。
彼は、精鋭集団を監視している眷属の指揮官へ念話を送った。
『今すぐ、部隊全員に目を閉じるよう指示してくれ』
『全員ですか?』
『そうだ。理由は後で説明する。合図があるまで、絶対に目を開けるな』
一瞬の間を置いて、返事が届いた。
『承知しました。部隊へ伝達します』
アルヴィンは、精鋭集団の動きを見つめた。
魔法を使える者がいるのなら、こちらも魔法で対処する。
ただし、無差別に攻撃するつもりはなかった。
狙うのは、敵の動きを止めること。
そして、その隙を使って、できるだけ相手を傷つけずに無力化することだった。
やがて、念話が届く。
『アルヴィン様。部隊全員、目を閉じました』
「よし……」
アルヴィンは、静かに息を吸った。
そして、魔法を発動する。
狙いは、精鋭集団の中心。
光魔法によって生み出された光が、夜の広場を一瞬で塗りつぶした。
閃光。
それは、単に明るいというだけのものではなかった。
暗闇に慣れた目に、至近距離から強烈な光を浴びせられたような衝撃。
精鋭集団の男たちは、突然の光に目を押さえ、叫び声を上げた。
「ぐあっ! 目が!」
「何も見えねえ!」
「どこだ! 敵はどこにいる!」
視界を奪われた彼らは、たちまち動きを乱した。
盾を構えようにも、仲間の位置すら分からない。
魔法士も、次の詠唱へ移ることができない。
その一瞬を、眷属たちは逃さなかった。
「今だ! 武器を叩き落とせ!」
「盾を押さえろ! 抵抗できない者から拘束しろ!」
事前に指示を受けていた部隊が、一斉に動き出す。
目を閉じていた者たちは、閃光が収まるのを待ってから行動に移った。
武器を持つ手を押さえ、盾を奪い、倒れた者には素早く拘束具をかける。
抵抗する者もいたが、視界を失った状態では、組織的な反撃はできなかった。
魔法士も、詠唱を再開する前に取り押さえられた。
精鋭集団の動きが止まると、戦場の状況は一変した。
指揮を執る者がいなくなった賊たちは、次第に統制を失っていく。
その後も眷属たちは連携を崩さず、逃げ道を塞ぎながら、抵抗する者を一人ずつ無力化していった。
やがて、広場に響いていた怒号も少しずつ減っていく。
剣戟の音が途絶え、抵抗する声も聞こえなくなった頃。
五百人の賊は、ほぼ全員が討伐、あるいは捕縛された。
戦いは、終わった。
アルヴィンは、すぐには安堵しなかった。
戦闘に勝つことと、こちらの被害が少ないことは別の話だ。
「負傷者の確認を急いでくれ。重傷者を優先して手当てを。捕らえた者の武器も、確実に回収するんだ」
念話を通じて、各部隊へ指示を出す。
しばらくして、報告が届き始めた。
眷属たちの負傷者は出ている。
だが、幸いにも――。
「アルヴィン様。こちらの部隊に、死亡者はいません」
その報告を聞いた瞬間、アルヴィンは大きく息を吐いた。
「……そうか。よかった」
思わず、肩の力が抜ける。
誰も死ななかった。
それだけで、どれほど救われたことか。
もちろん、負傷者がいる以上、何もかもが無事に終わったわけではない。
それでも、事前に準備を重ね、戦い方を考え、仲間たちと相談してきたことが、少しは実を結んだのだと思えた。
アルヴィンは、ゆっくりと目を閉じた。
自分の判断で、この戦いを起こした。
賊が町へ侵入することを許し、内通者をあぶり出すために、あえて迎え撃つ場所を選んだ。
その結果が、目の前にある。
勝利したからといって、すべてが正しかったと断言することはできない。
けれど、少なくとも、守りたかった人々を守るために、自分のできる限りのことはした。
そう思いたかった。
やがて、アルヴィンは戦場となった広場へ足を運んだ。
そこは、先ほどまでとはまるで違う場所になっていた。
地面には血が流れ、壊れた武器や盾が散乱している。
矢が突き刺さった木箱。
砕けたバリケード。
倒れたまま動かない賊たち。
周囲には、血の匂いが漂っていた。
戦いが終わったという実感よりも、目の前の光景が現実なのだという事実のほうが、強く胸に迫ってくる。
アルヴィンは、思わず視線をそらした。
人が傷つき、倒れている。
それは、魔物との戦闘で何度も経験してきた光景とは違っていた。
相手は人間だ。
敵として戦った相手であっても、同じ人間であることに変わりはない。
その事実が、頭から離れなかった。
そんなとき、転生時に得たスキルが働いた。
あまりに凄惨な光景に対し、視界に自動的なモザイクがかかったのだ。
アルヴィンは、思わず小さく息を吐いた。
「……助かった」
この世界に来る前の自分なら、こんな光景を目の当たりにすれば、きっと強い衝撃を受けていただろう。
いや、今だって平気なわけではない。
見なくて済むのなら、それに越したことはない。
もしかしたら、こうした光景は、いつまでも心に残るのかもしれない。
そう考えると、視界を和らげてくれるこのスキルには、感謝せずにはいられなかった。
もっとも、モザイクがかかったところで、目の前で何が起きたのかまで消えるわけではない。
自分が命じた作戦によって、こうなったのだ。
その事実から逃げるつもりはなかった。
アルヴィンは、しばらくその場に立ち、現場の処理を見守った。
負傷者は運び出され、捕縛された賊たちはまとめられていく。
武器や装備も回収され、広場の各所では、眷属たちが忙しそうに動き回っていた。
まだ、やるべきことは多い。
捕らえた者たちの身元を確認し、関所で手引きをした兵士や、町の門を開けた内通者を特定しなければならない。
賊を裏から支援していた者がいるのなら、その証拠も集める必要がある。
戦いが終わったからといって、問題がすべて解決したわけではなかった。
それでも、今夜の襲撃は食い止めた。
ローデンの町が、賊の手に落ちることはなかった。
そして、少しずつ空が白み始めた。
遠くの森の向こうから、朝日が昇ってくる。
「……もう朝か」
アルヴィンは、疲れた声で呟いた。
長い夜だった。
戦闘そのものは、想定していたよりも早く終わった。
だが、報告を受け、状況を判断し、指示を出し続けた時間は、思っていた以上に長く感じられた。
朝の光が町並みを照らし始めると、家々の扉が少しずつ開き始めた。
物音に気づいていた住民もいたのだろう。
不安そうな顔をした人々が、恐る恐る外へ出てくる。
やがて、広場の周辺には、何が起きたのかを確かめようとする野次馬が集まり始めた。
彼らの視線は、壊れたバリケードや、片付けられていく武器、忙しく動く兵士たちへ向けられている。
昨夜、何が起きたのか。
なぜ、これほど大勢の兵士が集まっているのか。
そして、自分たちの町は、これからどうなるのか。
住民たちが不安を感じるのも無理はなかった。
アルヴィンは、その様子を少し離れた場所から見つめていた。
きっと、彼らも怖かっただろう。
夜中に響いた物音や、遠くから聞こえた叫び声。
何が起きているのか分からないまま、朝を迎えた者もいるはずだ。
領主として、住民たちに安心して暮らせる環境を用意したかった。
そのために、今回の作戦を実行した。
だが、戦いが終わった今、住民たちの不安を取り除くことも、自分の役目だった。
アルヴィンは、集まった人々を見渡した。
まずは、何が起きたのかを説明しなければならない。
そして、今後も町の安全を守ることを伝える必要がある。
すべてが元どおりになるには、まだ時間がかかるだろう。
それでも、ここから先は、領主として自分が責任を持って進めていく。
アルヴィンは、朝日に照らされたローデンの町を見つめながら、静かに決意を固めた。