11月13日は入浴をしました。
入院以来、入っていなかったお風呂です。
カラスの行水と揶揄されるほど、短い父の入浴時間でしたが、さすがに最後は清潔にしておきたいと考えたのでしょうか。
足腰が弱っている父の安全を考え、周りからはシャワーを勧められましたが、「どうしても湯船に入りたい」というのが希望でした。
父は何を思っていたのでしょうか?この世に生れ落ちてから、これまでのことが走馬灯のように脳裏をめぐっていたのか。湯船に身体をしずめながら、溶け出していくものを感じ取っていたかもしれません。
しかし、実の子だからわかることがあります。
実務的な父は、翌日のことにあれこれ思いを巡らせていたと思います。
これが自分に残された最後のチャンスになるだろう。
終活の総仕上げ。
11月14日、党首討論の日になりました。
父は朝、安倍総裁へ直接電話をします。一旦は伝言になりかけたところ、安倍さんご本人から折り返しのお電話をいただくことになります。
「党首討論において野田総理が解散を約束しないのなら、直ちに不信任案を出して勝負をしろ」
政治評論家・三宅久之が最後に話した政治家は安倍晋三さんとなりました。
党首討論が始まります。
その場で野田総理は突如、二日後に解散すると表明します。
テレビの映像では、安倍総裁はその瞬間、若干眼を見開いたような印象を受けました。
昨年(注:2012年)の末、お別れの会で安倍総理はこんなお話をされました。
あの党首討論は私にとっても、あさって解散と言われると思っていませんでしたから、私も正直驚いたわけです。こちらが驚いたわけなので印象的にはこちらが不利な印象になっていたのかなぁ、と思っていたのですが、三宅さんから私に伝えろといわれたそうで、安倍君、あれは百点満点だったよ。と、こう言われまして。
私はもう、この三宅さんの言葉でこれに勝る私にとって誇りはないなぁ、名誉はないな、このように思った次第でございます。
実は、父はテレビを見ておりませんでした。というよりも、もはやテレビを見られるような体力も残っていなかったのです。
ベッドに伏しながら、ラジオで聞く党首討論。父には安倍総裁の冷静な質問や、野田総理の激しい口調も、目の前の光景として見て取れたのかもしれません。
安倍総裁が「不利な印象」と語られたご心配は杞憂でした。
野田総理の発言に言質をとる安倍総理、その声色を聞いた父は心の底から安堵の息を吐いたに違いありません。
「百点満点だ。」
そして、傍らで父を見守っていた妻・秀子には、「あぁ、これで大丈夫だから」と声をかけました。大願成就。その瞬間、魂は病身に打ち勝ったのでした。
その後、秘書の曽根さんが帰り際に「先生、よかったですねぇ。それでは、また明日」と声をかけたとき、父は「あっ、ちょっと・・・・ま~、いいや」と話を途中で止めたそうです。父の死後、曾根さんは、気になって仕方がありません。それが何だったのか。
でも、娘さんが「先生がいつもお母さんに気に留めてもらうようにそう言ったんじゃないの」と慰めてくれるそうです。
後日、曽根さんは夢の中で父からこう話しかけられたそうです。
「あぁ、曽根さん。元気になったんで、来年から事務所やるから。また頼むよ」
その夜は未明にかけてトイレへ5~6回立つことになったそうです。入院以来、消化器にたまった潰瘍性の下血は、便意がなくても突然噴出してくるものだったそうです。
そして、11月15日。
その日がやってきました。
(つづく)