3月11日。生きること 繋がること。。。
3月11日。
あの日から、4年。
昨年の3月11日の日にも、色々な事を思い、ブログにも、思った事、少し書きました。
3年もの間、自分は何もできなかったと。
辛い思いをしている人にも、それを支えようとしている人、にも。
それから、少しでも何かできれば、と、妃乃あんじちゃんの活動を少しだけれど、自分のできる形で協力させて頂いたり。
でも、ずっと。
漠然と何かが自分の中にあって。
そして、今年、1月17日。
阪神淡路大震災から20年。
2つ出来事が、自分の中で、ぐるぐるまわっていました。
私はいま、なぜ生きているのか。
生きている事は当たり前の事。
けれど、生きている事は特別な事。
急に、自分がとても情けなく思えて。
「生きる」ということ。
現在進行形で常に、自分の隣に、内側にあること。
だからこそ、忘れてしまう、奇跡のような確率で、自分という人間が誕生し、生きていることが、特別な事であること。
動物も、植物も、虫も、みんな分かっている気がした。
みんな、懸命に生きようとしている。
人間が一番忘れている。
私が一番忘れている。
誰にどう思われている、とか。
あの人より自分はどうだ、とか。
こうじゃなくちゃいけない、とか。
もちろん、それが全部ダメなわけじゃない。
そして、その思いを捨てられるわけじゃない。
でも。
ちゃんと生きようと思った。
ちゃんと。精一杯。まっすぐに。
だから今回、4月19日の公演を主催するにあたって、『心動』~生きること 繋がること~というテーマを選んだ。
私なりに、「生きる」ことを考えた末に、出てきた言葉。
たくさん笑って、
たくさん泣いて、
たくさんぶつかって、
たくさん苦しんで、
たくさん愛して。
本気で自分と向き合う事。
「心が動く」瞬間を、たくさん感じること。
嬉しいことも、悲しいことも。
そして、それには。
ほとんどの出来事に、人が関わってくるから。
繋がること。
誰かと。
向き合ったり、一緒に進んだり、ぶつかったり。
人は、完璧ではないから。
とても不器用で、情けなくて、不完全なものだから。
だから、繋がっていく。
そんな事を、今、思っています。
あ、書いていたら、3月12日になってしまった。
そう。
こうやって、時は流れていく。
何をしていても。
だから
本気で生きていく。
『心動』は、私の決意。
あの日から、4年。
昨年の3月11日の日にも、色々な事を思い、ブログにも、思った事、少し書きました。
3年もの間、自分は何もできなかったと。
辛い思いをしている人にも、それを支えようとしている人、にも。
それから、少しでも何かできれば、と、妃乃あんじちゃんの活動を少しだけれど、自分のできる形で協力させて頂いたり。
でも、ずっと。
漠然と何かが自分の中にあって。
そして、今年、1月17日。
阪神淡路大震災から20年。
2つ出来事が、自分の中で、ぐるぐるまわっていました。
私はいま、なぜ生きているのか。
生きている事は当たり前の事。
けれど、生きている事は特別な事。
急に、自分がとても情けなく思えて。
「生きる」ということ。
現在進行形で常に、自分の隣に、内側にあること。
だからこそ、忘れてしまう、奇跡のような確率で、自分という人間が誕生し、生きていることが、特別な事であること。
動物も、植物も、虫も、みんな分かっている気がした。
みんな、懸命に生きようとしている。
人間が一番忘れている。
私が一番忘れている。
誰にどう思われている、とか。
あの人より自分はどうだ、とか。
こうじゃなくちゃいけない、とか。
もちろん、それが全部ダメなわけじゃない。
そして、その思いを捨てられるわけじゃない。
でも。
ちゃんと生きようと思った。
ちゃんと。精一杯。まっすぐに。
だから今回、4月19日の公演を主催するにあたって、『心動』~生きること 繋がること~というテーマを選んだ。
私なりに、「生きる」ことを考えた末に、出てきた言葉。
たくさん笑って、
たくさん泣いて、
たくさんぶつかって、
たくさん苦しんで、
たくさん愛して。
本気で自分と向き合う事。
「心が動く」瞬間を、たくさん感じること。
嬉しいことも、悲しいことも。
そして、それには。
ほとんどの出来事に、人が関わってくるから。
繋がること。
誰かと。
向き合ったり、一緒に進んだり、ぶつかったり。
人は、完璧ではないから。
とても不器用で、情けなくて、不完全なものだから。
だから、繋がっていく。
そんな事を、今、思っています。
あ、書いていたら、3月12日になってしまった。
そう。
こうやって、時は流れていく。
何をしていても。
だから
本気で生きていく。
『心動』は、私の決意。