言葉にたよらない月間、を実施していたんこぶ。
主に子どもに向けてね。
言葉は嘘をつくかっこうの道具なんだね、見栄をはり防御し美化したがるね。
ぺらぺらつるつる垂れ流すそのとびどぐを封印してみる。
 
耳をすまして、肌の感覚をひらき、じっさいに目でみなくても感じる。
その時点から、ごくごく簡潔にまとめたメッセージを発信する。
「あなたが大事だよ。信じているよ。いつどんなときも」
 
姿かたちを伴った子どもがやってきたとき、
よりいっそうその思いを強く放つ。
毛穴から飛び散った胞子のように、部屋のなかに舞い散る。
 
目で見る。黙ってみる。
 
これを繰り返していると、目でみたとき、「あ、いまだ」とタイミングがわかる時があるだわのよ。
調子にのらないで、最小限の言葉をそっと渡す。
 
この一連のサイクルを本気でやると、
たった1日で相手の態度がかわる。
2日で声の色がかわる。
 
 

 
それが、アレだのコレだのとイベントの準備に大わらわで、
好きなことに夢中なのはいいけど
意識が「放置」になったとたん、
相手の感覚がすーっと閉じていく。
なにしろ「言葉にたよらない月間」をはじめて日が浅く
それまでに積み上げてきたのは信頼関係どころか親への不信感なもんだから
閉じてしまうのなんてあっというま。だってそれが基本なんだもんね。
 
でもね、子どもってすごいんだね。
もういっかい、って最初からやると
また開いてくれる。
こんなに失敗して、クダラナイものばかり押し付けてきた親なのに
何度でも受け入れてくれるから驚く。
なんて懐が深いんだろ。
親の愛ってなんてせせこましく、エゴに満ちてるんだろ。
 
別々の部屋にいても「しんじてる」って気持ちを放つ、
それを受け取ってくれる。
スピリチュアルっぽい?
そうだね、きっと根源はおなじ。
じゃあわたしの嫌いなスピっぽさと何が違うんだろうね。
また考えてみる。