朝から福島の情報が錯綜する


ともだちからの情報で茨城空港が使えることをしり、なんとか17日 の飛行機を予約


しかし、刻々とひどくなる原発情報に、17日まで待てないと思い、
名古屋出身のともだち夫婦と相談し、一緒に急遽正午すぎ茨城をたって高松に向かうことに。


ひなたに「高松でいくつおとまり~?」と聞かれ、答えられないことに涙

パパにお別れをいえず、家もグシャグシャのまま、まさかこんな形で家を離れることになるなんて


眼鏡とマスクで涙をひなたに見られんようにする

ひなたは超怖がりだから

私が泣いてたらひなたが怯えちゃうから



高速も電車も動いてないから、車→バス→電車→電車と乗り継ぎ、途中計画停電で足止めもあり、
本来なら2時間でつく東京が10時間



そこからさらに新幹線
しかも新幹線が静岡の地震の影響で止まる

それでもしばらく待てば動き出す

1時間半でつく名古屋まで5時間半

名古屋到着 深夜三時半


名古屋発の 始発6時20分まで乗ってきた新幹線で待つ

朝5時に掃除しますから新幹線から下りてください~て言われたときはがーん



それでもそれでもなんとか高松に戻ってきました


ともだち夫婦がいなければ絶対無理だった
あとおにいさん夫婦の援護メールにどんなに励まされたことか



ほかにも人の優しさや思いやりにふれることが多々ありました



悪いことばっかりじゃない



地震のあとはひとの顔をみるだけで安心できるので、社宅でもいつもよりずっと挨拶や声をかけあうことが多かった


おかげで超恥ずかしがり屋のひなたが知らないおじさんに自分からおはようございますって言えるようになった!


6階まで階段で一日何度も往復したため、ひなたの体力が増した!


開が泣いたらあやしてくれたり、ひなたがすごくお姉さんになった



停電中わりと節食してたせいか開の食欲が倍々倍増→いいことなのか?



こどもがいると大変なこともあったけど、それ以上にふたりの無邪気さに助けられた

ふたりの前で明るくしとかな、と鼓舞してたおかげで、心を強く保てたと思う



実家に帰ってからは、心が緩んでか夜中に目がさめては、ネットで情報みて不安にかられ涙がとまらん



とりあえず早く原発がよき方向に動きますように