悟りの道も一歩から




最高のものを探し求めて・・・。

 

最高ですかーーーー??

 

 



世界救世教


◆自由なる信仰 

我が救世教は、他のどんな宗教にでも

大いに触れるべしといっている。
勿論研究も結構で、

それだけ見聞が広まるからである。

 

 

その結果もし救世教以上のものが

あったとしたら、
いつ転向しても差し支えない。

決して罪とはならないからで、
本当の神様ならその人が救われ、

 


幸福になりさえすればいいのである。

 

 


◆夜の世界について

信者の質問

「夜の世界とは・・・」

明主様御垂示

「天照皇大神の岩戸隠れ以後の時代を

言うんです。
伝説によれば国常立尊は

非常に厳格な神様で、
そのためその支配にやり切れず

八百万の神々が一致して御引退を願った。
結局世論に抗しかねて

御引退になった

ということになってますがね。

 


この点は大本教祖の「出口なお」に

 

 

国常立尊がお憑りになって

 

 

いろいろ物語られた、
それを基にして私はお話するんです。

 


艮に引退せられ

北海道の芦別山に押し込められた。



これは本当でしょう。
これが節分の日で、
一般の者はそれから豆を煎って

これをぶつけるようになったんです。

 

 

神々はこの煎豆にが咲いたら

出てきてもいいということを
言って節分の行事をしたんです。

 

 

 

 

 

 

そのとき国常立尊は

綾部にもおられたんです。
そのためか綾部地方は、

鬼は内、福は外と逆に言うんです。
ですからこれは事実と思えるんですね。

 

 



◆国常立尊と観世音菩薩

霊界でのお姿と現界でのお姿

国常立尊は霊界で閻魔大王になられた。
これは非常に厳しい善悪審判の役目ですね。
しかし厳格一方のやり方では

かわいそうなので、
尊は現界で観音様になられた。
これは私の解釈です。
だから観音様は善悪無差別で慈悲をもって
救われるんです。

絶対の慈悲ですね。
      (昭和23年5月8日)

 

 

前回の昼の時代 国常立尊 

勧善懲悪の働き

 

 

 

夜の時代 引退後、

霊界で閻魔大王になり審判の働き

 

 

 

夜の時代 観世音菩薩として

善悪無差別の救いを表現

 

 

 


◆夜昼転換の霊的意義

三千世界の大芝居

「三千世界一度に開く梅の花、

艮の金神になりたぞよ。

 


梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。
日本は神国。
この世は神のかまわなゆけぬ世であるぞよ。
竹は外国であるぞよ。」

 

 

「悪神、たたり神と申して、

われを押し込めたのであるぞよ」

国常立尊は三千年前、

「塵程の罪穢れもない」水晶世界を、
この地上に建設することを目標に

政治をとられたが、

 

 

(八百万神を含む)当時の人間は

霊性が低くなるにしたがって、

 


尊のこの理想主義的な施政についていけず、

尊の排斥運動が起こった。  

 

 

 

 

 

 

その根本はやはりその時に

の世界になったわけです。

 


そこで、

国常立尊様はの系統の神ですから、
の世界ではまず隠退しなければ

ならないことになるわけです。


それがまず、

お筆先には三千年としてあります。
それでいよいよ三千年たったので、
今度は御自分が、

 


時節が来たので世の中に出る、と・・・
出るについてはいろいろな・・・   

 


お筆先には

三千世界の大芝居

ということになっております。   
      (昭和29年2月4日)

 

 

 

 

 

 

 

◆御 詠
神武以来の 非常時にブツかるんだ 俺達は
 


大本教のお筆先に

 

 

「今度は2度目の
天の岩戸開きであるから」


ということがあるのです。
というのは、
ずっと古い時代ですが、
以前にもこれに似たようなことが
世界にあったのです。
それで今度は私が出てから、

 


岩戸開き
 

 

要するに
昼間の世界になるということは
2度目になるわけです。

 

 

 

◆御 詠
キリストの再臨 救世主の降臨も 

弥勒下生同じ意味なる

 

 

 

 

 

 

 


 

 

◆御 詠

二千年余年かかりし

釈迦やキリストの業にも

勝らん吾の十年

 

 

 


◆三千世界の大芝居



以前も言った通り、

恐怖時代の一歩に入ったわけでもあります。
そうなると救世教というものの

発展が著しくなり、

大いに発展するわけです。
その段階に入って来たわけなのですから、

大いに働き甲斐があるわけです。


今まで抑えつけられていたのが、

その抑えつける力が弱るわけです。
今まで十回も二十回も話をしなくては

分からなかったのが、

 


今度は五回、六回で分かる

というような意味になるわけです。

 


そうかといって、
神様のことは急に目に見えるようには

現れないものなのです。
つまり何となくジリジリジリジリ

進んで行くわけです。
今年、来年、再来年というように、

年々早くもなるし、
それからはっきりしてくるのです。
とにかく

今年から神様が表になった

ということは確かなのです。

 

 

 

 

 


そこで救世教というものは
今年から世界的に非常に知れてゆくわけです。
いわば、いよいよ舞台に上がったわけです。



 

今までは楽屋で

いろいろ支度をしていたのが、
いよいよ支度ができたので

檜舞台に上がるということになるわけです。
やっぱり芝居と同じですから、

序幕です。
これはお筆先にありますが、

「今度は三千世界の大芝居であるから、

の役もあるしの役もあるから」

 

 


というのがあります。

お筆先というのは実によく書いてあります。
というのは、

今まで随分教団の邪魔をしたり、
いろいろ良からぬ人が入って来ました。
ところがそういう人に

「あいつは悪い奴だとか、あいつはいけない」

とか言いながらも、
結果においてはなかなか良い役をしてます。
それは悪い人間でなければ

できないような良い役をしてます。


だから本当にご苦労様と

礼を言いたいくらいです。

 


これがちょうど、今言った、
の役との役と両方拵えてある

ということが

はっきり分かるのです。 

 


もっとも芝居でも映画でも、

ああいった脚本でも、
善人ばかりでは芝居にならないので、
悪人に善人が苦しめられるという、

そこに一つの脚色ができるのですから、
なるほど芝居という意味からみると、

悪の役も要り用だったわけです。

 


そういうようで、

神様がやられることは実に深いです。
ですから
「あの人はああいうことをしているから

 悪い、 間違っている」
ということは、

とても言えるものではないのです。
そう言っている人は、

実はその人自身が悪いことをやっていて、
悪いことを言われている人は

善いことをやっているかもしれません。


お筆先に
「一生懸命、神のためと思い、

間違うていることをしている人は、

神も困るぞよ」
 

 

というのがあります。
 

「これが神様のためだ、これが本当だ」
 

と言って一生懸命にやっていることが、
案外神様のお邪魔になっているというわけです。
そこで人間、特に信者は、
とかとか決めることは

大変間違っているのです。
 

 

また分かるものではないのです。
ただ、自分が善いと思うことを

していればそれでよいので、
人が善いとか悪いとかいう、

それが一番危険なわけです。
 

 

なにしろ世界人類を救う

というのですから、
開闢(かいびゃく)以来ない大きな仕事です。
お筆先に
「大きなには大きながさす。

 

 

 

 


だから器が大きくなければ

神の仕事はできんぞよ」
というのがあります。
よほど大きな器で、

要するに大局的にみるというわけです。


 

「大乗の善は小乗の悪であり、

 小乗の善は大乗の悪である。」

ということは何事にもあります。
        (昭和29年2月4日)


しかも

今度の御神業における正邪の戦いは、

古往今来嘗てない程の

千変万化、虚々実々の大芝居で、

神秘というより外はないのである。

 




◆最後の審判は世界的な大芝居

お筆先に
「いよいよ立替えが始まりても、

 神に縋りておりたる者は

 高見で見物を致させるぞよ」 

 

 

 

というのがありますが、
そうならなければならないのです。
これは世界的の大芝居です。
これが最後の審判というものですが、

これは世界的の大芝居です。
 

 

 

 

その芝居を桟敷で見るように

ならなければならないのです。

 


どうせ芝居です。
善人と悪人との争闘ですから、
いよいよ芝居が済めばめでたしめでたし

ということになりますが、
そこで悪役が酷い目に遭って滅ぼされる

という悪役に回った者は

かわいそうですが、
ところが今度のこの大芝居は

悪役の方がずっと多そうなのです。
 

 

こっちが磨けていて

桟敷にいるようになれば、
実に面白い芝居です。
それはこれほどの劇は

とても見られるものではありません。

 


ところが助かって残るという人を

つくらなければならないから、
それが神様の大慈悲なのです。


そういう助かる人を一人でも多くつくる

というのが信者さん使命なので、
これは分り切った話ですが、
そういうように大きな浄化作用
いよいよこれから

世界に拡がっていくということを

知ればよいわけです。

 

image

 

 

 

 

◆全人類を救うには

一切万事世界的となった以上、
全人類を救うとしたら

驚くべき大仕掛けでなくてはならない。


つまり規模が大きい程

救われる人も多数に上るからである。

 

 

 

地球規模のドッキリ大作戦?!

 

 

 

 

◆天国建設と悪の追放

(抜粋)

すなわち原子科学の素晴らしい進歩である。

従って若し戦争が始まるとしたら、

今度は戦争ではなく、

一切の破壊であり、

人類の破滅であるが、

これも実は悪の輪止まり

であるから

むしろ喜んでいいのである。

 

 

然もこの結果

今日までが利用して来た文化は、

 

 

一転しての自由となり、

ここに待望の地上天国は

生まれる段階となるのである。

        (昭和27年8月13日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でき上がるまでは

誰にもわからんが、
でき上がったら、

何とした結構なことかと

皆がびっくりするのだぞ

 

 

 

 

日月神示

 

の世は九分九厘

厘止りに致し、

一厘の仕組で

の世に振替えるぞよ

 



大本教のお筆先

「神の奥には奥がある。
 そのまた奥の奥の仕組みであるから、
 人民には分かりようはずがないぞよ。
 神界のことは分からんと思う人民は、

 分かったぞよ」 


「そんな人民に分かるような

 チョロコイ仕組みで、
 三千世界の立替えが出来ると思うかと

 申すのであるぞよ」
 

 

日月神示
「日本眞中(まなか)ボタン一つで世界が動くぞ」



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古史古伝「九鬼文書」が明かす「艮の金神」の正体 

MUTube(ムー チューブ) 2016年1月号 #2