ベルサイユのばら・アニメ感想 | 馬の町から

馬の町から

ダンナのフランス赴任で、家族でシャンティイ→シャンティイ近くの村で過ごした、2018年3月26日~2020年10月26日まで、合計ぴったり2年7ヶ月のフランス生活の記録。子供は2008年生まれの娘「はな」(仮名)、2010年生まれの息子「かい」(仮名)。

DVDで買ったベルばらアニメ、観終わりました。

 

 

参考までに、私の過去のベルばら記事↓

 

 

 

さて、DVD…日仏両言語で観ましたけども、日仏比較は明日に回して、とりあえず本日はアニメ自体の感想を…本日の記事は、ネタバレ満載でお届けしますので、読み進められる方はその旨ご了承下さいませ。

 

とりあえず、まず言うならば…原作から入った身としては、アニメ、ひどいよ、と…。

 

イヤ、こういうのってさ、結局どっちから入るかで全然印象違ったりするので…アニメが先だったとしたら、多分違和感なく、「素晴らしいアニメ!」って絶賛してたと思うんだけども…原作から入った身としては、「なんでこんないじり方しちゃう?!」ってのが多すぎて…悲しい。

 

もちろん、原作を映像に落とし込む段階で、いろいろ削らなきゃいけないことがたくさんあるのは、どんな作品でもそうですけど…でも、「削る」ならともかく、「いじる」のは、行き過ぎると…ねぇ。

 

確かに、原作にも「この流れさすがに無理あるだろ」みたいなのはちょいちょいありましたけど…アニメはそういうとこを修正するってより、もうそれ以上に無茶苦茶な流れが多すぎる。

 

ちなみに、1話だけは公式に無料で観られるっぽいですよ(続き観たくなるかもしれませんので自己責任でどうぞw)。

 

 

成長したオスカルの初登場シーン(4:05)は、時代劇チックでクソかっこいいww

 

でも、とりあえず、声が合ってないよね~…フランス語版のオスカルの声はすごくよかったですよ(まー、好みの問題でしょうけど)。

 

あと、最初のうち、一人称が俺だったりあたしだったりなぜか不安定…そのうち落ち着いてたけど…(ウィキによると俺が大不評だったとか…)。

 

さて、アニメがなんでこんなにがっかりかって…原作読んだ方がこの1話を観るだけで、もうだいたいお分かりになるんじゃないかと思いますけども…。

 

さっきも書いたけど、とにかく無茶苦茶な流れが多すぎる。

 

1話で言うと、いきなり隊長はいくらなんでも無茶…とかさぁ。

 

2話、初仕事がいきなりアントワネット輿入れの護衛なんて無茶…とかさぁ。

 

アントワネットも無茶苦茶だし…アントワネット、原作でもイラつくキャラだけど、アニメ版はなんか原作以上にイラついた…。

 

それから、アントワネット妊娠の嘘のくだりはちょっとひどすぎる…いくらなんでも無茶すぎる話。

 

あと、黒い騎士のくだりが雑というか…あんな簡単に交渉に至る?そこに至るまでのオスカルとの心の交流とかもまるでないし…(あとロザリーと結婚するのはいいんだけど、ロザリーの母親が死んだ時に助けたのがベルナールだったという描写が結婚に際して一切なかったね、多分普通にアニメ観てたら忘れてる人のほうが大多数かと)。

 

そもそもオスカルのキャラ付けが全然違うのよ…全体的に妙に反抗的で、とりあえず1話に関してだけでも、「女(アントワネット)のお守りなんてごめんだ」って…原作では「この歳で近衛に選ばれて嬉しい!私が未来の王妃を守るんだ!」って素直にキラキラしてるのに…。

 

ただ、その後しばらくは、なんなら原作よりもオスカルらしかったりもしたんだけど…でも、なぜかその後のアニメ版オスカルはアントワネットに甘々…王妃の浪費に関しても、意見するどころか「今はフェルゼンのことで悲しんでるからしばらくは大目に見よう」とか、「子供ができて幸せそうだから今は言えない」とか…原作から入った身としては、なんじゃそりゃ、そんなのオスカルじゃない、っていう…。

 

つまり、アニメ版のオスカルって、結局ずっとあくまでも「貴族」なんですよね…。

 

原作のオスカルは、貴族でありながらも、平民の貧しい生活に心を寄せて、ルソーなどの思想にも自ら触れて、貴族の特権に疑問を持ち、自分が貴族であることに苦悩して、処罰を恐れずアントワネットに苦言を呈し、民衆を顧みないアントワネットに失望の念を抱き、そういったことがあったからこそ近衛を辞めて衛兵隊に移り最後にはあの感動のバスティーユにつながっていくわけなんですけど、アニメ版ではその心の変化が見られないんですよ(庶民の貧しい生活に触れるシーン自体はいくつかあるんですけどね)。

 

アニメ版の場合、衛兵隊に移ったのも、あくまでもフェルゼンとの決別のつらさから逃げ出すためという個人的な理由だけだし、その衛兵隊に入ってからも、原作では全身全霊、裸の心をぶつけて隊員達と分かりあっていくわけだけど…それは「心は自由だから権力では決して押さえつけたくない」からなわけだけど…そしてそれがあの馬上の名演説につながっていくわけだけど…でも、アニメのオスカルには、あの原作の情熱が一切ないの(異動した理由がそもそも違うんだから当然だけど)…憲兵に捕まった部下の釈放も上司にネゴ=権力を利用してるし、なんか疑問符しかない…。

 

三部会が開催されたあたりからようやく、ほぼ原作のオスカルになった…。

 

あと何より、アンドレへの態度が…見てて辛かった。

 

まず、庶民酒場での乱闘騒ぎはあるのに、その後の「あのシーン」がカット?!って衝撃…まぁ、確かに、「あのシーン」って、解釈が難しいと思うんだけども…。

 

それはまぁいいとして、問題はその後…衛兵隊に移るにあたって、「男」として独り立ちしたいからもう自分と一緒にいなくていいとアンドレに告げるオスカル、その直後のビリビリ事件、そしてアンドレと距離を置くことを決意…アンドレの衛兵隊での立ち位置が原作とまるで違ってて、観てて切なすぎて悲しかった。

 

ビリビリ事件後のその心情は女性の視点で見たら分からないわけではないし、あの事件後でもしれっと今まで通り一緒にいられる原作のほうがおかしいという見方も確かにあるのかもしれないが…それほど愚かしいまでにアンドレはオスカルを想っていたのであって(その後のワイン事件もまたしかり…ちなみにワイン事件はアニメではカット)。

 

原作ではオスカルは、アンドレが自分にとって必要不可欠だと分かっているからこそ、つまりアンドレへのある意味での愛情があればこそ、そのアンドレの愚かしい行為も気持ちも、もっと深いところで受け止めているところがあると思うんですよね…原作では、「お前が影のようにいつもついていてくれるから私は好き勝手できる、私ひとりでは何もできない」と、あの事件後に伝えているわけですが、それがその時点でのオスカルの彼女なりのアンドレへの愛情なわけで、彼女にとって彼はどんな形であれ必要な人だということが、原作のオスカルは分かっていたわけで…。

 

そんなこんなで「私のアンドレ」までの心情の変化も、アニメ版ではいまいち見えない…「え?いきなり?」みたいな(あったのは結婚話後の兵舎内での乱闘騒ぎくらいなもんだよな)。

 

しかも、ようやくそこまでこぎつけたと思ったら、あのオスカル父との名シーンが、まさかまさか…「えっ?!そこからあれにつながらないの?!ここはこれで終わり?!」って…おいおいおいおい!!一体いつまで引っ張るの?!

 

んで、あれよあれよという間にまさかの7月12日!!で、ようやくでしたよ…「この状況で?!」ってかんじでしたけど…まぁこれはこれでもちろん泣けたんだけども(とてもきれいなシーンに仕上がってたし)…でも、アンドレ、報われたのが、24時間すらなかったってことよ…悲しすぎるだろ…。

 

原作で、気持ちが通じ合ってからオスカルがどんどん女性的な部分を見せていくところが、私たまらなく好きなのに…。

 

そしてそして、あの馬上の名演説もない…そりゃそうだよな、ここまで、「心は自由」なんて流れが一切なかったんだから…そして7月13日の流れもいくらなんでも無茶すぎる、みじめすぎる…。

 

まぁ、そんなこんなで…とにかく、オスカルの心情の変化が…国家に対してのものも、アンドレに対してのものも、どちらも、原作のように徐々に高まっていくかんじが全くなくて、「えっいきなり?!」みたいな…イヤ、ある程度絞り込まなきゃ限られた話数に落とし込めないのは分かっちゃいるんだけど、それにしても…本当に残念でした。

 

まぁ、だからアニメでは、13日の夜に、気づくのが遅すぎた自分に後悔するという描写が入ってましたけどね…これに関しては(シチュエーションは疑問符だったけどそういうシーンが入ったこと自体は)原作よりよかったなと思います、原作だと14日になって「えっ?そんなことになる?昨日の夜一体あなたどうやって過ごしてたの???」ってかんじだったし…(それでもあの14日の馬上の涙のシーンはたまらないけども)。

 

でも、原作では「気づくのが遅すぎなくてよかった」という描写だったのにね…残念だ…。

 

あと、原作と違ってバスティーユ陥落を見届けられなかったわけだけど、この日までに、自由平等友愛の思想に傾倒していたわけでもなかったので…観てるこっちとしても、まぁ、いっか、みたいな…でも、この最後も、原作のような「アンドレが待っている」っていう描写がほぼなくて…この点また別記事で書きますけど、フランス語版のほうがよかったです。

 

そうそう、ジェロ―デルもかわいそうだった。

 

まさかの初回から登場なのは、いいポジションもらったじゃんってかんじだったけど(その話もまた無茶苦茶だったけどな…でも原作での最初の扱われ方は、まさか後半こんな重要人物になるとは想像もつかないような適当な描かれ方だったしなw)、でも結婚話は断られるシーンもないままうやむやにされ…そうだ、断られるシーンがカットされたからまた、オスカルのアンドレへの心情の変化を読み取れる1シーンが削られたわけで。

 

ジェロ―デルの結婚話といえば、ばあやもジェロ―デルとの結婚を喜んでいるっぽかったのがこれまた悲しかった…アンドレの気持ちは分かってたっぽいけどねぇ…。

 

でも、アンドレ…かわいそうではあったけど、ポジショニングが最初からずっと重要人物扱いだったのは、原作よりもよかったところ(原作は最初の頃はアンドレの描かれ方かなり雑だったしねぇ)…特にアニメでは結局新しい世界に傾倒していったのはアンドレであって、オスカルは最終的にはアンドレに追随したにすぎないわけだし…。

 

あと、最後オスカルとああやって語れてたのは原作よりもよかったかな…。

 

他、原作よりよかったのは、バスティーユの後が、原作のように長々と続く消化試合じゃなくて、さくっと回想的に終わってくれたことね…やっぱりオスカルのいないこの話はひたすらにつらいので…(でもアントワネットとフェルゼンの顛末の描かれ方はさすがに気の毒かと思ったけども)。

 

アランが平民の設定だったら、ディアンヌ出す必要ないんじゃって思いながらずっと観てたんだけど、あのラストシーンの演出のために犠牲必要だったのね…と思った。

 

それから、オスカルとアンドレがどういうふうに眠っているのか、原作では想像することしかできなかったけど、アニメではそれが語られていたのも、まぁよかったかな…各自の想像に任せるってのもそれはそれでよかったと思うけどもね。

 

その他…まぁ原作のような美麗な絵をそのままにアニメにしろってのは無理があるのは分かっちゃいるけど、やっぱり残念。

 

特に、原作ではアントワネットや貴族達のドレスが、様々かつ美しいんですけど、アニメのはすごく単純なドレス、そしていつも同じドレス着てるじゃん、みたいなかんじでした。

 

あと、パリの風景は、もうちょっと時代考察したほうが…この時代まだオペラガルニエもサクレクールもないわけで…。

 

…とまぁ、なんだかんだ書きましたけど、最後の5話はやっぱり涙なしでは見られませんでしたよ。

 

アニメとしては、純粋に素晴らしい作品だと思います…最後の最後まで報われなかった分、悲恋度も格段に上がってますしね…アニメだけ観てたら、そりゃ泣けるし、毎週釘付けになるだろうと思います。

 

ただ、原作があまりにも傑作なので、そこと比べてしまうと、どうしても…というかんじでした。

 

ウィキを読んだら、原作者もアニメを最初のほう少ししか観てなかったって書いてあるし…原作者とアニメの関係ってそんなもんなんでしょうね、原作と映像は別物のことが多いと思うけど、このベルばらに関しても、アニメは原作とは別のひとつの作品ってかんじでした。

 

てか、ベルばらのウィキ、原作とアニメの内容がごっちゃになってるところが多い…修正したい…w

 

あー…長くなってしまった…フランス語吹き替え版との対比は明日の記事で。