30年ぐらい前の北アルプスの登山地図を久し振りに眺めていた。そこには忘れられた登山道がまだ明瞭に書かれている。ふとそれらの登山道が今どうなっているんだろうかと強く興味がわいてきた。

まずはその30年前の登山地図。

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エリアは、槍を中心にした場所。

問題の消えてしまった登山道だが。槍の西側、千丈沢乗越から千天出合まで沢沿いに下る道が「宮田新道」と書かれている。行き先がそこで終わっている・・・・千天出合から湯俣までは沢沿いに今でも北鎌尾根を登る人たちが通るルートはある。この千天出合からは、水俣乗越に至ルートも古い地図には書かれている・・・現在でも水俣乗越から、北鎌に向かう人が使うルートになっているが・・・

北鎌に向かう人は、湯俣から千天出合を経由するか、大天井ヒュッテから貧乏沢を下るか、水俣乗越からのルートの3ルートが主に使われるようだ。

そして、「カモシカ新道」は、やはり湯俣から燕に直登するルートだ。このルートについては、コジ沢沿いのルートが古く、その後川久里沢沿いに新たにルートが造られたという文献もあるが・・・よくわからない。そしてこの地図のルートは、川久里沢と書かれた場所にルートがあるが、現在の地図でこの場所を確認すると、ここは間違いなくコジ沢の場所だったりしてまた謎が深まる・・・


また、湯俣からは、今でも色々語り継がれる伊藤新道が三俣山荘に通じていた。


三俣山荘の伊藤正一さんには、去年三俣山荘で雷雨で雨宿りしたときにお会いすることが出来、伊藤新道の話を少し聞くことが出来た。いずれは歩いてみたいルートなのだが、伊藤さんの本にも書かれているように、高瀬ダムが出来てからその周辺の山の崩落が酷くなったという話・・・それを証明するかのように湯俣から伸びていた3つの新道が今、すべて廃道になってしまっているというのもなんだかそれを証明しているようにも思える。


北アルプスでも有数の登山者が集まる燕、そして、槍。その裏側にの伸びるこんな登山道が忘れられているのはちょっと寂しかったりする。

現在の昭文社の登山地図を見ても、槍から北側の山域はほとんど登山道がないエリアになっている。そこにこのようにかつては道があったのを、ちょっと思い出してみても悪くはないかもしれない。


この3つのルート、いずれ行ってみたいな・・・現在は完全なバリエーションルートなんだろうな・・・