真説?「愛妻・納税・墓参り」 | 愛妻・納税・墓参り 家族から見た三宅久之回想録

愛妻・納税・墓参り 家族から見た三宅久之回想録

故三宅久之の三男です
父が綴ったブログ「小言幸兵衛」を支えて頂いた多くの方々へ、
感謝の気持ちを込めて家族が近くで見てきた回想録を
ご紹介してまいります

「父を訪ねる旅」へ、ご一緒いただければ幸いです

先日、実家に立ち寄った際、母からこんなことを言われました。

「あなたの書いている物の参考に、いろいろあるから持って行ってちょうだい」



テーブルには、生前の父が愛用していた手帳、著述が載っている新聞記事、旅行の写真や、手紙、はたまた母が父のためにコーディネイトしていた黄色いジャケットやスカーフと、多種多様な「私物」が並んでいました。

母はその中でも特にジャケットを私に譲りたい様子。

「子供は親の遺した服を何か一着身に着けることが、親の供養になる」という由。

私が「袖が短いから無理」と言うことは、母にとっては言い訳に過ぎないようです。今度、実家に寄った際は、何着か持って帰ろうと思います。



2013年、めまぐるしく時勢が移り変わっていきます。

父が亡くなった今、折に触れて父が発信していきたいであろう主張を直接聞くことは叶いません。気が付くと過去に父が残してきた考え方や論評はメディアのアーカイブやネットの社会に溢れていました。

しかし温故知新という言葉もございます。

私にできることはこうしたリアルな私物や埋もれているであろう著述の中から、その一端を繋ぎあわせてご紹介していくことではないかと考えています。




前段が長くなりまして恐縮です。

前回、座右の銘とされた「愛妻・納税・墓参り」のお話をいたしました。

実家から持ち帰った資料の中に、父自ら言葉の意味を語っている記事を見つけましたので、今回はこれをご紹介いたします。



最初は「初心忘るるべからず」といったありきたりの言葉を書いていたんですが、同じことを書く人が多くてね。オリジナルを思案し、誰も文句ないだろうというのが「愛妻、納税、墓参り」でした。使い始めてもう20年以上になります。

「愛妻」の言葉は家内にせせら笑われています(笑)。新聞記者時代はほとんど家庭を省みず、子育ては任せきりでした。時間やお金に多少余裕が出てからは家内を大事にしようと思い、一昨年までは年に1,2回海外旅行に連れていっていました。この間は北海道ツアーを楽しみましたよ。花のきれいな時季だったので、家内はご満悦でした。

「納税」はやはり国民の義務ですから。

記者時代に英国へ行ったとき、現地の公立小学校では、先生が子どもらに「『納税』と『兵役』はあなた方の義務です」と説いていた。「病院も、老人施設も、軍艦も、全てが税金で賄われています。だからあなた方も、将来大人になってから税金を払わないことがあってはいけません」と。

大変感動しましたね。そのような教育の仕方は当時の日本の学校では聞いたことがなかったから。

「墓参り」はもちろん先祖を大事にするという意味ですね。



(「いきいきLIFEみやぎ」 20110920日発行より)





身内の視点で、それぞれ解説を加えてみます。



「愛妻」

父が話すように、家庭を省みることはあまりありませんでした。子供の教育も妻に任せきり、ということも本当だったでしょう。私自身は、年子の兄たちから年齢が離れた子供だったため、特にそう思うのかもしれません。子どもは男ばかりの3人兄弟、父親の背中を見て育て、ということだったのでしょう。

母との海外旅行も、その言葉通り「罪滅ぼし」の意味が強かったのだと思います。父がコラムでこんなことを書いています。



(両親に関して)子どものころは仲のいい夫婦だと思っていたが、年をとってからは喧嘩ばかりしているのに驚いた。恐らく鬱積した不満があったのだろう。私たち夫婦も来年金婚式を迎えるが、女房が朝晩文句を言うのに閉口している。「夕べのイビキがうるさくて睡眠不足」「ご飯を食べるのが早すぎる。作った身にもなってよ」といったたぐいである。

(「愛する母への感謝状」 かんき出版 2005年 『おふくろ』より)



免罪符。祖父は最晩年、夫婦で海外旅行によく行っていましたので、それを見てきた父も将来はそうあるべきと考えていたのでしょう。三宅久之ファンの皆様には少し残念な真相だったかもしれませんが、父は案外、そのあたりのバランス感覚は優れていたのだと思います。


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「納税」

以前、「父のアタマについて」の回で書きましたが、父は30代後半に英国外務省の招待で英国へ長期出張しています。以下はその時の父の回想です。



(ロンドン市内の小学校へ視察の際、ユニオンジャックが掲げられた教室で女性教師は授業でこう切り出します。)



「今日は日本からのお客様が見えているので、大事な話をするから静かにしなさい。」

「ここに掲げてあるのはイギリスの国旗です。これを貼ってある時は静かにするのです。どうしてでしょうか?

この旗は国家なのです。我々は大英帝国の国民です。かつて世界中に英国の領土があり、イギリスでは日が没することはないと言われました。大英帝国の国民は、世界中どこに行っても尊敬されるのです。なぜ尊敬されるのか。あなた方のお父さん、おじいさん、ひいおじいさんが勇敢に戦って、これまで敵を一歩も国内に入れたことがないからです。あなた方のお父さんはナチスドイツと戦った。ヨーロッパを席巻したナポレオンもイギリスは征服できませんでした。16世紀フェリペ2世統治下のスペイン無敵艦隊は、イギリス艦隊に1/3を撃破されて以来、衰亡の一途を辿りました。」

「ですから皆さんが大きくなったとき、戦争はこちらから望んでするべきことではないですが、もし大英帝国に攻めてくる国があれば、銃を持って勇敢に戦わなければなりません。そしてあなた方の家族を守るのです。」

「もう一つ、大英帝国の国民としてやらなくてはいけないことは、税金を納めることです」

「大きくなってお金を稼げるようになったら、たくさん取る人はたくさん、少ない人は少ないなりに税金を納める。それによって国を守るための軍艦を造るし、道路も直すし、病気になった人のために病院も作ることができます。そういうことに使うのです。ですからそれを誤魔化そうなんて思ってはいけません。」



(「日本の問題点をずばり読み解く」 青春出版社 2005年より)



この英国での体験は、父のとって強烈な印象を残したのだと思います。父は「(英国で行われている)まだ子供のころの授業では、英国のインド支配やアヘン戦争といった負の側面の話はせずに、祖国に誇りや自信を持たせるように教えることは当たり前のこと」と断じます。


色紙の文言を考える際に、英国と日本では国の歴史が違いますので、さすがに「保守」とは書きづらく「納税」と書いたのではないでしょうか。


ただテレビ朝日・早河社長がおっしゃられた通り、「納税」には広く社会のルールを守れ、という意味もあったのか、これは父に聞いてみないとわかりません。



「墓参り」

父の話ではさらっと、「先祖を大事にすること」と語ります。これはコメントをいただいた方が「先祖を敬い、伝統を尊ぶこと」と書いてくださいました通りです。

父と同居していた長兄曰く、たしかによく墓参りへ同行していたそうです。直近では亡くなる1ケ月前の秋口、10月上旬のこと。



父は評論家活動の集大成と言える著書「書けなかった特ダネ」の巻末で両親へ感謝の言葉を記しています。



最後に筆者は両親に感謝したい。ちゃらんぽらんな性格ながら、約束は守る、時間には遅れない、礼状は必ず書く、といった几帳面さを持ち合わせているが、これは技術者出身だった親父の遺伝子に違いない。

もし、多少の文才があるとするなら、これは文学少女志向で、80歳を過ぎても自分史を書きたいといっていたオフクロの血統によるものだろう。



事務所の書斎には、父が毎朝手をあわせていた祖父母の写真が残っています。私もそれに倣い、家の居間に両親の写真を飾ることにしました。



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父が亡くなった翌日の日刊スポーツさん記事紙面、ご好意でいただいた写真。

2005年5月10日・出版記念パーティーにて。左から渡邊主筆、妻、父、母


合掌。