地上天国(ミロクの世)の住民への道も一歩から

 

 

 

 

中田敦彦、天命を知る!俺は何のために生きているのか?

 

 

 

成功と幸福の間を埋めるものを探していた。

渋沢栄一氏の「論語と算盤」に

その答えがあった。

 

 

なるほど~。

実に興味深い話でした。

 

 

自分の場合、

無神思想と有神思想の間を

埋めるものを探していました。

 

岡田茂吉氏の「天国の礎」に

その答えがありました。

 

 

 

=救われる?

 

ということなのかな。

 

 

 

世界救世教

 

新宗教とは何か

『栄光』203号、昭和28(1953)年4月8日発行

~省略~
としたら現代人を心の底から信じさせるには、
どうしても理論的には筋が通っており、
疑い得ない現当利益が伴わない限り

まず駄目といってよかろう。
従って単なる流行を追うような宗教信者では、
一時的で長続きしないのはもちろんである。
次に言いたいのは現代人とても決して信仰心のない訳ではない。
ただ現代的感覚からみて、

信じ得る宗教が余りないからで、
ありさえすれば必ず信ずるのは、

私の経験によっても確かである。
むしろそういう宗教を求めている人が大多数といっていい。
ところがそういう宗教が見当らないため、
止むなく無信仰者となっており、
それに対し何といっても

科学の方は手っ取り早く眼に見えて、
人間の要求を満してくれる以上、
自然依存する事になるのは致し方あるまい。

 

 

という訳で無信仰者を非難する事は出来ないと思う。
ところがここに問題がある。
というのはそれ程信頼する科学でも解決出来ず、
そうかといって宗教でも解決出来ない事もよくあるので、
ジレンマに陥ってしまい、その上先の見通しもつかないので、
智識人中のある者は懐疑に陥り、ある者は希望を失い、


 

その日暮しになったり自暴自棄的となって、
懐(ふところ)都合のいい者は

享楽を求めるという結果になるので、
これが現在の世相であろう。
今一つ言いたい事がある。
それは今まで現われたところの歴史的宗教偉人より以上のものは
最早絶対出ないと決めている事で、
この考え方も絶望に拍車をかけているのである。
中には半(なか)ば諦め、半ば現実と遊離した人達は、
骨董的教説を研究思索している等々もあり、
現在思想界は全く混沌(こんとん)として
帰趨(きすう)を知らない有様である。
ところがこの無明の闇を破って、
突如出現したのが我救世教である。

そうしていとも大胆に既成文化のあらゆる部門に渉って
大鉄槌(てっつい)を下し、
一々の誤謬を暴露し、真の文明のあり方を教え、
着々として実行力を発揮しつつあるのであるから、
公平に言って二十世紀の驚異であろう。
そうしてこの根本こそいつもいうごとく、
今日までの世界は夜であり、
僅かに月光を唯一の光としていたにすぎなかったが、
そこへ太陽の光が現われたので、
今まで見る事を得なかった不要有害物のことごとくは、
ハッキリ浮び上ったのである。

 

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昔から東方の光とはこの事であって、
時の進むに従い太陽は徐々として天心に昇り、
全世界を照らす事になるので、

現在はその黎明期である。

~省略~




 

 

神仏はあるか

私がこの偉大なる浄霊法を発見し得たという事は、
霊の実在を知り得た 事がその動機である。
即ち霊を浄める事によって体の病気が治るという原理であるが、
これは将来の文化に対する一大示唆とみねばなるまい。
実に科学の一大革命である。
何となれば病気治療以外のあらゆる部面に対しても
この原理を応用する時、
人類福祉の増進は測り知れないものがあろう。 
それのみではない。
この原理の研究を推し進めてゆく時、
宗教の実体にまで及ぶであろう事も予想し得らるるのである。
神は有るか無いかという事の論争も、
数千年前から今日に及んでなお解決し得られないで、
いつも古くして新しい問題となっている。
それは勿論 無に等しい霊である事を、
唯物的観点からのみ取扱う一般人には

分りようがないのは当然である。
然るに私の提唱する霊科学によれば、
神の実在と 雖も知り得るとともに、
人間死後と再生の問題、霊界の実相、憑霊現象等等、
未知の世界(私はこれを第二世界ともいう)に

おける種々の問題についても解決されるであろう。
私はまず既往における私の思想の推移から説く必要がある。
私は若い頃から極端な唯物主義者であった。
その事について二、三の例を挙げてみるが、 
私が如何に唯物主義者であったかという事は、
四十歳ぐらいまで神仏に決して手を合わせた事がない。

何となれば神社の本体などというものは、
大工や指物師がお宮と称する桧で箱様のものを作り、
その中へ鏡か石塊ある いは紙へ文字を書いたもの等を入れる。
それを人間が恭しく拝むという事はおよそ意味がない、
馬鹿々々しいにもほどがあるという考え方であったからである。
また仏にしても技術家が紙へ描いたり木や石や金属等で観音とか
阿弥陀、釈迦等の姿を刻んだものを拝む。
然も観音や阿弥陀等は実在 しない、
いわば人間の空想で作り上げたものに

違いないからなおさら意味がない、
何れも偶像崇拝以外の何ものでもない、
というのが持論であった。 

 

 

その頃私はドイツの有名な哲学者オイケンの説を読んだ事があった。
それ によれば「本来人間は何かを礼拝しなければ

満足ができないという本能を 有している。
そのため人間自身がなんらかの偶像を作り

それを飾って拝み自己満足に耽るのである。
その証拠には祭壇へ上げる供物は神の方へ向けずして
人間の方へ向けるという事によってみても分るのである」という説 に
大いに共鳴したのであった。
以上のような私の思想は国家観にも及び、
古き寺院の多いイタリアなどの国は衰退しつつあるに
反しアメリカの如き寺院の少ない国家は

非常な発展をするという現実であるから、
神社仏閣等は国家発展の障害物とさえ思われたのである。
然るにその当時私は毎月救世軍へ若干の寄付をしていた ため、
時々牧師が訪ねてきてはキリスト教を奨めた。
牧師は「救世軍へ寄付する方はたいていクリスチャンであるが、
あなたはクリスチャンでもな いのに

如何なる動機からであるか」と聞くのである。
そこで私は「救世軍は出獄者を悔い改めさせ、悪人を善人にする。
従って救世軍がなかったと したら、
出獄者の誰かが私の家へ盗みにはいったかも知れない。
然るにそ の災難を救世軍が未然に防いでくれたとしたら、
それに感謝し、その事業 を援けるべきが至当ではないか」と説明したのである。
まだその外にもこ れに似たような事は種々あったが、
ともあれ私は善行はしたいが神仏は信じないというのが

その頃の心境であった。
従って如何に

見えざるものは信ずべからずという信念の強さが分るであろう。
その当時私は事業に相当成功し得意の絶頂にあったが、
悪い部下のため大失敗し、その上先妻の不幸にあい、
破産もし、数回の差し押えをも受け る等、
惨憺たる運命は私を奈落の底に落としてしまった。
その結果たいていのものの行くべき所へ

私も行ったのである。
それは宗教である。

私も型の如く神道や仏教方面に救いを

求めざるを得なくなった。

 

https://www.youtube.com/user/oomotoweb


 

それがついに神 仏の実在、霊界の存在、死後の生活等、
霊的方面の知識を得るに至って、 
以前の自分を省み、その愚をわらうようになったのである。
そのようなわ けで、

目覚めてからの人生観は百八十度の転換をなし、

 

人は神仏の加護を受ける事と

 

 

『霊の実在を知らなければ空虚な人間でしかない』事を

覚ったのである。
また道徳を説くに当たっても
『霊の実在を認識させなければ無益の説法でしかない』
事も知り得たのである。
この意味において読者よ、
順次説くところの霊的事象に対し

活眼を開かれん事を望む次第である。
        昭和22年(1947年)2月5日

 

 

 

 

 

 

正しき信仰
『信仰雑話』P.2、昭和23(1948)年9月5日発行

支那の碩学朱子の言に

疑いは信の初めなり」という事があるが、
これは全く至言である。
私は「信仰は出来るだけ疑え」と常に言うのである。
世間種々の信仰があるが、

大抵はインチキ性の多分にあるものか、
そうでないまでも

下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的としたものが多く、
正しい神を的とする信仰はまことに少ないのである。
従って、厳密に検討を加えるとき、
大抵の宗教は何等かの欠点を包含しているものであるから、
入信の場合何よりもまず大いに疑ってみる事である。
決して先入観念に捉われてはならない。
何程疑って疑り抜いても欠点を見い出だせない信仰であれば、
それこそ信ずるほかはないであろう。

~省略~

 

 

自由なる信仰

『栄光』177号、昭和27(1952)年10月8日発行
~省略~
そうして自画自讃で言い辛いが、
我メシヤ教に限ってその点実に自由である。
これは信者はよく知っているが、
他のどんな宗教にでも大いに触れるべしと云っている。
もちろん研究も結構で、それだけ見聞が拡まるからである。
その結果もしメシヤ教以上のものがあったとしたら、
いつ転向しても差支えない。

決して罪とはならないからで、
本当の神様ならその人が救われ、
幸福になりさえすればそれでいいのである。

 

 

 

 

 

日月神示
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