治療の副作用で右手が痛くて握れず

ハサミが使えず
包丁が使えず
靴下がはけなくて
ペンで文字が書けず
車のハンドルが握れず

つらい、どうしよう・・・

そんな日がありました。

こんな風に思うときって
病気のとき以外にもあると思うんです


主人にその話をしてたら
「それはやっぱり副作用なの?内観してどうなの?」
その手があったね

内観とは別の言葉で言うと
潜在意識の物語を聞いていく作業です
ハートの声に耳を傾ける時間


深呼吸して意識を澄ませると
『右手に感情が付いている』
原因はコレだね
自分で気づくようになるのに3年かかりました

かかったけど

気づけるようになったことがうれしい
思考を通さないで感じること
ダイレクトに受けとること

身体の声はこころの声だから


訪問ありがとうございます
こころと身体のセラピストtacakoです

療養中のセラピストだから書けることを
つづってみたいと思います





潜在意識に問いかけていくと
「右手が痛くて悲しい」
そんな思いが聞こえてきました

あっ、わたし、悲しいのね

自分の気持ちって
あんがい、わかってないものです
セラピーしていきます

すると、
「副作用が出る治療への怒り」が出てきて
潜在意識にしまってあった
ハートの声が話しはじめます

「疲れた・・・治療を休みたい・・・」

うわっ
わたし、そんなことを思っていたとは。。。
と関心するのは後にして
(疲れたとか、休みたいは、ストーリーだから
ストーリーに同化しないのがポイント)

さらにセラピーで受容していくと
もっと教えてくれます


「まだ頑張らないといけないの・・・?」


気づいてなかった思いや感情が
ひとつひとつ浮かび上がってきます

丁寧にぜ〜んぶ受け取っていくと
手から感情が外れ
右手が軽くなりました

マッサージしたわけでもなく
身体症状が改善されてしまう
心理セラピーの奥深い世界です

***

今回もたくさんの思いが出てきたけど
それらの思いを持っているのは
自分を守ったり、より良くいられると
本気で信じているからです
誰よりも“わたし”を愛してる“ワタシ”が信じてる

”ワタシ“とは、自我とか、マインドと呼ばれるもの

自我、マインド、が語るビリーフやストーリーは
いらない!って思うようなことが多いけど
根源はとても大切な自己愛なのです
だから持っていてもいい


今回のワークだと
こころの底では頑張りたくないから
「頑張らないといけないの?」と言うわけですが

まだ頑張らないといけないと思ってるのは
誰でもない潜在意識のワタシ自身です

だって潜在意識では「まだ頑張れると信じてる」から

このマインドの思いは
「頑張りが足りない自分はダメだ」と言う思いを経由し

「もう二度とあんな後悔したくない」

そんな決意を通り抜けたさらに先で
深いところで愛へとつながっているのです


この感覚を理屈ではなく
ハートで受け取った瞬間
体験してる現実が変化していきます

誰も責める必要がないとわかるから
生きやすくなるとも表現します

***

今回、右手に付いていた思いと感情は
10年くらい前に腱鞘炎になったときのものです

あの時の痛みは今よりもひどかった
全治四ヶ月の腱鞘炎

潜在意識ではその時の感情が
その時のまま焼き付いていたのです
トラウマとも言います


(メンテ楽なちょっと男性的な水景しあがり)

実際の痛み以上に辛さを感じてたのは
痛みにストーリーが乗っているから
身体に感情が付いてるとも表現します

ストーリーが外れると
握る、掴む動作ができなかったはずが
ピンセット使って水槽に水草を植えることができたし

餃子を皮から手作りしちゃうし
チーズ入りナンも作りました

右手、使えるじゃん❤
ね。面白いよね
痛みはあるのに使えるのです





症状がつらくて薬に、何かに、頼ったり
時には誰かに、何かに、八つ当たりしちゃう
それくらい辛いことあると思うんです
そんなとき、辛いという感情を癒すだけでも
楽になることがあります

こころと身体はつながっているから❤
こころや身体を癒す方法は色々あるのです

***

そして最後まで残っていた痛みの原因は
傘のトラウマを主軸として
2つのトラウマがリンクしてました

手が痛いと
傘を握らなくてすむから
傘なんていらないって言えるから

本当は母に傘を持ってきて欲しいのに
強がってみたかったんだね・・・

頑張ってたんだね・・・


幼少期の記憶
傘のトラウマは何度もセラピーしてますが
やっとその気持ちに気付くことができました


すごく頑張ったよね

後悔なんてしたくないって思うくらい
人生を精一杯生きてきた
それくらい生きることを謳歌してきたね

これからもそれくらい満喫しちゃってもいいよ
後悔するくらい満喫してもいい
疲れたら疲れてもいいよ
休みたいなら休んでもいいし
甘えてもいい

頑張らなくてもいい

頑張っているときも
頑張っていないときも
生命の鼓動をいつも感じているね・・・


今は握れないという症状があるだけです

最近は副作用が出ると、症状を受け取って
頑張ってる身体に感謝が溢れてきます

副作用があるから辛いんじゃないの





こころの傷をひとつひとつ丁寧に癒してあげること
それは何回やったとか
どれだけやったとか関係なくて
誰がどうにかするものでもなく

本当に気づきたい思いを自分自身で気づき
自分自身が受けとること
それが癒しになるのです
ハイヤーセルフにつながるとも言います

きっかけはセラピストも作れますが
癒しは自分自身が起こすもの
これは
誰も責める必要がないと同じ意味なのです

誰も何も悪くないから
すべては愛にたどり着く

***

後日談。
2月のCT検査で写ってたものは
きれいに無くなってるのを確認しました(4月)
これに対する治療はしてません
本来の身体って完璧なんだなぁって感心してます

それに、病気のときも、健康なときも
身体はいつも機能してるだけなんだよね
心理学の“投影”がはたらくことで
良し悪しを感じてこころが動く

わたしがいる。
何かがある。
この“わたし“も投影ですが。


副作用が強く出てるわりには
腎臓や肝臓は健康そのもので
身体のエネルギーは本来の姿を維持してます
そうしていられるのも
いろんな人やモノに支えてもらっているからです

生かされてるの意味が
最近ようやくわかるようになってきました

***

よりよく幸せであることをマインドは求めるけど
安心、安泰、平安って平凡なときにある

よりよくと思うことが悩みを作り出し
不幸な気持ちが静かに忍び寄ってくる

よりよくを求めることそれは
適度な不安はバイタリティーを生みだし
過度な不安は不幸への面舵になる

すでに幸せだと気づくだけで
いつでも幸せになれる
それだけのことなんだよね

幸せと不幸の感覚を行き来しながら
なんども幸せを抱きしめる
どちらもあって生きる醍醐味


自我の解体は楽しい

悩みがないとき
それが本当のあなた

気づいてないだけで
幸せは片時も離れず
いつもあなたに寄り添っている

生きづらさを感じるってことは
生きやすさを感じれるんだよ

辛いと思ってもいいんです
辛い気持ちなんて持ちたくないと抵抗することは
楽に生きる方法をわかってるってことなのです


読んでいただき、ありがとうございます

こころと身体のセラピスト☆tacako