『女性の視点で見直す人材育成』を読んであれこれと語る会にいってきたんこぶ。

トピックのひとつに「切り開いてきた女性」があがったとき
日直の柴田朋子さんが
「ご自分のお母さんが働いていた人はいない?」と問いかけた。






あっ

 

自分の母も切り開いてきた女性なんだ。
そうか・・・
いやいや、
その前に、ずっと働いてきた祖母もだ。


大正生まれの祖母は定年まで生命保険の営業として働いていた。

 

関東大震災で一家離散が彼女の人生のスタート。
ここから波乱万丈のかほりしかしない。

勉強が好きだったのに小学校までしか行かせてもらえず
布団問屋で奉公勤め(もう働いてる!)。
しかも、政略的にお妾さんにさせられちゃってる。
気が付いたら「日陰の身」ってどんだけドラマチックなのか。


小さな一軒家をあてがわれて
コドモ二人生んだら、
正妻にとられちゃうし。

残った一人が、わたしの母。

絶対この男に頼るまい、と仕事をはじめたって言ってたなあ。

 

わたしは母からの祖母像ばかり聞いて育った。



曰く。

いつも一人で家にいた、
小学校2年生で夕飯をひとりでお蕎麦屋さんで食べたときはおじさんに絡まれて怖かった、
近所ではお前のお母さんは日替わりで男と会ってると噂された、
家事は全部自分でやっていた、
病気になってもひとりで病院にいった・・・

つまり祖母は良いお母さんではなかった、という話。



小さいわたしはその視点でしか祖母を見ることができなかったんだよなあ。
母性のない酷い女性、
大事なママを傷つけたおばあちゃんって憎んでた。

まあ、確かにそういう面もあったよね。
ちょっとかなりずいぶんダークな環境ではあったみたい。

 


でも祖母は「切り開いてきた女性」だったんだ。

少しずつ祖母との会話がにじんでくる。

 

「毎日お客さんの家にいって、
 どんなに意地悪言われても黙って聞いてにこにこしてたら
 最後にはいっぱい契約してくれたのよ」

 

「熱があっても雨でも雪でも
 歩いてお客さんちを回ったわ」

 

「仕事が面白くて、絶対男のひとに負けたくなくて
 小学校しか出てないから、バカだからって思われたくなくて
 試験を受けてね、受かったときはうれしくてね。
 もっともっと仕事頑張っちゃった」

 

 

結局、ずいぶん昇進したらしい。

お妾さんで、小卒で、
どんだけ差別されただろうなあ。
でも、おばあちゃんからそんな愚痴は聞いたことない。

 

 

確かに育児はしてなかったかもね。
家事もしてなかっただろうね。
今ならネグレクトって言われただろうね。

 

 

でも、いつ途絶えるかわからない男性からのお金に頼らず
自分で働いてたんだな。
わたしよりずっと過酷な状況で
うんとたくましく「切り開いて」くれたんだ。


わたしが育ったのも母子家庭だったから、

実母もずっと働いていた。

母が心も体も壊して大変だったときも

おばあちゃんがいてくれたから

ひとりではなかったんだもんな。

孫をみてくれたことでも「切り開いて」くれだんだよね。


 

わたしの母はもう他界したけれど
祖母は横浜の施設にお世話になっている。
あれだけ憎んできたのに、今では感謝ばかりが残って
97歳の祖母が生きていてくれることがほんとうにありがたい。


ちょうどこの週末は祖母に会いに行く予定をたてていた。
今日の会に参加してよかった。

またいっこ、色眼鏡が外れた。


祖母にまた違った角度から、

心をこめてありがとうを言おう!