仏教の般若心経がどんな内容を

唱えているのかを学んだあとは、

 

自分の親が奏上している善言讃詞とは

どういうものか?

(親は世界救世教の信者です。)

 

自由研究。

 

 

 

(1)善言讃詞作成の背景
善言讃詞は、全文の読経に

30分はかかる観音経を、

 

 


現代社会のスピードに併せて、

5分程度で奏上できるように、
神道の祝詞風に縮めたもので

明主様(岡田茂吉教祖)の御手に

成る唯一の祝詞です。

https://www.meshiyakamakura.com/%E7%A0%94%E9%91%BD%E8%B3%87%E6%96%99/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A4%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E9%AA%A8%E5%AD%90-%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8-h30-2/

 

 

日蓮の法華経の中の

観音経の良いところだけを取り入れて

つくられているようです。

 

【法華経と日蓮大聖人】-日本語

 

 

【FULL】観音経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 日蓮宗法華経 お経

 

 

 

 

善言讃詞が部分的に違う箇所が

あるのが気になっていました。

 

 

日蓮の法華経の中の

観音経の良いところだけを取り入れて

つくられているようです。

 

 

そういうことか・・・

 

どうりで

 

 

 

世尊の威徳になびかい靡いて

七堂伽藍は霞みつつ

 

勝手な推測ですが

きっと原文はこっちで、

の時代は仏教的、拍手 

 

の時代用に部分的に変更している?

  拍手

 

 

◆ミロクの世では三が主体

 

 

火水土とか、

真善美とか、

病貧争とか、

 

 


三を主体としているわけです。
主体となって、

三が重なって六になり、
もう一つ重なって九になる。
三六九でミロク。

 

 

 

「善言讃詞は昼になれば替える」

 

「(前略)善言讃詞は神様に奏げていい。

応身弥勒は神である。

今は夜昼転換の中間期で、

 

 

観音は神仏両方になるが、

今迄はの方が多かった。

 

 

今はどっちへも決められぬ。

その為に祝詞と観音経と両方やっている。

今に善言讃詞は

になれば替える訳である。」

(昭和23年7月21日)

 

「世界救世教における善言讃詞の変遷」について

 

 

ぜんげんさんじ
善言讃詞     一揖二拝三拍手   

うやうやしくおもんみるに せそんかんぜおんぼさつ  

敬しく惟るに   世尊観世音菩薩     

 

 

このどにあもらせたまひ
此土に天降らせ給ひ

 

 

 

              
こうみょうにょらいとげんじ  
光明如来と現じ   

 

 

おうしんみろくとかし

応身弥勒と化し

 

 

 

 

 

めしやとならせ 
救世主とならせ 
〔救世(ぐせ)の真神(みかみ)とならせ給ひて]

 


 

 

だいせんさんぜんせかいのさんどくをめっし

大千三千世界の三毒を滅し

 


    
ごじょくをきよめ 
五濁を浄め   

 

 

ひゃくせんまんおくいっさいしゅじょうのだいねんがん

百千万億一切衆生の大念顔

 



こうみょうじょうらくえいごうの  
光明常楽永劫の  


 

 

 

 

 

 

じゅっぽうせかいをならしめて

十方世界を成らしめて

 

 

ごふうじゅううのくるいなく  
五風十雨の不順序無く   

 

 

ふくかぜえだもならすなき

吹く風枝も鳴らすなき

 



みろくのみよをうみたもう  
五六七御代を生み賜ふ   

 

むりょうむへんのだいじひに

無量無辺の大慈悲に

 


      

てんまらせつもまつろて  
天魔羅刹も服いて    

  

しょあくじゃほうはあらたまり 

諸悪邪法は改り

 

          

やしゃりゅうじんもげだつなし  
夜叉龍神も解脱為し    
     

 

 

 

しょぜんぶっしんことごとく

諸善仏神咸く


 

 

 



そのこころざしをとぐるなり  
其志を遂ぐるなり   

 

さんせんそうもくことごとく

山川草木尽く



せそんのいとくになびかいて  
世尊の威徳に靡いて  
〔真神(みかみ)の威徳に靡いて]


 

 

 

きんじゅうちゅうぎょのすえまで

禽獣虫魚の末迄も

 

 



みなそのところをえざるなし  
悉其所を得ざる莫し  

 

 

まさにこれしびじっそうせかいにて

応に此紫微実相世界にて

 



かりょうびんがはそらにまい     
迦陵頻迦は空に舞ひ  

 

ずいうんてんにたなびけば

瑞雲天に靉けば

 



ばんかふくいくちにくんじ  
万華馥郁地に薫じ   

 

 

たほうぶっとうそそりたち 

多宝仏塔聳り建ち 

〔神殿玉楼(しんでんぎょくろう)聳り建ち

 

 

 

 

しちどうがらんはかすつつ

七堂伽藍は霞みつつ

〔救世(ぐせ)の神館(みやかた)霞みつつ

 

 


こがねのいらかさんさんと   
黄金の甍燦燦と  

 

ひにてりえいずこうけいは  

陽に照り映ず光景は

 


げにもてんごくじょうどなり    
実にも天国浄土なり  

〔実にも天国楽土なり

 

 

 

ごこくみのりてくらにみち 

五穀稔りて蔵に充ち

 



すなどりゆたかにあめがした  
漁豊に天ヶ下  

 

 


いきとしいけるもろもろの
生きとし生ける億兆の



えらぎにぎわうこえごえは  つつうらうらにみちわたり
歓ぎ賑はふ声々は  津々浦々に満ち弥り


くにとくにとのさかいなく  
国と国との境無く  

 


 

ひとくさたちのにくしみや  いさかいごともゆめときえ

人種等の憎しみや  争闘事も夢と消え

 

 

 

いってんしかいかんのんの  みろくのみてにきいつされ    
一天四海観音の  仁愛の御手に帰一され  
〔一天四海おしなべて 

大光明(みろく)の御手に帰一され


 

 

 

じんじのみむねにいだかれん

仁慈の御胸に抱かれん

 

 

 

われらがひびのせぎょうにも みょうちをたまひしんかくを
吾等が日々の施業にも 妙智を賜ひ真覚を

 

 

 

えさしめいえはとみさかえ

得さしめ家は富栄え

 



よわいはながくむいやくに  
寿は永く無医薬に  

 

ぜんとくこうをかさねさせ  

善徳行を重ねさせ  


      

 

ふくじゅかいむりょうのだいくどく

福寿海無量の大功徳

 


たれさせたまへましませと  
垂れさせ賜い座せと  

 

ねんねんじゅうしんげざとんしゅ  

念々従心下座頓首

   

きふくらいはいねぎもうす

起伏礼拝願ぎ申す





だいめしやのおおかみまもりたまへさきはえたまへ
大救世主大真神守り給へ幸倍賜え 

みろくおおみかみまもりたまへさきはえたまへ

【大光明真神守り給へ幸倍賜え】               

(二回奉誦)


おしえみおやぬしのかみまもりたまへさきはえたまへ
おしえみおやぬしの神守り給へ幸倍賜へ             

(二回奉誦)




かむながらたまちはえませ
惟神霊幸倍坐せ                       

(二回奉誦  三拍手)


 

 

◆御 詠

http://www.rattail.org/


観音メシヤ 五六七光明如来とふ 

御名は変れど一つ神なり

キリストの再臨 救世主の降臨も 

弥勒下生同じ意味なる


万人の 再臨待ちし

キリストも メシヤ弥勒

同じ神なる

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

◆御 詠

キリスト釈迦望み

吾は果たさんとして日に夜に励しむ

 

 

 

 

 

 


---言霊は神なりの意味。

言葉の働く世界を言霊界と言う。
神は宇宙の大元霊という言葉は

非常な働きをするものである。
人間の場合は言葉と言い、

言霊は神の場合に言う、
「聖書」に「はじめにコトバがあり、

万物之によって造らる」
と書いてあるにみて、

言葉はいかに重要であるかが判る。
一切万事は言葉でどうにでもなる。
善も悪も創造も破壊も

天国も地獄も自由自在である。
しかし言葉で良い物を

作らなくてはいけない。
そうすれば

言霊は神なり

如実に現わすことになる。

 

 

 

幸福な事、

聚な事、良いことが

海の如く無量に

おこりまっせ!!

 

ということが

福聚海無量という言葉の意味なわけです。

 



NHKアナウンサーとの御対談   

昭和24年7月17日

アナ
失礼ですが、観音教団について

いろいろお伺いいたしたいのですが。


明主様
ええ、なんでもいいですよ。
アナ
この正面のお姿を拝見いたしますと

観音様のように思えますが、仏教の観音様とは。


明主様
あれは仏教の観音経を土台にして、

和歌のように作ったもんですよ。


アナ
「信仰雑話」というのを拝見いたしましたが、

こちらのほうの教義、教典といったものは。


明主様
あれだけが教義、教典ですよ。
まあ、詳しく話すと難しくなるから、

分かりやすく言えば

病、貧、争絶無の世界建設を

目標にしているんです。


アナ
それが「地上天国」でしょうか。


明主様
そういうわけです。



十方世界の意味

『栄光』86号、昭和26(1951)年1月10日発行

経文には、尽十方世界という言葉があるが、
これを知りたい人も、多かろうからかいてみよう。
これは、東西南北と、その間である東北、

西南、西北、東南の八つを八方と言い、
それに天地の二方を加えて、

十方世界というのである、
つまり地球を中心とした方角を言ったものである。
 これについて、想い起す事は、
天皇制時代にあった一月一日の祭日を四方拝といったが、
これは完璧ではない、
これに天地の二つを加えて

六合拝(りくごうはい)というのが本当である、
これだけの意味が気が付かなかったとみえて、
四方拝といったのは不思議というべきである。


---三毒、五濁、天魔、羅刹、夜叉の意味について

御教え願います。

三毒は貪欲、瞋恚、愚痴。

五濁は目、耳、鼻、舌、身の罪穢を

言うのであります。


---善言讃詞にあります天魔羅刹と夜叉の

意味を御教えお願い申し上げます。

悪魔の形容詞であります。

三毒は、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)、

劫濁(時の穢れ)、
煩悩濁、衆生濁(悪人のケガレ)、

見濁(種々の悪見を起す)、
命濁(寿命が縮まる)、

つまり、ともにつみけがれということである。
天魔は天の魔王、魔神、悪魔。
羅刹は悪鬼。
夜叉は女の悪魔で、

要するに悪魔のいろいろな形容詞である。

---迦陵頻迦とはどのような鳥でしょうか。

霊界の鳥でよく仏画の極楽にあるように

尾の長い非常に善い声でなく鳥と言われます。

---法身ミロク、報身弥勒、応身のお働きの

区別を御垂示ください。

法身は法なり。

法とは規則(神仏の道=天地の法則)を説き阿弥陀・・・。
救いには二つあり、

一つは上より救い上げ

一つは下より押し上げる救い。


釈迦は地の弥勒であるから

上へ押し上げる。


観音は応身で相手の人に応じて

これを救われる。
すなわち臨機応変の働きをなさる。


---福寿海無量の大功徳の意義。

これは形容詞で、観音経にある言葉である。
福は物、寿は寿命、無量はたくさんということで、
それを総合して大功徳というのである。

---惟神霊幸倍坐世の意味。

「霊幸倍坐世」とは霊魂を

ふやしていただきたいということ。
すなわち霊衣を厚くすることである。


---「惟神霊幸倍坐世」をお称えする場合、

「カムナガラ」と「カンナガラ」と
どちらの発音が正しいでしょうか。

これはどっちでもいいですよ。
強いて言えば、「カム」のほうが正確ですけどね、
しかし「カン」のほうが

言いやすいからそれでもいいんです。
だからどっちでもかまいませんよ。

 

 

 

【武田邦彦】

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