ヴロツワフが大好きだったのと
日々仕事をこなすことで精一杯だったので
この年はまったくオーディションのことは
考えていませんでした。

なので、 3月の終わりに監督との個人面談があり

「ダンサーにあげられる契約の数を
今度の会議で決めるからまだ分からないけど、
今シーズンで契約が終わる女性ダンサーで
前の監督が雇った人は全員解雇するかも。

だからダンサーの仕事を続けたければ
オーディションに行きなさい。」

と告げられて、

大好きなヴロツワフに、来シーズンはもう
いられないだろうというショック、
そしてその時期はもうどのバレエ団も
オーディションをほぼ終えていて
次の仕事を探すのが絶望的だったことで
目の前が真っ暗になりましたガーン

自分ができるベストで1年間頑張って
ソロも貰っていたし、
監督も「予算が…」とか
「女子が今持ってる契約を男子に回さないと
やりたい作品ができない…」とか
訊いてもないのにいろいろ理由を挙げて
自分のせいじゃないと説明していたので、
勤務態度や実力不足だとは考えられませんでした。

それでも次の契約が貰えないのか…と
この世界がどれだけ厳しいか、改めて実感しました。

監督が変わってダンサーを解雇というのは
よくある話ですし、そういう状況では
文句なく切ることができる
契約期間が終わるダンサーから解雇されます。
(次の契約をあげないということ)

監督も自分で選んだダンサーと
仕事をしたいだろうし
よくオーディションの話で聞く
「監督が変わる時が入団のチャンス」
というのはこういうことだと思います。

面談の後にまだオーディションをしている
バレエ団を必死で探してメールを送り、
すぐにインビテーションが返ってきたのが
ドイツの劇場と、ポーランド国内の2つの劇場。

ポーランドが好きで
せっかく言葉も勉強していたので、まずは
ポーランドのバレエ団を受けることにしました。

でも、その2つの劇場のオーディションは同日アセアセ

ホームページをよく読んで
自分で考えた結果、日本人が誰もいなくて
しかもヴロツワフからバスで行ける距離だった
Opera Śląskaのオーディションを
受けることに決めました。




解雇を匂わされ、オーディションに
行くまでの期間は約1ヶ月。
この間に肩を何度も脱臼したり、
新作で頑張りすぎて左足の裏を痛めて
体重をかけられない状態になったり、
全然オーディションに挑戦できるような
コンディションではなくて

ここまで頑張ってきたけど
とうとうダメかもしれない…
(バレリーナを続けられないかも)

とまで思っていました。


面談の時、咄嗟に頭が回って
「もうオーディションするには遅すぎるから、
もし次の仕事を見つけられなかったら
一年間、朝のクラスは受けさせて下さい」
と頼んで、しかもなんとオーケーを貰えて、
気持ちが折れなければ一年粘って
次のチャンスを探そうと計画したり、

どうしてもポジティブになれなくて
心が落ちてしまった時は
バレリーナを続けられなくても
ヴロツワフが好きだから
ここのお寿司屋さんで修行して
ヴロツワフで女シェフとしてやっていこう寿司
とんちんかんなことを考えて
寿司レストランの求人を見たりしていました笑い泣き


…そんなことを考えるほど
精神的にぐらっときてしまっていたのですぐすん

ヴロツワフはせっかく見つけた
自分の居場所だと思っていたので…

一人では潰れてしまいそうな気持ちになって、
でもせっかくできた友達には
可哀想と思われなくなくて、
よくお寿司屋さんに行って
顔見知りになったポーランド人の板前さんに
人生どうしよう…と
愚痴を言っていたのを覚えていますえーん寿司

その時否定もせず、肯定もせず
ただ聞いてくれてありがとう板前さんえーんピンクハート





そんなメンタルの浮き沈みを経て
監督に一日だけ休みを貰い、

(監督から直々にオーディション行けと
言われたので、この年は隠す必要も
ありませんでした笑い泣き笑い泣き笑い泣き

一人初めてヨーロッパの長距離バスに乗って
ヴロツワフ→カトヴィツェ→ビトム
とバスを乗り換え
オーディションを受けに行きましたバレエ

ヴロツワフという大都市が、ポーランドの
普通の風景だと思っていた私でしたが
バスを降りて、初めてビトムに降り立った所が
殺風景な場所だったので
「ここは本当にポーランドかキョロキョロ?」
と思いながら
4月の雪の中、オペラまで歩きましたランニング

でも着いてみると
やっぱりオペラ座は大きくて立派で
気を引き締めてオーディションに挑みましたムキー



一応オープンオーディションだったけれど
受験者は確か6,7人で、半分は
バレエ団附属のバレエ学校の子だったと思います。

クラスをしてくれた先生は
バレエ学校の先生で、身内にしか分からないような
順番の教え方をしていたので
ポーランド語で「もう一度見せてもらえませんか?」
と尋ねたら、まさかアジア人が
ポーランド語を話すとは思われてなくて
その場にいた全員に驚かれましたてへぺろ

痛めた足はまだ痛くてバーからもう限界でしたが
なんとかトウシューズの審査まで頑張り
めでたく契約を頂いたのでしたニコニコ

それまでの経験から
一個目のオーディションで決まるとは
夢にも思っていなかったので
バレエの神様がまだ私にバレエを
続けてもいいよと言ってくれてるような
気がして本当に嬉しかったですおねがい

監督の部屋でその時の監督、次期監督(今の監督)、
総監督、事務の人といろんな話をしました。

・契約をくれること。
・お給料のこと。
・6月頭にオペラの初演があって
そこでソロを踊ってほしいから
まだシーズン途中だけどできるだけすぐに
ヴロツワフから移籍してきてほしいこと。
・ソリストとしてとってもいいけど
いきなりだと周りが認めないから
コールドとして始めてほしいということ。
(ソリストになるのはそう簡単ではないと
分かっていたので
そこは話半分に聞いていました笑)

事務の人は英語が少しできて通訳してくれたので
話を全て理解して聞くことができましたキラキラ

これはそんなに大事な話ではないのですが
ヴロツワフで部屋探しの地獄を味わっていたので
オペラから部屋を貸してくれないかも
その時に交渉して、
一部屋おさえておいてもらいました笑い泣き


着替えながら母と先生にLINEで報告をして、
劇場は出ないといけなかったけれど
足が痛すぎて座りたかったので
近くのショッピングモールへ行って
フードコートでジュースを飲みながら
改めて家族にゆっくり電話しました照れ

まだ、私バレエ続けていいみたいやわ、と照れ

あの時間はきっと人生で何番目かに
幸せだった時間だと思いますキラキラ

足が回復してきたので
来たところとは別のバス停まで歩いて
これから住むことになる街並みを
改めて観察しましたキョロキョロ

オーディションの後でほっとしているので
「こじんまりしてるけど
やっぱりヨーロッパの端正な街並みだなぁ」
と印象をポジティブに持ち直し、笑
カトヴィツェに戻って一人
お祝いにお好み焼き屋さんへ行きました爆笑
そして、また長距離バスに乗って
無事ヴロツワフへ帰ったのでしたニコニコ






次の日朝一番に監督の部屋へ行き
オーディションに受かり、移籍先が
決まったことを伝えると
オペラ座専属振付家の旦那さんと二人で

「おめでとう!!!
会議でこの前言ったメンバーには
契約をあげられないことが決まったから、
あなたが次の仕事を見つけられてよかった!
これで石を飲んだように
重い気持ちにならなくて済むわおねがい
(←誰のせいじゃゲローと思ったのは内緒。笑)

と、祝福してくれました笑い泣き
移籍先がなるべくすぐに来てほしいと
言っていることを伝えて、
すぐにスケジュールを確認して
他に行ける人がいないから
私にどうしても出てほしいというツアー公演が
2週間後くらいにあったので
その舞台を最後にヴロツワフを去ることに
決まりました。

移籍先が決まって嬉しかったけれど
こんなに突然、あっという間に
ヴロツワフでの生活の終わりが見えて
淋しくもなりましたぐすん

スタジオに行くとすぐに
年の近い同僚がどうだった?と聞いてくれて、
結果を話すとハグしてお祝いしてくれましたおねがい

可愛がってくれていた双子のベテランダンサーが
「おめでとうやけど、アイがこんなに突然
いなくなるのは本当に淋しい」と
悲しい顔をしてくれたのも嬉しくて
胸がいっぱいになったぐすんぐすんぐすん
こんなどぎつい下ネタをTシャツに書かれました笑い泣き
意味は、多分分からないほうがいいです笑


仲良かった劇場の人達にも
一人ずつ報告に行って
皆「次の仕事が見つかって良かったけど
亜衣がいなくなると淋しくなるぐすん」と
泣いて別れを惜しんでくれて
私はこの場所をとても愛していたけど
皆も私のことを愛してくれてたんだと感じましたぐすん

ルーマニアの劇場を辞めた時は
どちらかというと意気揚揚と辞めてきましたが、笑
この劇場を去って初めて
未来に一歩踏み出す時でも
こんなに悲しくなることがあるのか
こんなに後ろ髪を引かれるものなのか
と感じましたショボーン




劇場以外でも仲良かった人達と
一人ずつ会って、お別れを言って
引越しの日まで、エモーショナルな日々が
怒涛のように過ぎていきました。

引っ越しは一番仲の良かった
オペラ歌手のお兄さんが
車を出して手伝ってくれましたニコニコ

Opera Śląskaのゲストルームに全部荷物を運び
お兄さんにもありがとうとさよならを言った後、
ゲストルームに戻りながら
「また、一人ぼっちか…」
とメソメソ泣きましたぐすん

車でたった2時間半の距離が
こんなに遠く感じたのは初めてでした。



Facebookにも、帰ってきてえーん
なんで?どうしてえーん?と
コメントが来て、また泣きました笑








これが、私が最後に受けた
オーディションの一部始終ですニコニコ







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