面接を終え、その会社のビルを出た。
顔を上げると、冬晴れの青い空が広がっている。
昼下がりで陽ざしは暖かかったが、もう十二月だから、さすがに風は冷たい。
わたしは左腕に抱えていた黒いコートを着て、右肩にカバンをぶらさげた。
仕事の書類が入っているわけでもないので、カバンはとても軽い。
コートのボタンは外したままだが、そんなに寒さは感じなかった。
暑いぐらい暖房の効いた部屋にしばらくいたせいか、ひんやり冷たい外の空気が心地良かった。
今日はこのあと何も予定がない。
ネクタイをゆるめたわたしは大通りに面したコンビニに向かって歩き出した。
師走の大阪の街は、道行く人たちがみな急ぎ足で歩いていて、自分だけが置いてけぼりにされているような気分になる。
早いもので、いろいろあった二〇一四年ももうすぐ終わる。
四つ橋筋沿いのコンビニには珍しく缶入りのコロナビールが置いてあった。
コロナは苦味が少なくて飲みやすいビールだから、ノドがかわいている時にはちょうどいい。
さっそくひと缶買って、店の前で立ったまま飲む。
キンキンに冷えた液体が、カラカラにかわいたノドをごくごくと音を立てて通り過ぎる。
炭酸ガスの泡が口のなかではじけた。
もう冬だから外でビールを飲むのはちょっと寒かったが、ひさしぶりに飲むコロナビールはうまい。
平日の昼間から酒が飲めるのは、失業者の特権だ。
コンビニへ買い物に来た制服姿のOLが、すれちがいざまにじろりとわたしを見た。
オフィス街でこんな時間にビールを飲んでいるおっさんは、相当な不審人物に見えるらしい。
幸いこの近くには知り合いの会社もないので、わたしは人目を気にせず缶ビールを飲み続ける。
コンビニの前を、たくさんのサラリーマンたちが通り過ぎていく。
彼らと同じように、わたしもスーツを着てネクタイを締めているのに、わたしにだけは職が無い。その現実が重かった。
サラリーマンに戻りたいなあ……。
先月まで、わたしは東京のベンチャー企業で得意の絶頂にいた。
社内の序列は上から数えて五番目で、役員の次に偉い人だった。
創業十年そこそこのベンチャー企業だから、役員といっても要は社長のお友達みたいなものだ。
実質的にはわたしが社長に次ぐナンバーツーの地位にあった。
週に一度、社長や役員と経営幹部を集めて開かれる経営会議は、わたしの独壇場だった。
自分から積極的に発言して役員連中を沈黙させ、他の若い部長たちと一緒になって社長に決裁を迫る。
それがいつもの経営会議の進め方だった。
わたしはそうやって会社の方針を自分の思い通りに決めてきたのだ。
毎週月曜日に行われる朝礼では、フロアに集まった約二〇〇名の社員の前にわたしが立つと、その場の空気が明らかに変わった。
会社を大きくしたい、自分も仕事で何かを学んで成長したいと心から願い、小さなベンチャー企業に飛び込んだ若くてアグレッシブな社員たちの目が、いっせいにわたしを見た。
今日は何を話そうか?
そう考えながら壇上に立つ時の高揚感と緊張感がたまらなかった。
わたしの話がはじまると、モチベーションの高い社員たちは皆わたしから目をそらさずに前を向き、時折笑顔を見せながら熱心に耳を傾けてくれた。
若い社員たちは毎日、朝早くから会社へ出勤してきて、夜遅くまで懸命に働いていた。
あの社内の熱気が忘れられない。
これがベンチャー企業なのだと、わたしは日々実感していた。
東京は楽しかったなあ……。
口に含んだビールの冷たさが、わたしを現実へと引き戻す。
ごくりと飲み込むと、コロナビールはあっという間にわたしのノドの奥へと消えた。
寒い冬になりそうだな。
空き缶をコンビニのゴミ箱に捨てたわたしは、四つ橋筋の歩道を地下鉄の駅の入り口に向かって歩き出した。
東京の会社を辞めて大阪へ帰ってきたのは先週のことだった。
新幹線を降りて新大阪駅のホームに立った時は、おそらくすぐに次の仕事が見つかるだろうと安易に考えていたが甘かったようだ。
四十歳ともなると、転職は簡単ではない。
企業の求人はどうしても若い人に集中するから、年を取れば取るほど、条件の良い仕事はなかなか見つからない。
それに大阪は東京に比べて求人の件数自体が少ない。
昨日今日、たった二つの会社で面接を受けただけで、わたしは大阪での再就職の厳しい現実を知った。
過去のプライドなんて何の役にも立たない。
わたしは自分に自信が持てなくなっていた。
それに、やはり次の仕事を決めてから会社を辞めるべきだったと後悔した。
転職するのはこれで三回目だが、失業者になってから仕事を探すのは初めてだ。
失業者だと企業の採用担当者に足元を見られるから、有利な条件で転職するのは難しくなる。
転職する際は会社を辞める前に次の仕事を決めておくのが鉄則だ。
わたしを必要としてくれる会社なんて、この大阪には存在しないんじゃないか?
今日の面接を終えて、ふとそんなことを考えた。
そもそも大阪ではやりたい仕事が見つからなかったから、三年前にひとりで東京へ行ったのだ。
次の仕事が簡単に見つかるわけがない。
わたしは東京から故郷の大阪へ帰ってきたことを後悔しはじめた。
かと言って、また東京へ戻ってひとり暮らしを続けるつもりもなかったが。
それにしても、どれだけ歩いたら次の仕事が見つかるのだろう?
いつまでも無職のままではいられない。
こんな先行きの見えない生活が一体いつまで続くのだろうか。
しかし、いくらわたしが求職活動をがんばっても、わたしを採用するかどうかは企業の側が判断することだ。
もしこのまま大阪で仕事が見つからなかったら、わたしはこの先どうすればいいのだろう?
先のことばかり考えてもしょうがないなと思いながら、わたしは地下鉄の駅の階段を降りた。
(第3話に続く)