地上天国(ミロクの世)の住民への道も一歩から

 

 

世界救世教とは|

その教えが危険でやばいと言われる理由

 

 

世界救世教

 

        

       (天国之道)

 

つまり

応変自在自由無碍の境地

になればいいので、

要は一切に捉われないことである。

観世音菩薩の別の御名無碍光如来も、

それを表わされているのである。

 

        

       (無碍之光)


自由なる信仰


(抜粋)

私は宗教に就いての自由を言いたいのである。

それは、信者の意志を制約して

教団の都合を図(はか)ることで、

これこそもってのほかである。

然もその手段として用いるのが

言葉脅迫であるから、

ここに至っては最早

赦すべからざる信仰的脅迫である。


他の宗教に触るるのを恐れる理由は、
その宗教より以上の宗教があるかも知れない

との懸念の為であろう。
というのは、

その宗教弱点があるからで、
大いに注意すべきである。


そうして自画自賛で言い辛いが、
我が救世教に限って

その点実に自由である。

 


これは信者はよく知っているが、
他のどんな宗教にでも大いに触れるべしと
言っている。
勿論研究も結構で、

それだけで見聞が拡まるからである。
その結果

もし

救世教以上のものが

あったとしたら、
いつ転向しても差し支えない。

 

 

決して罪とはならないからで、
本当の神様なら

その人が救われ、

 


幸福になりさえすれば
それでいいのである。


 

◆御注意  昭和25年12月27日

 

明主様より左の如き御言葉がありました。

時々聞く事ではあるが、

御浄霊者が病人に対し、

医者へ掛かってはいけない。

注射をしてはいけない。

薬を飲むな。

等というのは法規に触れる以上、

決して言うてはならないのである。

すべては病人自由であって、

些かも

自由を拘束してはならない

のである。

 

 

 

 

◆神様にお金を上げて

 貧乏になるような宗教なら

 やめたほうがいい

 

 

それは

その神様にがないのです。

 

本教は最も搾取を嫌い

自発的寄付を方針としている。

 

 

病院を必要としない宗教は救世教のみ

 

各宗教で病気が治らなくなったということは、

昭和6年6月15日に今の御神事があってから

治らなくなったのです。

私は先に天理教の人にその話をしたところが、

ちょうど6年あたりから天理教でも

病気が治らなくなったということを言っていました。

それで仕方がないというので

各宗教で病院をつくるようになった。

大体、天理教でも病気治しで

あれだけになったのですから、

天理教が病気が治らないということは、

最初とはまるで違ってきたのです。

それから人の道でも金光教でも、

みんな病気治しであれだけになったのです。

しかしそういう宗教が

みんな病院をつくったのです。

天理教も立派な病院をつくるし、

人の道でもつくるし、

この間は立正佼成会も

立派な病院をつくりました。

そういうようで、

相当目立つ宗教としては

救世教だけが

病院をつくらないのです。

それは昼になったために、

他は全部月の宗教ですから、

そこで治らなくなったというわけです。

はっきりしているのです。

それに引き換えて

こっちはだんだん

治り方が良くなる

ということは、

日がだんだん昇っていくから、

太陽の光が強くなるからなのです。

 

 

御 詠

いたつきをいやすちからのなかりせば

しゅうきょうとてもかがくいかなり

病を 医す力なかりせば 

宗教とても 科学以下なり

 

 

◆神様は在るということを見せるのは奇蹟


今までの宗教・・・というのが教えですが、

教えだけでは力が弱いのです。
救世教は教えとともに

事実を見せるというので、
これで人間は初めて神様は確かに在る

ということが分かり、
そうすると

悪い事はできないということになって、
これで本当の人間になるわけです。
それで神様は確かに在るといことを

見せるのは奇蹟なのです。
奇蹟以外で神様の実在を信ずるということは

できないのです。
ところが今まではそういった

奇蹟を見せないで、ただ

「神は在る、神は在るから信じろ」

と言うが、実際理屈に合いません。
そこで、

本当に救われないのです。
「神の存在は、

奇蹟を体験することによって

初めて認識できる」
というのは明主様の持論であった。

 

◆幸福者を作る宗教

 

~省略~

次に問題である人間の幸福について

かいてみよう。

すなわち幸福を生む根本は何かというと

もちろん善であるが

この善を通そうとするには

悪に勝つだけの力が

なくてはならない

のは言うまでもないが、

既成宗教にはこの力が不足していたため、

真の幸福は得られなかった。

そこで物質は諦め、せめて精神面なりとも

安心を得たいとの民衆の要求に応えたのが、

彼の仏教の悟りの説である。

 

 

またキリスト教ではキリストに習えという

贖罪(しょくざい)精神で諦めさせた

のである。

 

 

 

彼の“右の頬を打たれれば左の頬を出せ”

と言ったのも、

無低抗的悪に対する敗北精神であった。

 

◆御 詠

千の経文 万のバイブル読むとて

利益なければに等しも

 

以上のごとくことごとくの既成宗教は

物質的には悪に勝てないので、

考え出したのが

現当利益否定説である。

 

 

いわく現当利益本位の宗教は低級であって、

精神的救いこそ高級宗教なりとの説を

唱えたのは無理はないが、

それはある時期まで便法(べんぽう)で

しかなかったのである。

これについて二、三の例を挙げてみるが

よく長い間病気で苦しみながら救われたといって

満足しているが、これは無理に本心を抑えつけて

諦めているにすぎないので、

一種の自己欺瞞である。

病気が全快してこそ

本心からの満足感を得らるるのが真実である。

また昔からその信仰にいか程熱烈であっても、

物質的に恵まれず、

不幸の絶えない家庭もよくあるが、

その結果

精神的救いのみが

宗教本来のあり方と錯覚した

のである。
ところが

我が救世教は、

精神的救いと共に

物質的にも救われる

 

 

 

むしろそれ以上といってもいい程である。

本教が数年の間に現在見るごとく、

各地に地上天国美術館等を

造営しつつあるのもことごとく

信者の寄付金である。

しかも本教は最も搾取(さくしゅ)を嫌い、

自発的寄付を方針としている。

にもかかわらずこれ程の

大規模の事業を経営するとしたら

莫大な基金を要するのはもちろんで、

それが集ってくるのは、実に奇蹟である。

これにみても信者の懐(ふところ)が

楽であるからである。

しかも一時的ではなく、

多々益々増えるのであるから、

金銭上の心配などした事はない。

次に言いたい事は時代である。

昔の各宗教が出た時代は

小乗信仰でよかったから、

祖師(そし)は紙衣(かみこ)の

五十年式で済んだが、

今日となってはそうはゆかない。

一切万事世界的となった以上、

全人類を救うとしたら

驚くべき大仕掛でなくてはならない

つまり規模が大きい程

救われる人も多数に上るからである。

以上のごとき本教の大計画を知ったなら、

何人といえども本教を見直さない訳には

ゆかないであろう。

 

 

 

 

 

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需要が変われば

供給が変わるかも

 

 

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明主様をメシア(救い主)として信じる

 

世界メシア教の復活

 

 

イエス・キリストを救い主として信じるとは

どういうことでしょう。

私達を愛し、その血によって

私達を罪から解き放って下さった方として

信じることです。

 

この私達を愛しというのはね、

継続系なんです。

現在も

ず~っと愛し続けて

 

いつから愛し続けて下さったのでしょう?

 

信じる前からですよ。

 

信じる前からですよ。

 

 

まだ、

 

神なんかいらない!

 

神様なんか信じない!!

 

神なんか関係ない!!

 

と言ってる時から

神はず~~~っと私達を愛し続けて

 

 

 

 

世界救世教

 

◆大浄化作用による罪の清算

 

火素の渦が巻く(=コロナ禍?)

 

霊界ではいよいよ

左進右退的活動が始まるのです。

そうすると

それはどういう結果になるかというと、

火の霊気はつまり火素ですから、

浄化作用が強くなるわけです。

そうすると

この左進右退的の渦巻が

一切のものに行って、

ある程度浄化されたきれいなものは

中に入れますが、

汚いものは外にはねられてしまうのです。

大浄化作用です。

ですから残ったものはで、

はねのけられたものはですから、

自然に善悪の立て別けがついてしまうわけです。

 

 

それでこの渦巻を自然に通って、

はねのけられない人をつくるのが

救世教の信仰です。

あなた方ははねのけられないでしょうが、

しかしあんまり慢心したり

取り違いをしたりすると

危ないですから、

そこをうまくやってもらえばよいのです。

それでその中にはスーッと通る人もあるし、

通っても閊(つか)えたりして、

かなり苦しむ人もあります。

 

それで一番現れるのは病気です。

これはあなた方が始終浄霊をしていて、

だんだん浄化が強くなって、

強くなると

どっちかに片付くのが早くなる。

 

 

助かる 死ぬ 

ということがはっきりする

のです。

これは日の経つに従って

そういうようになってきたということで

十分分かるわけです。

 

ですからこれからは

非常に面白くなるし、

恐ろしくもなるし

間違っている

間違ってない

の結果が

早く分かるわけです。

 

◆御 詠

禍(わざわい)と吉(よ)きこと 
一度に来たるなり

世の替り目のなりなば
 

けれども、私の話をよく聞いて

御神書を読んでいれば

そう難しいことはありません。

 

 

それで今までの小乗宗教と違って窮屈な、

やかましいことはないですから、

本当の意味さえ分かれば

楽々と峠は越せるわけです。

一番肝腎なことは、

小乗的に物事を決めないことです。

というのは、

一番わかりやすいのは、

人間の考えでは分からないと思えばよいのです。

ところが、

小乗的考えの人は、

自分で理屈をつけて

それが本当だと思い込んでしまうのです。

だから一生懸命にやりながらかえって

間違ってしまうのです。

これは大本教のお筆先にうまいことを

書いてあります。

 

「人民が良いと思ってした事は、

 神の眼から見れば

 間違っている事が沢山あるぞよ」

 

 

というのがあります。

だから良いと思い善と思っていることが、

実は神様のお邪魔になることがあります。

それは自分の思うことが本当だと思うからです。

そう思うということは慢心なのです。

だからお筆先には

慢心取り違いを一番注意してあります。

それで

「人民の眼で分かるような、

そんなチョロコイ仕組みは致してないぞよ。

神界の事は、分からんと思いたる人は

分かったのであるぞよ」

というのがありますが、

御神書を読めば

どこかしらにチャンとありますから、

それさえよく気に止めて判断すれば、

別に難しいことも何もないので、

かえってなのです。

 

 

◆浄化作用が強くなるにつれて

 

それから浄化作用ですが、

これはみんな知っているでしょうが、

だんだん強くなってきてます。

来月立春祭をすぎるとまたかなり強くなる

わけなので、信者の人はよほどボヤボヤして

いられないことになるのです。

というのは、つまり片付くと言いますか、

良くなる人と

悪くなる人が

はっきりするとともに、

肉体ではもういけないというように、

つまり決められるわけです。

 

 

 

これもあんまり良い気持ちはしないのです。

やっぱり肉体で働いた方がよいです。

霊界で働くのは

ずっと後の遅い方がよいわけです。

これは信者未信者にかかわらず、

最近随分死ぬ人があるのです。

私などもハッと思うようなことがあるのです。

しかしまだまだ序の口です。

今年の節分すぎあたりから

序の口に入るというような時期になるわけです。

 

666 獣システム

 

 

 

◆御 詠

油断すな 眼には見えねど

審判の時は日に日に 迫りくるなり

 

 

 

それで最初は信者の人が多いですが、

それから

だんだん一般の人に及ぼすように

なってきます。

 

霊眼で見る人がよく言いますが、

今霊界は死人の山なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなって初めて

私の唱える医学の根本が分かるわけです。

 

 

そうなると

病気は救世教の浄霊よりほかに駄目だ

 

 

ということが分かって、

一ぺんに信者が増えるわけです。

天手古舞をする時期が来るわけです。

それは一度に来るわけではないので、

だんだんにそうなってきます。

 


◆大浄化の折、喜ばして返報返しする。

(御論文「寿命が延びた理由」朗読後の御教え)

つまり浄化停止がうまくなったわけです。
進歩というと変ですが、

浄化停止の方法が上手になったわけです。

 


ですから確かに寿命は一時延びますが、
これもある時期というより

もう2、3年もたつと
霊界の浄化が非常に強くなりますから、

今度は逆に恐ろしく短命になる時代が来るのです。
それは恐怖時代になるわけです。
それがもうだいぶ近寄っています
一番よく分かるのは、あなた方が浄霊して、

以前よりか治りよくなったでしょう。
これは浄化力が強くなったわけです。
それから作物に虫害などが

非常に多くなったということも、
霊界が変わってきたわけです。

 


つまり浄化力が強くなるということは、
今に薬をだんだん強めて

 

 

そうして浄化を止めて、
近頃のように寿命が延びるということは、

逆療法が極端に進歩したわけです。
それでこの辺で

逆療法の方は頭がつかえるわけです。

 


そうして今度は浄化力の方の、
逆療法を打ち消す霊界の方の

強い力が増してきますから、
ちょうど今年の不作のようで、
もう少したつと今度は馬鹿に

浄化停止の力が弱ってくるのです。
反動的に弱ってくるのです。
そうすると薬を飲むとすぐに悪くなり、

注射をするとすぐに参ってしまう

ようになり、いつかも言った通り

お医者自身が怖くなって、

「これは大変だ、ちょっと手を出すと
みんな悪くなってしまったり、参ってしまう。」

 

 

ということになり、
つまり恐怖時代です。
それからが初めて
救世教の唱えた説が本当だ

これはどうも救世教に縋るよりほかに
安心ができない」ということになるのです。


 

そういう時がきっと来るのです。

 

 

 

◆大慈の御心

 

ーーー火素が増加し浄化が激しくなり、

死亡する人も多くなるから、

理解の浅い人には手をつけない方が・・・。

 

これはいけませんね、

こういう考え方は。

第一、理解してる人は救う必要がありませんよ。

理解できない人ほど救う必要があるんですよ。

それが救いなんです、

そうでしょ。

だから、

理解してない人ほど

してあげなけりゃいけませんよ。

 

 

◆大悲の御心

 

何事でも、人間の苦しみを減らすことは

神の慈悲なんですから、

余計なことは何も考えないで、

無意識に、

ただ可哀そうだからやってやる

 

 

それでいい。

無意識でいいんです。

 

 

それがやむにやまれぬ慈悲なんですよ。

そして、そうすることがまた、

神様の御旨に敵うんですよ。

 

 

 

◆浄霊を頂きたい時は頭を下げて頼む

 

つまり浄霊でも出鱈目では

あんまり効かないのです。

それですから私なども、

普段家内などがどんなに苦しんでいても、

決して向こうでやってもらいたいと

頼むまでは

絶対にやってやらないのです。

「ここが苦しいから」

「ここが痛いからやって頂きたい」

と言えばよいですが、

人間というものは変なもので

謎をかけるのです。

 

 

「ああここが気持ち悪い」とか

「ここが苦しい」と言うのですが、

私は知らん顔しているのです。

向こうが頭を下げるまでは

やらないのです。

 

 

それはべつに意地が悪いのでも

何でもないのです。

そうでなければ治りが悪いのです。

一番悪いのは

よく押し売りをします。

「さあ、やってやろう」

と言ってやりますが、

それがいけないのです。

もっとも赤ん坊は別ですが、

分別がある以上は先方がお願いすると

言ってからでないとやっても効果がないのです。

ですから、

それをよく心得ておかなければならない。

 

◆解脱(抜粋)

 

要は時所位に応じ

事情によって

最善の方法を見出すである。

併しそうするには叡智が要る。

叡智とは正しい判断力を生む智慧であって、

それは魂に曇りがない程よく出る。

故に魂の曇りをなくする事が根本で、

それが即ち誠である。

 

 

誠とは信仰から生まれるものであって、

この理を知って

実行が出来れば、大悟徹底した人

と言うべきである。

 

 

◆御任せする(抜粋)

私はいつも御任せせよと言う事を教えているが
つまり神様にお任せし切って
何事があっても

クヨクヨ心配しない事である。

 

 

◆大掃除の順番

 

宗教→政治→経済→教育


思想が良くなると政治も良くなる

政治が良くなると経済も良くなる

日本が良くなると世界も良くなる

 

 

メグリなくなれば日本晴れ

今がその借銭済ましぞ

 

 

 

天国の福音真理

普く宣べ伝えるべし

しかる後

この世の大峠を越えて

ピッカピカ

明朗清純な光明世界至る