消えたかったわたし,
でも耐えつつ日々をやり過ごすうちに,2010年頃 光のようなものを見つけた。
それは,まっくろな私の視界のなかで小さく光った。
でも小さくて,心もとないけど,わたしはそれにすがるようにそれを大切にしてきた。
本が好きで,「アミ 宇宙の友達」っていう有名な本を読んだ。
大好きだったさくらももこが表紙を描いてた。
ファンタジーだけど,「この世界がよくなるかも,,,?」ってちょっと本気で思えた。
この世界は,もしかしたら目にみえてるだけがすべてじゃなく,
未知の部分が大きくて,それを自分は知らないだけかも,,,?と。
人にすすめても「うん,ファンタジー。」っていう反応ばっかりで驚いたけど,
私にはそれはファンタジーだけにとどまらない,人々への示唆のように感じた。
キラキラの,星粒がいっぱい飛んでる示唆。
「ほーらほら,こんなのあるんだよ♪信じてもいいし信じなくてもいいよ♪」
って。
孤独な人間がついにスピリチュアルに傾倒しだしたか,と自分を俯瞰して
思ったこともあった(笑)
でも私にとって,この社会は希望がないし満員電車の大人たちは顔死んでるし,
世界では上辺だけの目標が掲げられて実際はどんどん悪くなっているようにみえる。
だって生まれた時から(1991)地球環境が〜酸性雨が〜とか石油がなくなるぞ〜とか
言われてきて,いわれても,,,,,ねえ。って感じだし。こどもだし。
そして代替案もないんでしょ?大人のくせに!
さらに,「社会に希望がない」とか言うと,大人に怒られるし。
「お前はわかってないみんなその中で頑張ってるんだ,希望なんてことは,
津波が引いた場所に咲いたひまわりのようなことをいうんだ」と。
その社会を,なんとかしていくのは私たち。
そしてそれを諦めず,なんとかできるなら,というかよくできるなら,
それはどんなカタチ??どんな感じ??めざすかたちって??
,,,,,という感じで私のなかの光の粒となりました。
そこらへんで,少し大人になったっていうのもあるし,
髪染めもやめ,流行を追うのもやめました。
もっと素敵っぽいことを見つけられたからです。
もっと夢中になれる,夢を持てる,人生わるくないのかもしれないと思えるような。