横浜・女児虐待死事件から半年、祖父の消えぬ生き地獄
社会 神奈川新聞 2013年10月23日 00:00
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◇横浜・女児虐待死事件
今年4月、横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん=当時(6)=の遺体が見つかった。
母親の山口行恵被告は暴行と死体遺棄罪で、元同棲相手で建設作業員の八井隆一被告は傷害致死と死体遺棄罪で起訴された。
県警などによると、あいりちゃんは昨年7月22日ごろ、当時住んでいた横浜市南区のアパートの浴室で水を掛けられた上、頭などに殴る蹴るの暴行を受けて死亡、雑木林に遺棄された。あいりちゃんは山口被告に引き取られた2011年6月以降、千葉県松戸市や秦野市、横浜市などを転々とし、学齢期に達した後も小学校には通っていなかった。
◆孫を奪った娘
なぜ娘を止められなかったのか、どうして孫を救えなかったのか-。横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん=当時(6)=の遺体が見つかった事件から、23日で半年がたつ。暴行と死体遺棄罪で起訴された母親の山口行恵被告の父親であり、あいりちゃんの祖父は今も自問し、悔い、自責の念にかられている。
「こんな所に埋めることはないだろう」。やりきれない思いが口をついた。
7月中旬。早朝に茨城県内の自宅を出て、初孫のあいりちゃんの遺体が発見された雑木林に来た。足元には花束やジュースが並ぶ。見知らぬ人たちの心遣いに頭が下がる。線香をたき、ゆっくり手を合わせ、静かに目を閉じた。
「ごめんな、ごめんな、ごめんな」
出来上がったばかりの位牌を持参した。戒名は「愛洸童女(あいこうどうじょ)」。捜査本部のある秦野署に遺骨を受け取りに行く前日、菩提寺の住職に胸の内を吐き出した。「あーこは…」「あーこが…」「あーこと…」。震える声で何度も繰り返した身内でのあいりちゃんの呼び名「あーこ」が、戒名の由来になった。
帰り際、雑木林の様子を携帯電話で撮りながら、独りごちた。「あーこが映ったりして」。冗談のつもりだったが、最後は言葉にならなかった。首に巻いていたタオルで顔を覆い、肩を震わせ、むせび泣いた。
◆生い立ち重ね
生後10カ月から5歳まで、山口被告に代わってあいりちゃんを育てた。明るく、人なつっこく、根は寂しがり屋だった。
朝の日課はハイタッチ。出勤時、パンッと響くまで何回でも繰り返した。「じぃじ、いってらっしゃーい。お仕事頑張ってねー」。姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。「お茶、やってけよお」。日中、家の前を顔見知りのお年寄りが通れば、曾祖母をまねて声を掛けた。夜には「抱っこ、抱っこ」とせがみ、寝付くまで添い寝した。腕枕をしていた右肘は、いまも曲げるたびに痛む。
あいりちゃんが「母親」を意識するようになったのは、保育園に通うようになってからだ。そう感じる。
若い母親たちに交じり、曾祖母が参観日や遠足に来るのを嫌がるようになった。たまに顔を見せる山口被告との別れ際に声を上げて泣くようになり、いつからか、「お母さんが一番大好き」と言うようになっていた。
「自分で育てる」。別居していた山口被告があいりちゃんを引き取ったのは、2011年6月。連絡なしに突然現れ、仕事から帰宅した時にはすでに2人の姿はなかった。
「あれじゃ、引き留められないね」。あいりちゃんのはしゃぎぶりは、近所の人がそう漏らすほどだった。娘の身勝手さに腹は立ったが、これでいいんだ、と自分に言い聞かせた。
振り返れば、実父の顔を知らずに育った自らの生い立ちに、あいりちゃんを重ね合わせていた。養父は自分の連れ子ばかりかわいがり、愛情を注いでもらった記憶がない。親のいない寂しさは身に染みて分かる。「(娘と孫は)ようやく親子になれた」。心底、思った。
父親である自分の目から見た山口被告は人見知りが激しく、おとなしい子どもだった。中学時代には一時、不登校になった。高校を中退してからは、家出を繰り返すようになり、たびたび金を無心した。不良仲間を連れて来ては騒ぎ、気に入らないことがあると家族を怒鳴り散らした。自身が築いた家族でも、孤独感は消えなかった。
それでも、あいりちゃんが生まれてからわずかな変化を感じた。曾祖母があいりちゃんに手を上げて叱った時だ。「私は一度も子どもをたたいたことがないよ」。山口被告がそう言ってかばった。「何だかほっとしました。あーこに愛情を持っていたんだ、と」
◆夢で見た光景
今年4月、不思議な夢を立て続けに見た。〈ガラステーブルの下をゴロゴロと転がるあいりちゃん〉〈山の中で穴を掘る2人組〉。県警の捜査員が自宅を訪ねてきたのは、それから間もなくだった。山口被告があいりちゃんを引き取ってから、1年10カ月が過ぎていた。
風呂場での暴行、雑木林への死体遺棄…。事件の経過が明らかになるにつれ、夢で見た光景とつながっていった。
予兆は、あった。あいりちゃんが去年の正月に日帰り帰省した時、体に小さなアザを見つけた。とっさに虐待を疑った。どうしたのかと尋ねると「何でもないよ」。その言葉に胸をなで下ろしたが、すっかり忘れていた。「決して告げ口をするような子ではなかった」。それが最後の姿になった。
◆「家族くれた」
あいりちゃんは今、自宅近くの墓地に眠る。いつも一緒に歩いたお気に入りの散歩コースの途中だ。墓前には、遺体が見つかった雑木林から土を一握り持ち帰ってまいた。おうちに帰ろう-。そんな思いを込めて。
「じゃあ、行ってくるよ」。毎朝、カレーライスやオムライスなどの好物を仏壇に供え、遺影に話し掛ける。もうお決まりのハイタッチも、手を振る姿もない。
あの日から、酒の量も、たばこの本数も増えた。「あーこは、家庭のぬくもりを知らない私に初めて『家族』をくれた。ずっと分かり合えなかった娘を信じる機会をくれたんです」
家族の幸せを教えてくれた「あーこ」を奪ったのは、自ら育てた娘だった。だからこそ、自分を責める。「後悔、後悔、後悔の生き地獄。この思いは一生消えない」。そう覚悟している。
【神奈川新聞】