回顧
ひとはいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける「…あと7分30秒です。」無常に告げる機会音のアナウンスを止めて、私は少し歩くことにした。すこし息が上がっている。土手にはもう葉桜になってしまった桜が、それでもなお立派に咲き誇っていた。桜というのはなぜかとても魅力がある。人生で一度もお花見をしたことがない私でもさえも、桜がきれいに咲くこの季節になると心が躍る。土手のその風景は無性に母校の校庭を感じさせた。川沿いにあった私の母校は、外の道路との境目に一列桜の木が植えられていた。規則正しく、でもちょうどよい間隔で並んだ木々。足が届きそうなくらいから枝別れした幹、上の方に取り付けられた木箱、木々の間に積もる花びら、どれも懐かしい光景とそっくりだった。思わず微笑んでしまう。地元を捨てた子、地元の者はそう思うだろう。年に数回しか帰省せず、帰省しても村の集りには一切顔を出さない。そんなやつが地元を思い出すはずがない。上京して生き生きと生活している私は、地元からすれば「身売り者」。そう言われれば、今の私は否定しない。地元の呪縛から逃れたい、そう思っているのは事実だから。それでもやっぱり地元は地元なのだろう。私が育った町はひとつで、私の心の奥底にはいつもあの町がある。ふとした瞬間にふるさとを思い出し、懐かしさを感じて感傷にひたる。1200年前を生きた紀貫之が、ふるさとをお忘れになったのですか?随分と長い間お見えになりませんでしたけど。と言われた時に返したこの歌。皮肉に満ちたようなこの歌になぜかすこし感じる寂しさや切なさ。その切なさが今日何となく理解できた気がした。