出産のときのこと | 城咲あい オフィシャルブログ 「Happy Rose」 Powered by Ameba

出産のときのこと

忘れてしまう前に、出産のときのこと、書いてみますね好ちょっと長いですが、お付き合いくださいにへ汗




9/17(日)37週0日
この日が、産休前のお仕事最終日でした。
「ここまでよく頑張りました」のご褒美週間で、37週の1週間は、ひたすらゆっくりして過ごしました。

38週になってからは、できるだけウォーキングしたり、坂道を上ったりしてみましたが、体調に変化もなく、ただひたらすら、「もう出てきていいよ~」とお腹に話しかけていました。



薔薇10/2(月)39週1日
妊婦健診でした。お腹が下がってきて、そろそろかなーと思っていたのですが、、

赤ちゃんは下がってきてはいるものの、子宮口が全く開いていないので、お医者様にも「まだまだだね~」と言われ、ちょっとガッカリしながら、お家に帰りました。

出産は想像できなくて、怖い気持ちもありましたが、7ヶ月くらいから「臨月?」と言われるほど、お腹も大きく重くてしんどかったのと、早く赤ちゃんに会いたいという気持ちが大きかったので。


6日(金)から旦那様も『クレオパトラ』の公演が始まるので、せめて4日(水)くらいまでには産まれてほしいなぁと、無駄かな、と思いながらも赤ちゃんに話しかけました。



薔薇10/3(火)39週間2日目
翌日、朝から軽い腹痛があり、前駆陣痛だな~と思っていました。

こういうのが、まだ1週間くらい続くのかな、と思ったり、「前駆陣痛からそのまま陣痛に繋がった」という話もよく聞くので、このまま陣痛来ないかなぁと思ったり。でも、お昼頃には腹痛はなくなってしまって、またもガッカリ。

どうせなら、栄養のことを考えてずっと我慢していたマクドナルドのハンバーガーが食べたい!と、久しぶりにマックへ(笑)。お家に持って帰って、モリモリ食べました(笑)。


17:30頃。
また軽い腹痛がきましたが、また朝のように、暫くすればおさまるのかなと思いながら、夕飯のメニューを考えていました。


18:30頃。
相変わらず腹痛は続いていて、とりあえず間隔を計ってみたけれど、間は5分だったり、20分だったりでバラバラなので、やっぱり前駆陣痛かと思いながら、ゆっくり夕飯を作り始めました。

でも腹痛の頻度が上がってきたので、その度に少し座って休んで、また夕飯を作り、また休み、の繰り返し。


19:45頃
少しずつ痛みが強くなってきて、回数も頻繁なため、夕飯の準備がなかなか進まず、旦那様に「お腹が痛いので、帰ってくるまでに夕飯は作り終えないかもしれない」とラインを入れました。

それから更に痛みが強くなってきて、「我慢できるのが前駆陣痛。我慢できないのが陣痛。」と聞いていたのだけれど、どこまで我慢したら良いのか分からず、でもとりあえずうずくまって、我慢していました。健診や助産師外来で「10分間隔になるまで待ってください」と言われていたのて、10分間隔を待っていたのですか、間隔は、まだバラバラでした。


20:30頃
もう、夕飯を作るのを諦めて、うずくまりながら旦那様に「我慢できないくらい痛いので、休みます」とラインしました。



21:00頃
いよいよ我慢できないくらいの腹痛で、一人で家にいることにも恐怖を感じて、病院に電話しました。助産師さんの声が優しくて、それだけで少し恐怖がおさまりました。「まだ入院にならないかもしれないから、入院の荷物は持ってこなくていいけど、とりあえず病院に来てください。」と言われ、タクシーを呼びました。

旦那様にも、「病院に行きます。」とライン。旦那様がちょうど仕事が終わった時だったようで、すぐに「病院で待つよ」と返事をくれました。

ずっと10分間隔を待っていましたが、10分間隔になることはなく、間隔が整ってきたら、もうすでに5分間隔でした。


21:30頃
病院に到着。病院で旦那様が待っていてくれました。

病院に着いた頃には2分くらいの間隔で陣痛が来ていて、ちょっとの距離を歩くのもやっとでした。
皆に、「陣痛と陣痛の間にシャワー浴びたり、トイレ行ったり、ご飯食べたりしたよ」と言われていましたが、そんな間隔が全くなくて、痛みが終わって一呼吸したら、またすぐに痛みが来るという感じでした。


すぐに検査してもらいましたが、子宮口はまだ2.5センチ。お腹にモニターをつけて、赤ちゃんの心音の検査もして、赤ちゃんには異常ありませんでしたが、「出産は明日か明後日になるかな」と助産師に言われて、絶望的に気持ちになりました。


ただ、痛みが強かったため、とりあえず入院する事になりました。旦那様は翌日小屋入りだったので、病院から直接行けるように、一度帰宅し、私の荷物と翌日の小屋入りの荷物を準備して戻って来てくれました。その間、たぶん1時間半程でしたが、本当に不安でした。

痛みも強かったのと、呼吸困難みたいになり、息がうまく吸えなくて、このまま酸素不足で死んでしまうんじゃないかと恐怖を感じながら、ただひたすら息をすることだけを考えていました。



旦那様が戻ってきたのが何時だったのか、その頃には時計を見ることも出来なかったので分かりませんが、たぶん23:00頃だったのだと思います。


薔薇10/4(水)39週3日目
0:00
日付が変わった頃、助産師さんが、「子宮口が7センチになったから、もしかしたらミラクルが起きるかも!朝には産まれるかもしれないよ!」と言ってくれたのですが、9:30からずっと間隔がほとんどない陣痛に苦しんできたため、ミラクルが起きても朝までかかるのかと、またも絶望的な気持ちになりました。
そして、朝まで自分は呼吸をしていられるのか、私は本当に死ぬのかもしれない、もしくは、このまま帝王切開になるかもしれない、なんて事をぼんやり想像しながら、隣に旦那様がいてくれる事だけを励みに、ひたすら息をすることだけを考えて、痛みに耐えました。



1:00頃
それから1時間程して、子宮口が全開になり、旦那様に抱えられながら分娩室に入りました。分娩室に入ってからは「もうすぐ終わる」という事だけを考えていました。というより、「早く終わってくれ」と思っていました。喉が渇いても、お水を飲む余裕もほとんどなくて、分娩室に入ってから水を飲めたのは1度だけでした。

赤ちゃんが産まれる時、もっと痛いのかなと思っていましたが、陣痛が痛すぎて、呼吸困難の恐怖が大きすぎて、最後は「どうにでもなれ」という気持ちでした(笑)。


1:43
夢生が産まれました。産まれてすぐに、ちゃんと泣いてくれて、元気に産まれてきたことにホッとしました。そしてこの苦しみが終わったのだと、それが何より嬉しかったです(笑)。

お腹の中に赤ちゃんがいたのは分かっていたのだけど、実際産まれた赤ちゃんを見ると、自分のお腹の中にいたのがこの子だったのかと、本当に不思議な気持ちでした。






そこから2時間くらい、分娩室で休憩し、病室に移りました。旦那様は一度帰宅して、翌朝、小屋入りの前に、もう一度顔を見に来てくれました。


クラス中だったら、公演中だったら、立ち合えなかったかもしれない。そう思ったら、旦那様の仕事が終わる頃に陣痛がきて、小屋入りの前に出てきてくれて。

偶然かもしれないけれど、旦那様に立ち合ってもらって、3人で頑張りたい、というパパとママの気持ちを察してくれたのかなって思いました。



病院に着いてから、4時間15分くらい。初産にしては、かなりのスピード出産で、かなりの安産だったみたいですが、急激に陣痛が進んだぶん、それはそれで大変だったね、と助産師さんに言われました。


《出産の時の痛みは忘れてしまう》とよく聞きますが、、確かに、痛みも恐怖も、想像を絶するもので、自分の記憶の中にもないものだし、記憶しておけないくらいのレベルのもので、、、

翌日には、思い出そうとしても、もう思い出せませんでした。


ただ、以前、駅のホームで出会った方に、
「赤ちゃんが出てくるのは幸せな痛みだから、全然痛くないわよ。」と言われましたが、、
私は普通に、死ぬかと思うほど痛かったです(笑)。



出産の時の話はここまで。

これから出産される妊婦さんも、これを読んでいらっしゃる方が、いるかな?

お産はきっと、本当に人それぞれなんだと思いますが、私は幸いすごく短い時間でしたが、本当に辛かったです。

「一度は経験した方がいいよ」と言われましたが、経験しないなら、経験しなくてもいいんじゃないかと思うレベルでした。

ただ、産まれてきた赤ちゃんは、本当に可愛いです。お腹を痛めて産んだからなのか、十月十日お腹にいたからなのか、それはよく分からないけれど、本当に可愛いです。

私の体験話が、これから出産の方の、少しでも励みになればいいなと思います。


私の壮絶な思い出日記に、長々とお付き合いくださり、ありがとうございましたにへ涙