わたしのものがたり5…ニートで学んだ | 宇宙と地面と手づくりの暮らし

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ところで,わたしは私立四大にいってまで,まさかの就活をしなかった。

どうしてもできなかった。

あの黒いリクルートスーツ着ただけで萎えたし,サバイバル感がもう無理だった。

人材会社で会社探しするだけでやる気がマイナスとなり,でも探さないといけない,でも気持ち悪い,あああああああああああああああああああって感じで

パソコン閉じて,パジャマのまま家を出て走って逃亡したりした。泣きながら。

受験とかはできたけど,なんでか就職活動というみんなして当たり前のものができなかった。

心の底からしたくなかった

 

同じ大学の人々は結構大手に決まったりして,だいがくばりゅー(某読み)はそこそこだけど

まず自分はその中で絶対に受け入れられないと思った(受かるような人間ではない,通用しない)し,

大手とか高収入とか「そんな会社に勤めてすごいなー」とか,ヘドが出るほど興味なかった。

(大手に勤めている人に対する感想ではなく,ブランド会社,高収入ルン♪みたいなノリに対して)

さらに,中小企業にも興味がないというかなんというか・・・みんなそれでも収入得るために普通に

働くけど,学生時代バイトばっかりしてたし働くことがいやなわけではないけど,

就活の踊り?に自分は参加できなかった

親のすねかじりもできないのに。

 

いよいよ卒業式・・・になってもまだ私の就職先は決まってなく,受けてもいなかった。

エントリーシートは5枚以下だして,そのうち最終まで進んだのもあるけど,落ちたらもう一気に頑張る気も失せた。

どこにも決まっていないまま卒業し,特に焦ってもなく,

私はニートになった。

ちなみに,私は高校は勉強全くせず遊んでいたので大学を一年浪人入学している。

(大学なんて行く気なかったが,それじゃ今の世の中生きていけないという助言と,

視野が広がるという夢の言葉を信じて一年猛勉強した)

浪人までして,大学に信じられないお金をかけて,

それでニート。就職浪人ではなく,自らニート。

 

ニートといえば・・・・・

社会的な立場は・・・・

これで私はニートというレッテルが貼られ,人にそういう目でみられるのか・・・

さらにお母さんなんか,娘がニート。

申し訳ない・・・・

ニートの若者・・・自分もその一員だ

レッテル

社会的に低いレッテル

もう私にエリートという輝かしい道はない(望んでないけどいよいよ本当になくなった)

みんなにどんな目でみられるんだろうか

ニートって

ニートって

ニートって

 

 

 

自分がわからなくなり,でも,この時期に,

自分の核をすごく感じることができた。

人には,ただのニートの自己肯定現実逃避と思われるかもしれない

でも私にとって,ニートというショッキングな称号に自分がなって,

生まれて初めて社会的出来損ないみたいにカテゴライズされ,

でも恥ずかしさとかはなかった。

所詮人の目だぜ レッテルって,これなに?人の目にはこの札?が見えても,

勝手に貼られたとしても,自分の中でわかってたらそれはどうでもいいこと。

他人の目。それはそんなに要らないものなんだ。

今まで気にしまくっていたけど。

社会の目とか,他人の目が「客観視」で「主観」よりいつも正しいものって思ってたけど。

他人にはわからないことがある。

自分は自分を信じていたら,他で何を言われようが,レッテル貼られようが,関係ない。

照準は,内に合わす。決して外ではない。

 

就職のことに限らず人にぼろかすに言われることが多くて,その度にそれを全部受け取って吸収して落ち込んでた。

自分は言われた通りの欠落人間だから,このままではやばい,変わらないとって。

でもある時,信頼してる,自分を見続けてくれている人に聞いた。

「人に言われる自分と,自分が信じてる自分どっちがただしい?」って。

 

 

「自分を信じたらいいですよ」

 

ってひとこと言ってくれて,泣いたし,そう,その通り 私は自分を信じようって決めた。

就職のことだけでなくてね。すべてにおいて。