その日の夜、わたしは夕食を食べた後、いつも通りリビングのソファーに寝転がってテレビを観ていた。

 

CMの時にふとスマホでツイッターを見たら、ステイゴールドが急死したと書かれたツイートを見つけた。

 

ステイゴールドとは、わたしがむかし競馬にはまるきっかけとなった競走馬の名前だ。

 

あわててネットニュースを確認すると、「三冠馬の父・ステイゴールド急死」という見出しの記事があった。

 

記事を読むと、ステイゴールドは今日の種付け後に体調が急変し、夜七時過ぎに息を引き取ったとのことだった。

 

ステイ、亡くなったのか……。

 

ステイゴールドは一九九四年生まれだから、今年でもう二十一歳になる。

 

一九九六年の十二月に競走馬としてデビューし、五年間もターフを走った。

 

競走成績は五十戦七勝。

 

超一流の競走馬にはなれなかったが、小柄な馬体で居並ぶ名馬と戦う姿には見る者の心をゆさぶるものがあった。

 

わたしが初めてステイゴールドのことを知ったのは一九九六年、ある競馬雑誌で新馬の特集記事を読んだ時だった。

 

写真は無く、馬名と父母の名前しか載っていなかったが、スティービー・ワンダーの名曲から名付けられたステイゴールドという名前に心ひかれた。

 

父がサンデーサイレンスで、母が名馬サッカーボーイの妹という血統も魅力的だった。

 

当時のわたしは競馬をはじめたばかりだったから、一頭の馬をデビューから追いかけるというのは初めての経験だった。

 

そんなステイゴールドを最初に生で見たのは、一九九七年の菊花賞だ。

 

新馬戦から追いかけてきて、六戦目でようやく勝ち上がり、夏の上がり馬と呼ばれるまでに昇りつめて臨んだGⅠレースの晴れ舞台。

 

京都競馬場へ行くのも初めてだった。

 

大勢の人でごった返すなか、ステイゴールドの馬券を買ってからパドックを見に行くと、小さくて黒い馬が一頭、尻っぱねをして暴れていた。

 

これがステイゴールドかあ……。

 

近くにいた知らないおっさんが言った。

 

「あの馬、まるでロデオやんけ。馬券買おうと思ってたけどやめとこ」

 

この時、馬券はパドックを見てから買うものだと学んだのはいい思い出だ。

 

結局、菊花賞はトライアルレースを連勝していたマチカネフクキタルが圧勝。

 

ステイゴールドは八着に沈んだ。

 

その後、ステイゴールドは翌年春の天皇賞に出走した。

 

わたしは旅行中でレースが観られず、馬券も買えなかったが、十番人気のステイゴールドが二着に入ったと聞いた時は正直驚いた。

 

続いてステイゴールドは宝塚記念に出走することになり、わたしも阪神競馬場へ応援に行った。

 

天皇賞での好走がフロックだと思われたのか、ステイゴールドは九番人気。

 

一番人気は四連勝中の快速馬サイレンススズカだった。

 

わたしはちゃんとパドックを見てから、ステイゴールドとサイレンススズカの馬連の馬券を千円購入した。

 

馬連はレースの一着馬と二着馬を当てる馬券だ。

 

レースは大方の予想通りサイレンススズカの逃げ切り勝ち。

 

ステイゴールドはまたも二着だったが、わたしの馬券は的中した。

 

千円の馬券が四万円以上になり、どきどきしながら馬券を換金したのを覚えている。

 

その後もステイゴールドはレースを走り続けた。

 

GⅠレースでは二着四回、三着二回。

 

好走はするものの、結局、日本国内では一度もGⅠレースを勝つことができなかった。

 

しかし、ラストランとなった香港のレースを、日本では見せたことのない怒涛の追い込みで勝利し、悲願のGⅠレース初制覇を果たした。

 

ステイゴールドは、これ以上ないハッピーエンドで現役を引退することができた。

 

現役時代のステイゴールドは、「善戦マン」とか「シルバーコレクター」とか呼ばれていたが、わたし自身がそう思ったことは一度もなかった。

 

わたしにとってのステイゴールドは「いつかきっとやってくれる馬」だった。

 

新馬戦で三着に敗れ、その後五連敗した時も、六戦目でちゃんと勝ち上がってくれた。

 

三歳の秋から六歳の春まで二十八連敗した時も、目黒記念で重賞初制覇を果たしてくれた。

 

GⅠレースでは二着や三着が続いたが、引退レースの香港で見事勝利してくれた。

 

ステイゴールドはいつまでも二着三着に甘んじる「善戦マン」ではなかった。

 

信じていれば必ず夢を叶えてくれる馬であり、叶えてくれた夢には必ず続きがある馬だった。

 

二〇〇二年の一月、京都競馬場で行われたステイゴールドの引退式には、わたしも含め、たくさんのファンが集まった。

 

パドックで武豊騎手がステイゴールドにまたがると、近くにいたおばさんが「やっぱり武さんが乗ると絵になるわあ」と言っていた。 

 

ステイゴールドは武豊を乗せ、ただ一頭、京都競馬場の芝コースを走った。

 

ステイゴールドの最後の雄姿を見て、泣いている人も多かった。

 

こうしてステイゴールドは競走馬を引退し、私は競馬をやめた。

 

あの頃のわたしにとって、ステイゴールドと競馬はイコールの存在だった。

 

あれから十三年。

 

ステイゴールドは三冠馬オルフェーヴルの父となり、種牡馬として大成功した。

 

わたしは転職を繰り返し、結局は全てを失った。

 

ステイゴールドが亡くなった今、わたしにできることといえば、残されたステイゴールドの子どもたちを応援することだけだろう。

 

第13話へ続く)


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