地上天国(ミロクの世)の住民への道も一歩から

2030年まであと8年

 

 

 

日月神示

この道に縁ある者だけで出せよ、
カタで良いのじゃぞ。

 

 

 

コミュニティ通貨

~100アキコ型~

 

 

 

 

 

 

 

 

【初披露ものまね❗️】

浜田省吾/MONEYを本気で歌ってみた

Mr.シャチホコの世界

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日月神示

 

金は要らん

と申してあろうがな、

元の世になる迄に、

そうした事になって、

それからマコトの神の世になるのだ。

神の世はマツリあるだけぞ、

 

 

 

日月神示 第13帖 (249)

 

世界の片端浜辺から

いよいよが始まる

と知らしてあること

近うなったぞ。

 

くどい様なれど、

さっぱりと洗濯してくれよ。

神の国は

神のやり方でないと治まらんから

 

 

 

今までの法度(はっと)からコトから、

やり方変えて、

今迄はやり方違っていたから、

神のお道通りに致しますと

心からお詫びせねば、

するまで苦しむのだぞ、

この苦しみは

筆にも口にもない様なことに、

臣民の心次第でなるのだから、

くどく申しているのだぞ。

 

 

何もかも神にささげよ、

てんし様にささげよと申してあろうが。

それが神国の民の心得ぞ、

否(いや)でも応(おう)でも

そうなって来るのだぞ。

 

神国政治経済一つだと

申してあろうが。

 

 

イスラム経済とは何か?

資本主義でも社会主義でもない経済観を解説

 

今の臣民に判る様に申すならば、

臣民働いてとれたものは、

何でも神様にささげるのだ、

 

 

神の御社は幸でうずもれるのだぞ、

輝くのだぞ、

の街となるのだぞ。

神から分けて下さるのだぞ

その人の働きによって

それぞれに恵みのしるし下さるのだぞ、

それがお宝ぞ。

 

(和を以て貴しとなす券)

お宝は相当に集まるのだぞ、

金は要らん

と申してあろうがな、

 

 

元の世になる迄に、

そうした事になって、

それからマコトの神の世になるのだ。

神の世はマツリあるだけぞ、

それ迄にお宝下さるのだぞ、

お宝とは今のお札(さつ)の様なものだぞ。

 

 

 

 

 

 

判る様に申すなら、

御社と臣民のお役所市場

合した様なものが、

一時は出来るのだぞ、

 

 

嬉し嬉しとなるのだぞ

 

 

マコトのマツリの一(はじめ)ざぞ。

このことよく肚に入れて

一二三(ひふみ)として説いて、

早う上の守護人殿にも、

下の守護人殿にも知らして、

安心して、勇んで暮す様にしてやって下されよ。

それも臣民の心次第、

素直な人、

早う嬉しくなって、

心勇むぞ、

さびしくなったら 

訪ねて御座れと申してあろうがな。

 

 

 

 

唯心教育

もっとみんなのものに

 

 

 

 

 

『クボタが描く未来 大空間ピュアウォッシャー技術』篇

 

やっぱり

未来が見えてる!

 

 

 

 

 

世界救世教

 

◆主だった人間が見真実になって

 地上天国を完成する。

 

◆五六七の世では、

 ほとんどの人が見真実

 

 

 

◆新宗教とは何か

 

 

(抜粋)

現代人とても

決して信仰心がないわけではない

 

 

ただ現代人的感覚からみて、

信じ得る宗教が余りないからで、

ありさえすれば

必ず信じるのは、

私の経験によっても確かである。

 

 

むしろ

そういう宗教を求めている人が

大多数といっていい。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

迷える羊を導けるのは

迷える羊だった人。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

処がそういう宗教が見当たらないため、

止むなく無信仰者となっており、

それに対し何といっても

科学の方は手っ取り早く、目に見えて、

人間の欲求を満たしてくれる以上、

 

 

自然依存することになるのは

致し方あるまい。

 

 

 

◆生きてる宗教

宗教にも生きてる宗教と死んでる宗教とが

あるといったら変に思うであろうが、

それをこれから書いてみよう。

生きてる宗教とは

即ち実際生活に即したもの

言うのであって、

死んでる宗教とはその反対である。

~省略~

本教は知らるる如く歴史は

歴史として尊重はするが、

それにこだわる事なく、

神命のまま独自の方針をもって進んでいる。

然も

新生宗教としての若々しさは

青年の血が通っており

 

 

 

今行っている事業にしても、

医学農業革命は固より、

凡ゆる文化の欠陥指摘し、

新文化理念指導精神

としている。

 

 

 

 

 

 

その具体化の一つが

地上天国の模型や美術館の建設であって、

これこそ第一線的のものであり、

勿論この狙いは

汚され疲れた魂の憩いの聖地であると共に、

俗悪極まる今日の娯楽に対する一塊の明礬として、

人間の品性を高める事でもある。

 

 

以上の如き本教の経綸は、

個人的には健康、救貧、思想の健全化等に

資するは勿論、大にしては

明朗不安なき社会を作らんとするのである。

 

 

この事は近来識者間にも漸く認められ、

注目の的になりつつあるのは喜ばしい限りである。

しかし今は小規模であるが、

何れは世界的に拡充された暁、

日本から

平和幸福な理想世界の構想が

生まれるわけで、

これは敢えて夢ではない事を明言する。

 

 

 

◆真の大乗宗教

 

(抜粋)

世界的宗教としての

仏教、キリスト教は固より、

日本に於ける神道、仏教にしてもそうであり、

然もその一宗一派の中にも分派があり、

 

 

それぞれの色分けになっているので、

これ等を考えてみると、

どうも根本的不合理感ずる

 

 

というのは、

宗教なるものの本来である。

言うまでもなく、

人間相互の親愛、平和協調精神が

生命である以上、

目標は一つであらねばならない。

 

 

      

 

 

従って

その手段方法にしても

色分け等ないのが本当ではなかろうか。

それが別れ別れになっているとしたら、

人類の思想もそれに伴なうのは勿論で、

これが又社会混乱の原因ともなろう。

然も

宗教という善の側にある人の力は分散されるから、

邪神の力に対抗する事も出来なくなる。

これは事実を見ても分る如く、

宗教よりもその反対側である

邪悪の方の力が勝つ事が常にある。

尤も

十全

邪神九分九厘であるから、

最後は神が勝つのは勿論だが、

それだけ善の方

苦しみは並大抵ではない。

 

 

これに就いて

私の経験上そういう事がよくあった。

 

 

それは邪神の勢力は旺盛で

殆んど支配権を握っており、

 

 

絶えず我々に対し眼を光らし、

隙あらば切り込んで来る。

 

 

彼の

キリストサタン

釈迦提婆

の言い伝えは

今も変りないとさえ思われる。

こうみてくると

宗教は邪神以上の力を有(も)たねばならない。

それでなくては

善の勝つ幸福な世にはなり得ないのである。

そうなってこそ

万教は帰一し、

世界は一丸となり、

ここに不安なき幸福な世界が実現するのである。

 

 

しかしそれは容易な業ではないが、

不可能ではない。

何故ならば主神の御目的たる地上天国は

すでに近寄りつつあるからである。

 

 

その根本は勿論小乗を棄て、

大乗精神が基本的となる事である。

即ち地球上一切のもの、

宗教、科学、政治、経済、芸術等悉くを

包含された処の超文化運動であり、

 

はじまりの合図  ケツメイシ 

 

その指導的役割こそ、

超人的力と知恵とを有する巨人が

出なければならない事である。

      (昭和29年1月6日)

 

 

 

 

◆世界救世教とは何ぞや

 

本教団は地上天国出現を目的とし、

物質文化の進歩と相俟って

宗教文化を創成普及せんとするものである。

地上天国とは病貧争絶無の世界、

全く人類理想の世界を言うにある事は

言うまでもない。

彼の釈尊が唱えた五六七の世も、

 

 

キリストが予言せし

天国は近づけり」と

 

 

いう事も、

日蓮の叫ばれた義農の世も、

 

 

天理教の理想とせる

一列揃って甘露台の世」も、

吾等の曰う「地上天国」と

同様の意味である。

 

 

ただ異なる処は『』の問題であるが、

右の諸宗祖は『』を知らせなかった。

然るにその時期

非常に近づきつつある事を、

私は覚り得たのである。

 

 

時が近づきつつある

という事は何を意味するか。

それは釈尊の唱えた仏滅であり、

法滅尽であり、

キリストの世の終り

又は最後の審判の事である。

 

もしこの侭にして

地上天国が来るとすれば、

人類は洵に幸福であるが、

新しき理想世界が建設されるというに

就いては、

その前に

旧世界の清算がなくては

ならない訳である。

丁度新しき家を建てんとするには

旧き家を破壊し、

土地を清浄化されなくてはならない。

勿論旧き家にも役立つものは相当あろうから、

それは残さるるであろう。

その取捨選択がなし給う事は

勿論である。

 

 

 

故に人間は残されるもの、

即ち新世界に役立つ者とならなければならない。

それによって大いなる切替時を

易く越えらるる事で所謂神の試験に

パスするのである。

その只一つの方法が信仰である。

以上説く如く

世界の大転換期を乗り越す資格

とは、病貧争絶無の世界に

生存なし得る人間であって文字通り

病気のない健康人、

貧苦から脱出した人間、

和を好み争を嫌う人間である。

この三大資格を有する人間であれば

神は滅し給う必要がないばかりか、

来たるべき新世界の有能人として遇されるわけで、

神の意図と人間の理想との食違いはないことを

私は信ずるのである。

然らば、右の三大資格を得んとする方法ありや。

本教団は右の資格者たらしむべく教導し、

神の恩恵を取次がんとするものである。

        (昭和二十三年九月五日)

 

◆御 詠

 

地上天国 打樹つるまでのいと深き 

仕組にありぬ 長き歴史

 

 

 

キリストは最後の審判の言葉をもって
一大警告を発せられている。

 


ただ今日までこの審判の真相と

時期が判然と分からなかったので、
人類は真の自覚を得られなかったのである。
しかるに

いよいよ時の迫った今、
神は私をしてここに一大警告を与えるべく、
具体的に書かしめ給うたのである。


以上の意味において、
大審判が今や全人類の頭上に

蔽い被さらんとするこの(とき)、
一人でも多くの人間を救うのが

神の大愛である以上、
大審判の執行者であり、

人間の生命を握られ給うのであるから、
神の御手に縋って罪を赦されるよりほかに
この難関を切り抜ける方法は絶対ないのである。
すなわち人類が負える罪の重荷を

神の御手によって取り除かれ
清められる以外救われる道はないからである。
私はこの最後の救いの執行者として、

 


神の委任のままに責任を遂行すべく

ここに一大警鐘を鳴らすのである以上、
耳を塞ぎ聞くを欲せざる人は

自ら滅びの運命を選ぶ人というより

ほかに言葉はない。
いよいよの時になって悔い改むるも、
もはや取り返しのつかないことを

警告して筆を擱くのである。

            (昭和24年12月31日)

 

 

 

あの鐘を鳴らすのはあなた 

和田アキ子 

 

 

 

 

日本が良くならないと

世界は良くならない

 

日本が世界の雛形にならねば

 

 

このメッセージがわかる人、

7人に伝わればと

 

 

 


 

 

共産主義がなくなり、

 

 

資本主義がなくなり、

 


仏教がなくなり、(仏滅)

 

 

キリスト教がなくなる(終りの世)

 

 

 

 

 

 

ということになり、
そうして本当の

理想的な文明が現われる

ということになります。

 

 

 

 

出来上がりたら、

なんとした結構なことかと

皆がビックリするのざぞ

 

 

 

 

 

早うの臣民ばかりで固めてくれよ。

神世出してくれよ。

時、取り違えぬように、

時、来たぞーー!!

 

 

 

天国の福音真理

普く宣べ伝えるべし

しかる後

三千年分の

諸々の枉事罪穢を 

祓ひ給へ浄め賜へ

を越えて

ピッカピカ

明朗清純な光明世界至る