全てが、自己責任

その意は、何か 問題が発生した時
それに関わる人々
全ての人に 責任が生じている。

それぞれの立場
それぞれの役割で
反省 改善点が あるということ。



何か問題が発生した時
その問題発生によって 一番 困る人 一番 苦しい人
この方が、一番 大きい責任を 取ることになり
一番 大きい原因を作っている本人 ということになります。

組織のトップが、大体 そのような状態になる と思いますが
問題発生後、いかに その課題を 乗り越えたかが
現在と 次のステージに 影響をしていきます。

国の代表
会社の社長
サークルの運営者
家庭では、夫や妻

・・・ トップの器以上に、組織は 大きくなることはなく
その組織に属する人々に それぞれ影響を 与えていくことになります。




部下は、部下の立場で
上司に正しい報告をしなかった という義務を 怠っていなかったか

上司は 上司の立場で
指導者 責任者として、私利私欲のない 無我の心で
少し先の未来をも よみ、
全体を向上 発展させていく
積極的 行動ができているかどうか

それぞれが
与えられている現在の環境 立場に あぐらをかくことなく
自らの 向上発展に 日々の時間を費やしているか などなど

確認をしてみると、責任のない人は 一人も 存在しません。
そして、その時 その時で 抑えるべき感情も 発生してくるものです。



仏教に このような 教えがあります。



貪・瞋・癡 (とん・じん・ち)は
仏教において 克服すべきものとされる
最も基本的な 三つの煩悩のことです。

貪 ・・・ 貪欲(とんよく) むさぼりを求める心

瞋 ・・・ 怒りの心

癡 ・・・ 愚痴・真理に対する無知な心・愚かな心



戒・定・慧 (かい・じょう・え)
仏教者が 必ず修めねばならない 基本的な3つの行
三学

戒 ・・・行動の規範・悪を止める戒

定 ・・・ 心の平静を得る定、精神統一

慧 ・・・ 真実を悟る知慧



戒・定・慧 の三学は、貪・瞋・癡 の克服法でもあります。

貪は、戒によって
瞋は、定によって
癡は、慧によって おさめていきます。



これを 現代的に考えてみると このような 感じでしょうか。



貪と戒

欲しい欲しいという 感情が ゆきすぎたら
自分が 自分らしく生きていく 決まりを作って守ること。

たとえば、DVDを観る時間や PCの前にいる時間が
自分の生活を脅かす状態なら、中道に 戻しましょう。

中道は、両極端を去った 真ん中の道のことです。



瞋と定

瞬間的に、怒る
というような 感情が 発生することがあったら
深呼吸してみること。
丹田呼吸がよい と言われます。

または、周りの景色を見て 心を落ち着かせる。



癡と慧

愚痴がでるようなら
知識を学び 実践し 智慧を得る。

思うようにならない原因は、智慧(知識 + 実践)が
不足しているから。





全てに 責任をとる と、口では 簡単に言えますが
実践は、物凄く やりがいが ありますね。

私も、私の立場で 役割を果たすべく
日々 新しい知識を入れ 一歩一歩 頑張ります。