地上天国の住民への道も一歩から
2030年まであと8年
日月神示
ツイッター上で
~やりとりをオープン
にしているの型~
2022.12.17
【米国】FBIとソーシャルメディア
【及川幸久−BREAKING−】
一つ言えるのは、
こういうやり取りも、
すべてTwitter上で
オープンにやっている。
このバリューアイス?にしても、
イーロンマスクにしてもね。
ここに一つの特徴があると思うですね。
今迄こういうものってのは、
陰でわからないようにやってた
と思うんですけど。
これ全部出しているってところに、
意味があるんではないかと思います。

さあ~!
昼の世界到来を
全身で感じるんだ~!!
世界救世教
◆激しい病気の発生
キリストの
「世の終わり近づけり、汝ら悔い改めよ」
の警告の意味は、
「夜の世界が終わり
昼の世界が来る」
ということであった。
それは私の言う夜昼転換のことで、
三次元の世界(霊界)の転換は1881年、
二次元の世界の転換は1930年、
そして現界の転換は目睫(もくしょう)に
迫っている。
では、
今、霊界はどういう状態なのであろうか。
言うまでもなく
霊界においては、
夜の期間中は
水素が主で火素が従で
あったものが、
昼の世界に入るや
その反対に
火素が主で水素が従
となるのである。
すなわち
暗が明に変わるのである。
それだけなら別段心配することはないが、
実はこれによって
空前の大変化が起こるのである。
というのは
未だかつて経験のないほどの
破壊と創造が行われる。
すなわち
霊界においては
濁が清となり、
そのまま現界に移写されるから、
現界はいかに大いなる変異を起こすか
想像に余りある。
勿論霊界に火素が殖える結果として、
浄化力発生とともに
時の経過に正比例して
漸次強化されるのである。
その表れとして
善悪正邪は明らかとなり、
全人類に浄化が行われる。
元々人間の病気とは
火素による浄化作用であるから、
体内に汚濁を
多量に保有している者ほど
強烈なる浄化が行われる
のは当然である。
◆最後の審判
『地上天国』12号、
昭和25(1950)年1月20日発行
キリストのいった最後の審判とは、
いついかなる形によって
現れるものであろうかは
これは基督者(クリスチャン)はもとより
一般人も知らんとするところであろう。
いよいよ時期切迫の折柄、
その片鱗をここに発表するのである。
しかしこれは私個人の見解ではない。
全く霊感によるのであるから、
一の参考とし学説として読まれん事である。
一体、最後の審判なるものは
事実あるであろうかを、
まず決めるべきである。
そうして
仮にも世界をリードしている
文化国民を中心に、
数億の尊信者が絶対帰依している、
キリストともいわるる大聖者が
あり得ざる事をあるといって
予言するはずはない。
もし本当にないとしたら、
単なる嘘つきという事になる。
黄砂に吹かれて 工藤静香
したがって、
(クリスチャン)
基督者ならぬ吾ら
といえども
一点の疑いなく確信している
のである。
また私がこれだけは信じている、
彼の大本教祖のお筆先にいわく
「神の申した事は、
毛筋の横幅も違わんぞよ」
という言葉は
そのまま審判の予言に当はめても
間違いないと思うのである。
また善悪についてこういうお筆先がある。
「悪は根絶やしに致して善の世に致すぞよ」
「悪の世は済みたぞよ」
「悪の世は九分九厘で厘止りに致し、
一厘の仕組で善の世に振替えるぞよ」
「いよいよ世の切替時が来るぞよ」
とあるのはいずれも
最後の審判の意味でなくて何であろう。
吾らが常にいうこれが
いわゆる夜昼転換の事である。
またお筆先に、
「この世の大峠が来るから
身魂を磨いておいて下されよ」
というところもある。
これは夜昼の転換期を言ったもので、
それを越すためには濁った身魂では
駄目だという意味である。
以上によって
聖書の審判を基礎とし
お筆先の意味を検討する時、
こういう結論になろう。
「すなわち大危機が迫っており、
それを乗越すには
心が浄(きよ)く
なければならない。
悪人は転落して、永遠に滅びる」
という意味である。
とすれば、
どうしても
正しい信仰によって魂を浄め
無事に乗越さなければならないのである。
しかしながら、
世の中にはそんな馬鹿な事があって堪る
ものか、神も仏も人間が造ったもので、
現実にそんなものはあるはずがないという。
唯物主義者は仲々信じられまいが、
その時になっていかに
周章(あわ)てふためき
神に縋るといえども最早手遅れで、
どうにもならない事になるのは、
火をみるよりも明らかである。
もちろん神の大愛は
一人でも多くを救わせ給うのであるから、
神意を体する吾らとしては、
繰返し繰返し
筆に口に警告を与えている
のである。
この事をお筆先には、
「神は助けようと思って、
筆先でなんぼ知らしてやれども、
いつも鳴く烏(からす)の声と
油断を致していると、
今に栃麺棒(とちめんぼう)をふるって、
逆さになって
お詫びをせんならん時が来るが、
その時になっては、
神はそんな者にかもうてはおれんから、
身から出た錆とあきらめて
往生致そうより仕様がないぞよ」
とあるのは、
それをよく言い表していると
思うのである。
神はすべての人を愛しておられます。
決してせこい方では
ありません。
信じない者は救えないのです。
世界救世教
◆御 詠
キリストも 釈迦も
諸もろ聖者たちの
おしえ
教を生かす吾にぞありける
それ流行ってんの?
ま~だ
まだかい!
それはまだ、
流行っていない。
信じる気持ちが、
魔法のはじまり。
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天国の福音と真理は
普く宣べ伝えるべし
しかる後
世の終りも来る
と共に
天国も出現する









































