小学三年生になりました。
そして仲の良かった女の子のエムちゃんともクラスが別々になり、今まで庇ってくれた二年間がよみがえってきて、 大切な友達と離れて、心細くなりました。
でも僕も三年生です。エムちゃんは他のクラスですが、何かチャンスがあれば、今度は僕が手助けする番です。
大した事も出来ないかもしれませんが、それでも僕なりに精一杯、成長した姿を見せたいと強がっていました。
幸い、新しい友達も何人か出来て、凄く人見知りの僕も、ようやくルームライフに慣れてきた頃です。
今まであまり家に寄り付かなかった父が、時々家に帰って来るようになりました。 もう覚悟を決めたのでしょうか。
黙って帰ってきて、ペンキの缶や刷毛を自転車の後ろに括りつけて、出て行くのです。
お酒の量も少し控えめになっていました。
自分自身を見つめ直す時間が必要だったのでしょう。 それが他の人達より少し遅れてズレていたんだと思います。
その事を一番喜こんだのは僕でした。 これで少しは母も楽になれる。 父が働いてぐれれば、僕達の為に体を酷使してきた母の負担が、
大きく減って、体の痛みや生活の苦しみから少しは解放される、 その事を考えると嬉しくてたまりませんでした。
その父は何故か兄に疎ましく接していて、兄も酒癖の悪い父が凄く嫌いなようでした。 兄は勉強したくても酒が入ると乱暴になる父のせいで落ち着いて、勉強できる環境ではなかった事が原因だと思いました。
母も僕みたいに喜んではいませんでした。父のしてきた過去の事があるからだと思いましたが、何故か僕は、父が好きでした。
妹二人は父が帰って来てもあまりなつきません。 父としての認識が薄いのだと思いました。 珠にしか帰って来ない人では当たり前だと思いました。
ても父が帰って来た時は、この家に引っ越しして来て生まれた、一番末っ子の妹を特に可愛いがっていました。
三年生になって6月の梅雨シーズンになったある日、その日は、珠々父が家にいて、雨で外仕事が出来ないのです。
その日の僕は体調が優れず、朝から熱を出して、近所の同級生に休みの届けをして貰ったのです。然し二時間程経った頃に急に熱が下がり元気になりました。
それと歩調を合わせる様に、天候も晴れ渡り回復して来たのです。父もいるので嬉しくて、家の中を飛び廻っていましたが、
そんな僕を見た父が《 どうだ、近く迄出かけるか、お父さんの手伝いしてみるか、終わったらアイスキャンデー買ってやるぞ 》と言われて即座に手伝う事になりました。
母には《 病気で、学校休んで今まで寝てたのに、》《 良くなったからと言って直ぐ動き廻って、また熱が出て倒れたらどうするの 》といって反対されましたが、アイスキャンディーには敵いません、
僕は、父の手伝いがしたかったのです。
以前も小学生前に、広告の穴あけを手伝った事が有りました、父に喜んで貰った事を覚えています。
その上アイスが貰えてお客さんからお金も貰える、何よりも一番苦しんで耐えてきた母の、生活の助けになる、 そしてそれを思うと嬉しくて、堪らなかったのです。
病気を抱えた、母の安らぎに満ちた、心からの笑顔を見たい、それが僕の一番の幸せです。
着いた所は、自転車で5~6分の距離です。
お客様の屋根の下辺りに梯子を立て掛けて、
その梯子を下で支え持つのです。
踏ん張って支えないと、倒れでもしたら大変です。 汚れても良い服を用意してくれました、父が帽子を被せてくれました。ペンキが頭に掛からないようにする為です。
暫くすると丁度、学校帰りの通り道で皆が帰って来るのに出くわしました。ハッと気が付いて、知ってる同級生に会わない様に横を向いていました。
すると運の悪い事に、たまたま帰って来る同級生に会ってしまったのです。
病気で休んでる筈の僕がこんな所で、何をしてるのかと思われたでしょう、その子はクラスでもイタズラ好きの生徒で、《 アレー 》と言って僕の顔を覗きこんでくるのです。
父を支える梯子を持つ手を離す事は出来ません、顔を下に向けて帽子を深く被り直し、知らない素振りをしょうとしたのですが、もう遅かったのです。
《 〇〇か~、〇〇だろう 》と言われて動揺した僕は、梯子を持つ手が揺れてしまい、
上に登ってる父から
《 〇〇、フラフラしてたら危ないぞ、しっかり持つてくれ 》と大きな声で注意され、一発にバレてしまったのです。
《 やっぱり〇〇だ~、こんな所で何やってるんだ 》ワハハ、ワハハと笑われてしまい、
恥ずかしくて、もうアイスキャンディーも要らないから、早く終わって帰りたい、と思いました。
これで明日はクラス中が僕の話題で持ちきりでしょう。皆に笑われた上に信用も無くすでしょう。
何せ、病気で学校を休んでる生徒が、元気に外で、汚れのついた服を着てペンキ塗りの手伝いをしていたのですから。
それもクラス一の悪戯でハシャギ好きの生徒です。いっぺんに広まってしまうのは間違いないと思いました。
翌日、出来るだけ早く学校に行く事にしました。散々考えた結論が先生に全て話す事でした。
出来れば一番に行って、謝ろうと考えたのです、先生に怒られてもいい、母の反対も聞かず、全て僕自身の引き起こした事です。
遅くなればなる程、噂が広まって行った時には、もっと恥をかく事になるだろうと、考えたのです。
先生に早く会えました。先生は訝しげに、《 随分、早いね、どうしたの、こんなに早く 》
一時間も早く着いたのです。
先生に昨日の事を全て話ました。
先生は良く言ってくれたねと、怒るどころか逆に、頭を撫でてくれました。
三年生になって初めての女性の先生でしたので、話やすかったのだと思います、一~二年生の頃の怖い先生なら話せなかったと思います。
先生は《 何も恥ずかしい事ではないよ、朝は確かに熱が出ていたんでしょ、》
《 熱が下がって学校にきても、間に合わなかったかも解らないね、》
《 でもその気持ちは大切だよ、正直に話してくれたね、ありがとう。》
《 何かあれば先生も、力になるからね。》
《 まだ小学生の子供で、大人の仕事をするのはまだ早いよ。大事な先生の子供達でもあるのに、万一怪我でもしたら皆が哀しむよ。》
僕は、その言葉で嬉し涙が出てきました。ただひとつ注意された事は自分の都合で大人の仕事である、父の手伝いをした事です。
そして授業の始まりの時先生が、僕の事にかこつけて関連した話を少し時間をさいて、皆に話してくれました。
後で生徒の所に行って、《 先生本当にありがとうございました 》 とお礼を言いました。
先生は、それが先生の役目だから当然の事しただけだよ。先生には本当に感謝するしかありませんでした。
続く………
そして仲の良かった女の子のエムちゃんともクラスが別々になり、今まで庇ってくれた二年間がよみがえってきて、 大切な友達と離れて、心細くなりました。
でも僕も三年生です。エムちゃんは他のクラスですが、何かチャンスがあれば、今度は僕が手助けする番です。
大した事も出来ないかもしれませんが、それでも僕なりに精一杯、成長した姿を見せたいと強がっていました。
幸い、新しい友達も何人か出来て、凄く人見知りの僕も、ようやくルームライフに慣れてきた頃です。
今まであまり家に寄り付かなかった父が、時々家に帰って来るようになりました。 もう覚悟を決めたのでしょうか。
黙って帰ってきて、ペンキの缶や刷毛を自転車の後ろに括りつけて、出て行くのです。
お酒の量も少し控えめになっていました。
自分自身を見つめ直す時間が必要だったのでしょう。 それが他の人達より少し遅れてズレていたんだと思います。
その事を一番喜こんだのは僕でした。 これで少しは母も楽になれる。 父が働いてぐれれば、僕達の為に体を酷使してきた母の負担が、
大きく減って、体の痛みや生活の苦しみから少しは解放される、 その事を考えると嬉しくてたまりませんでした。
その父は何故か兄に疎ましく接していて、兄も酒癖の悪い父が凄く嫌いなようでした。 兄は勉強したくても酒が入ると乱暴になる父のせいで落ち着いて、勉強できる環境ではなかった事が原因だと思いました。
母も僕みたいに喜んではいませんでした。父のしてきた過去の事があるからだと思いましたが、何故か僕は、父が好きでした。
妹二人は父が帰って来てもあまりなつきません。 父としての認識が薄いのだと思いました。 珠にしか帰って来ない人では当たり前だと思いました。
ても父が帰って来た時は、この家に引っ越しして来て生まれた、一番末っ子の妹を特に可愛いがっていました。
三年生になって6月の梅雨シーズンになったある日、その日は、珠々父が家にいて、雨で外仕事が出来ないのです。
その日の僕は体調が優れず、朝から熱を出して、近所の同級生に休みの届けをして貰ったのです。然し二時間程経った頃に急に熱が下がり元気になりました。
それと歩調を合わせる様に、天候も晴れ渡り回復して来たのです。父もいるので嬉しくて、家の中を飛び廻っていましたが、
そんな僕を見た父が《 どうだ、近く迄出かけるか、お父さんの手伝いしてみるか、終わったらアイスキャンデー買ってやるぞ 》と言われて即座に手伝う事になりました。
母には《 病気で、学校休んで今まで寝てたのに、》《 良くなったからと言って直ぐ動き廻って、また熱が出て倒れたらどうするの 》といって反対されましたが、アイスキャンディーには敵いません、
僕は、父の手伝いがしたかったのです。
以前も小学生前に、広告の穴あけを手伝った事が有りました、父に喜んで貰った事を覚えています。
その上アイスが貰えてお客さんからお金も貰える、何よりも一番苦しんで耐えてきた母の、生活の助けになる、 そしてそれを思うと嬉しくて、堪らなかったのです。
病気を抱えた、母の安らぎに満ちた、心からの笑顔を見たい、それが僕の一番の幸せです。
着いた所は、自転車で5~6分の距離です。
お客様の屋根の下辺りに梯子を立て掛けて、
その梯子を下で支え持つのです。
踏ん張って支えないと、倒れでもしたら大変です。 汚れても良い服を用意してくれました、父が帽子を被せてくれました。ペンキが頭に掛からないようにする為です。
暫くすると丁度、学校帰りの通り道で皆が帰って来るのに出くわしました。ハッと気が付いて、知ってる同級生に会わない様に横を向いていました。
すると運の悪い事に、たまたま帰って来る同級生に会ってしまったのです。
病気で休んでる筈の僕がこんな所で、何をしてるのかと思われたでしょう、その子はクラスでもイタズラ好きの生徒で、《 アレー 》と言って僕の顔を覗きこんでくるのです。
父を支える梯子を持つ手を離す事は出来ません、顔を下に向けて帽子を深く被り直し、知らない素振りをしょうとしたのですが、もう遅かったのです。
《 〇〇か~、〇〇だろう 》と言われて動揺した僕は、梯子を持つ手が揺れてしまい、
上に登ってる父から
《 〇〇、フラフラしてたら危ないぞ、しっかり持つてくれ 》と大きな声で注意され、一発にバレてしまったのです。
《 やっぱり〇〇だ~、こんな所で何やってるんだ 》ワハハ、ワハハと笑われてしまい、
恥ずかしくて、もうアイスキャンディーも要らないから、早く終わって帰りたい、と思いました。
これで明日はクラス中が僕の話題で持ちきりでしょう。皆に笑われた上に信用も無くすでしょう。
何せ、病気で学校を休んでる生徒が、元気に外で、汚れのついた服を着てペンキ塗りの手伝いをしていたのですから。
それもクラス一の悪戯でハシャギ好きの生徒です。いっぺんに広まってしまうのは間違いないと思いました。
翌日、出来るだけ早く学校に行く事にしました。散々考えた結論が先生に全て話す事でした。
出来れば一番に行って、謝ろうと考えたのです、先生に怒られてもいい、母の反対も聞かず、全て僕自身の引き起こした事です。
遅くなればなる程、噂が広まって行った時には、もっと恥をかく事になるだろうと、考えたのです。
先生に早く会えました。先生は訝しげに、《 随分、早いね、どうしたの、こんなに早く 》
一時間も早く着いたのです。
先生に昨日の事を全て話ました。
先生は良く言ってくれたねと、怒るどころか逆に、頭を撫でてくれました。
三年生になって初めての女性の先生でしたので、話やすかったのだと思います、一~二年生の頃の怖い先生なら話せなかったと思います。
先生は《 何も恥ずかしい事ではないよ、朝は確かに熱が出ていたんでしょ、》
《 熱が下がって学校にきても、間に合わなかったかも解らないね、》
《 でもその気持ちは大切だよ、正直に話してくれたね、ありがとう。》
《 何かあれば先生も、力になるからね。》
《 まだ小学生の子供で、大人の仕事をするのはまだ早いよ。大事な先生の子供達でもあるのに、万一怪我でもしたら皆が哀しむよ。》
僕は、その言葉で嬉し涙が出てきました。ただひとつ注意された事は自分の都合で大人の仕事である、父の手伝いをした事です。
そして授業の始まりの時先生が、僕の事にかこつけて関連した話を少し時間をさいて、皆に話してくれました。
後で生徒の所に行って、《 先生本当にありがとうございました 》 とお礼を言いました。
先生は、それが先生の役目だから当然の事しただけだよ。先生には本当に感謝するしかありませんでした。
続く………