「沖に漕ぎ出して網を降ろし、 漁をしなさい。」 (ルカによる福音書5:4)
冒頭の言葉は、イエス・キリストが後に弟子になる漁師たちに言った言葉です。この時、漁師たちは夜通し苦労しても何もとれず、舟から上がって網を洗っていました。しかし彼らはこのイエスの言葉に「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答え、イエスの言う通りにしました。するとおびただしい魚がかかり、網が破れそうになりました。この出来事により彼らはイエスが主(=神)であることを発見し、イエスの弟子となったのでした。
朝の登園のお迎えの際、門のところに立っていますと、道路向かいのハナミズキの木が目に入りますが、アメリカ南部ではハナミズキにまつわる以下のような伝説があるそうです。『キリストの時代、ハナミズキの木は、現在とは大きく異なり、はるかに大きくて幹の強い木でした。キリストが十字架刑に処せられたとき、その十字架はハナミズキの丈夫な木で作られ、神は御子が死んだ日、ハナミズキの木を呪いながらも祝福したということです。神はその花を以前よりもずっと小さくして呪い、イエスの愛を世界にさらに思い出させるために毎年イースターの季節に花を咲かせることで祝福しました。ハナミズキの花にはそれぞれ 4 枚の花びらがあり、十字架を象徴しています。各花びらの端には小さなくぼみがあり、イエスの手足を刺した釘を思い出させます。木に咲くそれぞれの花の中心にはこぶ状の外観があり、キリストが磔刑に処せられたときに頭に置かれたいばらの冠を思い出させます。そして、よく見るとハナミズキの花の縁には赤い色が点在していることが多く、イエスが私たちのために注いでくださった血を思い出させます。』これは信仰によって生み出された創作ですが、その中には聖書の示す真理が含まれています。
新年度もはや一か月が経とうとしています。新しい環境の中で、自分のことで一杯一杯になり、心の余裕が失われてしまうこともあることと思います。しかしそんな時こそ自分以外の声に聞くということが大切なのかもしれません。その中で新しい発見があり、その発見が私たちを実りある日々へと押し出してくれることを願っています。
園長 早川真