父が仕事を少しづつでも始めた事で、我が家にも収入が増えてきて、 皆が喜んでいた矢先の事でした。  

その1ヶ月後に、又、借金取りがやって来ました。今度は何だろうと思いましたが、やはり父が作った酒代の取り立てでした。

少しでも返済しないと、飲ませてくれる酒屋など、どこにも無かったのでしよう。仕方なく我が家に帰って来て、黙って商売道具を持つて出かける事が増えてきたのです。

その為、収入が増えた分、借金の返済に回ってしまい、相変わらず我が家は苦しい家計状況でした。

酒代の付けの返済の為に、帰って来た父の事が、解った僕でしたが、それでもお酒を飲んで無いときは、本当に穏やかな優しい良い父だったので、嬉しさを隠せませんでした。

借金は働けば返せます。残っていれば僕が早く大人になって、何処かに勤められれば直ぐにも借金を返済して母を楽に出来る、こうして不安定な我が家でも父が働く事で希望が広がって来る気がする毎日でした。

そんな初秋のある日の事です。高熱を出した僕は学校を休みました。今回は普段の熱と違って長びき、10日間程続きました。

3日目には心配になった母が近所の医者に見て貰ったのですが、高熱の原因が全く判りません。 兄や妹が寝込んでいる僕の側を静かに歩いて通っても、頭にガンガン響いてきて凄く痛くて堪りません。

その間、食事も喉を通らず、母が無理に僕の口に運んでも、全て吐いてしまうのでした。衰弱が激しくなって脈拍も凄く弱くなっていて、医者にもさじを投げだされて、

原因不明のまま時間だけが経過して行く事を心配した母も、とうとう、この時ばかりは近所でも良く当たると評判の、イタコにわらにもすがる思いで相談に行ったのです。

普段は、御先祖様は大切にしていた母ですが、宗教めいた事など一切信じなく、曲がった事が大嫌いな母でしたが、僕がもう限界にちかずいて、このままでは本当に死んでしまうのではないかと、心労が重なり追い詰められてしまったのでしょう。

そのイタコが言うには《 このままでは、この子の命は、今日、明日で終わりだ、直ぐにでも先祖の苦しみを除かないと、この子の命は助からない、水難で苦しんでいる、直ぐにでもお墓に行きなさい。》そう言われた母は、にわかに信じる事が出来無かったのですが、

此処まできた以上、他に手を尽くす事が出来無いとして、クラスでも一番小さな体の僕を背中にオンブして、歩くと20分程の距離の先祖の眠る墓地に着きました。

墓地の入口手前に馴染みの花やがありそこの、お婆さんが僕の顔を覗き込んできて、《 この子、息してないんじゃないの 》と言われた母は、事の次第を簡単に伝えた処、《 ちょっと待って、一人じゃ無理だよ、若いのが2人いるから、それに手伝わせるから》と言われました。

花やのお婆さんは解っていたのです。
僕はその時、殆んど仮死状態だったと思います。

両手、両足ともに意識が無く、だらんと垂れ下がって、息もかすかで危険な状態だったのです。 花やのお婆さんから貰った一枚の大きなせんべいも、全く覚えて無く、

オンブされた僕と母の背中の間に挟まったまま、二人の墓守に手伝つてもらい、先祖の墓を動かした所、幾つもの骨壷が全て、水浸しとなっていました。

イタコに教えて貰ったとうりになっていたのです。お墓を綺麗に掃除して、花を飾り線香を灯して最後に御経を上げて、一段落し、

帰り際に花やのお婆さんにお礼をしに行ったのです、所が驚いた事に、お婆さんが大声を上げて
《 この子、死んでるのかと思ったのに、生きてるよ、私が上げたせんべいを、美味しそうに食べてるよ、さっきまで全然意識が無かったのに驚いたよ、》

と言われ、母も後ろを振り向き僕の姿を見て安心したのか、暫く花やの店先で腰を下ろして泣いていました。

僕はこの時、直前迄、不思議なあの世の世界にいて、美味しいせんべいの匂いにも誘われて、この世に戻つて来たばかりだったのです。次回に詳しくお話し致します。

信じられない事だったのでしょう、其れからは、毎年墓参りの度に、そのお婆さんからその事をいつも言われるのです。不思議な事があるものだと。

続く………