私たちは、父が祖父に勘当されて家を出る事になりましたが、 その事で祖父を嫌いになることはありませんでした。

祖父には感謝の気持ちしかありません。
怖いけど優しさのある祖父でした。

跡取り息子であっても勘当せざるを得なかった祖父が一番辛かったろうと思いました。

父の作った借金はどうなったのか、 おそらく、祖父が精算したのだと思います。

父も母もその事については一切触れませんでした。  私も敢えて聞く事はしません、

その事で以前の悲しい出来事を思い出させても皆が辛くなるだけですから、

新しい未来の環境に向かって生活に不安を覚えながらも、前に向かって進んで行かなければならないのです。

ても私には、不安感等、全くありませんでした。 新居に行って違う環境に住める事のほうが嬉しくて、うきうきしていました。

それと父が戻って来て家族のために頑張って、くれる、母が一日中座ってする針仕事から解放される、と思うと、
精神的苦痛や、体の痛み、生活の苦しみがなくなるのでは、と嬉しくて堪りません。

私は物心ついた時から、母の心から喜んでいる顔を見た記憶が無かったのです。

もしかすると、私の赤ちゃんの時、 栄養状態が悪く母乳が出なくて、 

知り合いの家からヤギのお乳を貰ってきて私を育てて来た事で、 心から喜べなかつたのでしょうか、

私は母が可哀想で、大人になったら早く楽にさせてあげたいといつも思っていました。

それと引っ越しは、兄が一番喜んでいたと思います。 

とうとうその日がやって来ました、大八車に荷物を積んで引っ越し先に向かいました。

皆さんは大八車をご存知ですか?さしずめ木製のリヤカーで5~6㍍の細長い荷車といつた所ですか、
分かりやすく言えば、時代劇のテレビドラマで商家の店先や米問屋の庭先等に荷物を積んで運ぶアイテムとして、写ってる事が多いです。

荷物と言っても、小さなタンスとちゃぶ台、布団に三球ラジオ、食器類、その他はとるに足らない小物ばかりで、決して多くない荷物でしたので、空いたスペースに一歳になる妹を乗せて出発しました。

祖父の家からさほど遠くなく、精々2~3㎞程でしたが夏の暑い日射しの中で大八車を押して坂道を登るのは中々大変でした。

父が先頭で母は身重でしたが妹を乗せている最後尾、私と兄は側面について押しましたが汗だくです。
途中何度も休み休みました。

今なら引っ越しセンターで任せて安心かな、
やっと目的地に着きました。
しかしそこは、二件長屋の平屋の一件です。

祖父が昔、療養に使った所で水道設備もなく古い隙間だらけの家でした、

押し入れも半間の物が1つしかなく、六畳一間で、屋根もけっこう傷みがあるようでした。

入り口の建てつけもかなりな物でしたが、取り敢えず荷物を下ろして、大八車を返しに行く父を見送りほっと一息つきました。

もう、私達の未来は貧乏したとしても、皆で力を合わせて楽しい生活が送れると思っていました。……