たった4年の間に彼が作った曲は1451曲。映画、テレビドラマ、CM、ゲームなどのBGMばかり。BGMは、「バック・グラウンド・ミュージック」の略であり、直訳すると「背景音楽」となる。背景としての音楽を1451曲作った僕は、一度たりとも「音楽家」として評価を受けることがなかったし、そう自覚出来る満足感もなかった。あくまで、クライアントにとって都合の良い「音楽屋」でしかなかった。少々、手抜きをしてもクライアントの要求から大きくずれた曲を作ったり、納期を大幅に遅らせたりしない限り、仕事の依頼は途絶えることはなかった。それなりのギャラを貰い、10代の頃からの夢だった小さくても個人レベルでは贅沢なスタジオも手に入れた。だが、同時期に彼は音楽制作をやめることばかり考えるようになっていた。書きたい曲を書いているわけでもない音楽を糧にしている自分の空虚感に追い込まれていったのだ。

 彼がクリニックを尋ねてきたのは、2年前の11月。便宜的にクリニックと呼んでいるけど、僕は医師免許を持っているわけじゃない。僕の仕事は、ものづくりをしている人々の『漂白』だ。アーティストと呼ばれる人々は、ドラッグに染まってしまうことが少なくない。ドラッグに染まると、そこから抜け出すことはなかなか難しい。ドラッグに常習性や依存性があり、心身に悪影響を及ぼすことは、広く知られている。しかし、アーティストにとってそれらは、そんなに問題じゃない。問題なのは、アーティストたち個人個人が欲しくてたまらない色や形や音の扉を開くための鍵であることなのだ。たとえば、画家が赤いバラを描きたいとする。考え付くあらゆる「赤」で描いても、その画家のイメージする「赤」が表現出来ない。イライラしたり、落ち込んだり、凶暴になったり…色を重ねれば重ねるほどそのイメージする「赤」から遠ざかってしまう。そんなときに、傍らにドラッグがあったら…。誰しも、その始まりは軽い気持ちからだ。たった一度だけ、一度だけ。


しかし、一度では終わらない。


ドラッグは、画家が欲する「赤」をより鮮明に見せてしまう。しかし、画家は、ドラッグを介して見ることの出来たその「赤」を手に入れることは出来ない。なぜなら、ドラッグは、「赤」の場所に画家を運んでくれるだけで、持ち帰ることを許してくれないからだ。持ち帰ることが出来なければ、ますます手に入れたくなる。手に入らないから、またドラッグをしてしまう。そして、手ぶらで帰ってくる。繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返す。「赤」は決して手に入らない。ドラッグは、悲しいほどに律儀なのだ。


 『漂白』の方法はいたってシンプルだ。ただ、ひたすら身体を洗う。カテキン成分が含有されたシャンプーで、文字通り髪の毛1本1本から、足爪の先までスタッフ4人がかりで洗う。回数は決まってないが、入所後しばらくは、1日に10回程度。時に皮膚をはがすように強く、時に金箔を貼るときのようにやさしく。禁断症状があらわれて苦しんでいようが、フラッシュバックで狂暴になっていようが洗う。強制的に脱皮させるのだ。


 彼にも同じケアを施した。洗って流し、流して洗う。少々ぐったりなったら、インターバルを設ける。『漂白』の処置の度に取り換えられるやわらかなリネンのシーツを敷いたベッドに横たわらせ、二人きりで話す。


「どんな感じ?」


「擦られ過ぎて体がしぼんだような気がする。」


「実際にしぼむんだよ。髪の毛以外の体毛は擦り切れてなくなってしまうし、表皮も一層剝がれていく。ひりひりするでしょ?」


「はい。でも、嫌な感じは不思議としないですね。気持ちいいわけでもないけど。」


「浄化していくのを望まない人はいない。ただ、それだけのことだけだよ。」


「・・・失礼な言い方になるけど、薬物を抜くのと、身体を洗うのって関係あるんですか?」


「結果だけを見ればある。だけど、ふたつが結びつくための因果関係は、ものすごく遠回りをしていると思う。もしかしたら、結びついてもいないのかもしれないね。」


「実際あるとして、因果関係とはどういったものなのかなぁ。」


「どうなんだろうね。これは仮説でしかないのだけど、ドラッグの心地よさは、肉体と自己の剥離によって起こるものだと思う。ダウナーであっても、アッパーであっても普段じゃありえない剥離の中にドラッグならではの興奮が詰まっているんだと思う。ドラッグをやりはじめの頃は、剥離の距離も短いからこちら側の世界に戻ってこられる。ところがある一定量のドラッグが蓄積されると、常に剥離した状態になるんだ、ほんの少しだけだけどね、感覚的には5ミリもないくらい。このステージに入ると、ドラッグに快楽だけじゃなくて不安が混じる。さらにドラッグを重ねて、20センチくらいの剥離になってしまうともうアウトだ。不安が強迫に代わってしまう。自己が肉体を認識できなくなるというか、こちら側じゃなくあちら側に自己が吸い込まれてしまっているんだ。あちら側の世界は、創造や再生といった生産性のあるものは一切認められていない。ただ、破壊あるのみのこわーい世界。」


「先生、なんか苦しい。」


「OK。漂白スペースで洗い流そう。」

 ただ洗い、洗う、洗う。


 ただ擦り、擦り、擦る。


 ただ流し、流し、流す。


 そして、眠り、眠り、眠る。

 漂白を必要とするクライアントは、3日3晩起きていることもあれば、眠り続けることもある。ずっと眠ってくれていたら楽だろうと思うかもしれないが、逆だ。暴れようが、泣きわめこうが生きているサインを発していてくれた方が楽だ。悪魔に支配されている者の睡眠は、かぎりなく死に近い。自己によるコントロールを失った肉体は、あまりに危ういのだ。また、眠っている間も『漂白』は続く。ダブルベッドサイズの浅い流水槽のような装置に寝かして、洗い、擦り、流す。


 彼は、81時間眠った後の深夜4時にベッドの上でこちら側に帰ってきた。


「おかえり。」


「あ、先生・・・、すみません、俺、もう大丈夫です。帰ります。」


 彼は、獲物を見つけた肉食獣のような目線で止める僕を制し、ベッドから降りた。


 が、81時間もの長い間、水分以外の栄養を補給していない彼はリノリウムの床に向かって前のめりに倒れた。それでもなお立ち上がろうとする様は、生まれたての小鹿そのままだ。


「すみません。降参です。まるで力が入らない。何か食べさせてください。」


「お腹空きましたか?」


「うーん、お腹空いたというより、身体の中が全部、スポンジになったみたいです。」


「では、食事を準備している間に漂白しましょう。」


 床に転がったままの彼は、力なく頷いた。

 ドラッグ以外の摂取は、ここでは自由だ。正しいフレンチから、ジャンクフードまであらゆるリクエストに応える。彼のリクエストは、『野外バーベキュー』だった。漂白を受けるクライアントたちは、かなりの確率で屋外での飲食を望む。それは、羽を傷めた鳥が大空を見上げ続けるようなものかもしれない。希望を失わない限り、鳥は空をフィールドにする。

 クリスマス前夜の深夜11時30分。スタッフによって、ビルの屋上にスタンバイされたバーベキューセット。漂白を終え、着替えた彼がスタッフの押す車椅子で現れた。濃紺のガウンの上に黒いダウン、オレンジのマフラーを幾重にも巻き、褐色のブランケットを膝に置いている。その姿は、学生時代に何度と行った苫小牧の山荘に棲みついていたヤマガラという鳥のようだった。

 ヤマガラは羽根を痛めて飛べなくなっていた。山荘の主人はこう言った。

「鳥は飛ぶのを諦めたときに死ぬんだよ。」

 彼は来る日も来る日も、ヤマガラの身体を撫で続けた。

「手を当てるから、“手当て”というのさ。」

 そう言って、長い冬の間中、撫で続けた。僕も時間があるときは、ヤマガラを撫でて過ごした。

 翌年の春、ヤマガラは空へ舞い上がった。山荘の周囲を何度も何度も周回した後、南へ向かって飛んで行った。

 彼は、車椅子から立ち上がり、軽く屈伸をした後、夜空を見上げて背伸びをした。

「星屑って、なぜ“屑”なんでしょうね。こんなにきれいなのに。」

 明日から、仕上げに入れそうだ。


それは、金属音に近い濁りのない音だった。死へのカウントダウン・・・嫌いな音じゃない。
 熱として感じていたそれは、少しずつシルエットとなってその存在が明らかになってきた。緩やかな曲線で描かれたシャープな輪郭・・・人間だった。どうも女性のようだ。子宮の中の胎児のような姿勢で丸まった僕の目の前で立ち止まった。見たことのない靴を履いてきた。細くて燃えるように赤い靴。それは、爪先をわずかに覆っているだけで、あとは甲と足首の部分に巻きつけられた革ひもで維持されている。何よりも、踵から床に伸びた10センチほどの細いピン状のものが、僕の履いている靴にはないものだった。固く尖ったそれが床を叩く音が、あの金属音の正体だったのだろう。他人の足を間近で見たのは初めてだったが、それはとても不格好だった。人間の祖先が海から陸に上がったときから進化してないと確信出来るほど、恥ずかしいフォルムをしている。その恥ずかしい外形を覆い隠すために、異質すぎるほど美しいこんな変わった靴を女性という生き物は履くのかもしれない。
 この足を触ってみたい。ずっと、ずっと、ずっと触っていたい。触りたい・・・。
 強張る肉体と極限の意識の中で、繰り返し繰り返し願ってみたが、僕の身体は何一つ自由になることはなかった。赤い凶器のような靴は、残酷なまでに僕の眼前にある。手を伸ばせば届く希望も、今の僕には叶わない。
 赤い靴のピンの先が、わずかに動いた。床から2センチくらいのところで、ぴたりと止まる。目の前の女性の手が震える僕の頬を撫でる。膝を折った女性の右手だった。
 どれくらいそうしていてくれたのだろうか。僕の身体から自由を奪っていた痙攣は、少しずつその力を失っていった。ただ、引き攣ったような緊縛感と引き換えに、僕の身体は虚脱感に襲われた。ほとんど力が入らないのだ。彼女が撫でる頬が僕の全てで、目の前に見える赤い靴が女性のすべてであるような錯覚を覚え、その状況の中を僕はゆったりと泳ぎ続けた。
「もう、大丈夫。」
彼女のもう片方の手のひらも、僕の頬に添えられる。遠い記憶の彼方にかすかに残っていた安らぎという芳香とともに、僕の視界は再度、闇しか見えなくなった。口唇が、しっとり柔らかく塞がれている。
 僕にとって、生まれてはじめてのキスだった。
 10秒、20秒、30秒・・・さっきの遠い記憶の彼方に残っていた安らぎという芳香は、母親のそれかもしれない。はじめてのキスは、懐かしさを感じたから。彼女に誘導され、僕の右手は彼女の頭を、左手は腰から背中にかけて抱きしめていた。
「少し、休むといいわ。」
時間をかけてゆっくりと身体を離して、彼女はそう言った。僕はおぼつかない足取りで立ち上がり、所長が入っているカプセルに向かう。所長は、変わらず安らかに眠っている。
 ここはどこだ?僕は誰だ?彼女はどこから来たのか?これからどうするのか?
 僕は、カプセルの脇にもたれた。数歩分だけ先にいる彼女の足元・・・赤い尖った靴だけが、ぼんやり見える。少しだけ眠れそうだ。
 それは、これまで感じたことのない深い導入から始まる眠りだった。

 どのくらい眠ったのだろうか。僕は軽く緊縛された心地よい不自由さの中、目を覚ました。眠っている間に泣いたのだろうか?さっきの彼女の柔らかな手の感触が残る頬は、そこだけ滝に打たれたように濡れていた。目を開けてみた。涙に霞んで見える研究所は、いつにも増して真っ暗だ。それにしてもおかしい。いつもと何かが違う。
 驚いた・・・驚くべき光景が広がっていた。
 所長の身体から、幾重にもツタが伸びていたのだ。それらは、僕の身体を含め部屋中のものを呑みこみ壁を伝い、天井まで研究所全体を覆っていた。淡いベージュ一色の研究所の壁や床は、そのツタでもはや真っ黒で、まるで巨大生物の胃の中にいるような感覚だ。日本では、古来、このツタの樹液を“アマヅラと”呼び、甘味料として使っていたという。そう言えば、むせかえる様な緑のにおいの中に、かすかに甘い香りがする。
 僕は、なんだか愉快な気分になり、ツタが絡まる手足を軽く動かしながら、いとしのエリーのサビ部分だけを繰り返し繰り返し歌った。
 何かがはじけるような、ごく小さな音が部屋の中に響いている。パチ…パチ…パパパパ…チチチチ。音はレコードノイズのように弾け続けた。僕は歌うのをやめ、その音のする方向を探し出すべく耳に全神経を傾けた。音は一方向から聴こえているのではなく、部屋中のあちらこちら聴こえてくるようだ。
 壁、床、天井…そして僕。
 その音は一向に鳴り止む気配を見せない。それどころか、倍音に倍音を重ねるように研究所の中で増幅され続けた。もはやハウリングを起こしそうな勢いだ。それと同時に、真っ黒になってしまった部屋中の光景が変わっていった。
 小さな小さな白い粒のようなものが点灯しはじめたのだ。
 チカチカと点いては消えるその白い点は、弾ける音ともに増えていく。それは、光一つ届かない新月の夜を覆う満天の星空のように白く光り、じきに天の川のように隙間を埋めていき、とうとうすべての空間を真っ白に塗りつぶしてしまった。まばゆいばかりの白い闇だった。
 白い点の正体は、ツタに咲く花だった。花弁さえ白い、小さな白い可憐な花。何がどうなったかは分からない。所長が何十年もかけて成し遂げることの出来なかった光源のない環境下での植物が誕生した瞬間は、あまりにあっけなく訪れた。皮肉なことに所長の死後に。
 花は、暴力的に咲き続けている。と同時にツタの生長も止まらないようだ。僕の身体を這うように伸びるツタは、加速していく。巻きつき、拘束し、太くきつく締め付けてくる。悪くない、悪くない。
 目覚めた時、ツタで満たされ、真っ暗だった研究所は、いつしか白い花々に塗りつくされた純白の世界へとその姿を変えた。さらには花の上に花が咲きその白さは密度を増していく。白い絵の具に白を塗り重ねても白いままだ。しかし、眼前に覆いかぶさっていく白い花々は、僕の視界をさえぎり、さらに口や鼻をも塞いでいった。ツタの拘束力で身体の自由を奪われ、さらには呼吸することさえ拒まれていく中、僕の頭の中は、澄み切っていくようだった。視界の奥に残る赤い尖った靴・・・あのピンのような踵の先にあるものは、現実なのか幻なのか。

 ブーーーーーン

 彼女の仕業か、ツタの仕業か・・・エレベータの作動音が聞こえた。たった一度きりしか上昇することのないエレベータが遠ざかっていく。
 さようなら。
 もはや、何がどうなろうと構わない。白い花で埋め尽くされた僕の目には、もはや目を開けても何も見えない。2度目の漆黒の闇だ。花が開くクリック音は続き、押しつぶされそうなその重さとともに、僕はそこに溶けていくような感覚に興奮した。
 白く塗りつぶせ、この部屋いっぱいに。白く加速するんだ。何もかも白く白く。
 しんしんと時が流れ、僕の意識と赤いあの靴も白く塗りつぶされていく。

「とうとう成功だ。」
 僕は漆黒の闇の中で凍える手に息を吹きかけるように小さくガッツポーズをした。

 広角生命新生財団付属研究所所長代行…これが僕の肩書きだ。所長代行と言っても、上司である所長はもういない。所長は死んでしまった。
 研究所は、地下250メートルという地上の光はまず届かない場所にある。ここへは一基だけ設置されているエレベータを使って出入りする。とは言うものの、上昇できるのはたった一度だけと聞かされている。地上の世界と遮断されているわけではないので、テレビやインターネットを通じて外の世界の情報は手に入る。だけど、ここから出て行こうとは思わない。テレビ番組でよくあっている地上世界のコンテンツである「旅行」「グルメ」「スポーツ」などに興味を持てないし、ニュース番組で見る戦争や災害に対する恐怖もある。僕には、この小さな世界で研究を行い、たまに音楽を聴いたり読書をしたりする方が合っているみたいだ。こんな僕のような生き方が、「ひきこもり」というのだろうか?よく分からないけど、そのことを質問出来る相手もいないので、どうでもいい。そう、ここはやるべきこと以外は、どうでもいいで済ますことが出来る場所なのだ。少なくとも、僕にはそれが合っていると思う。
 さて、ここで研究しているのは、地下植物の培養技術の研究・・・というか開発だ。植物が生きていることは子供でも知っている。生きている植物は、根から栄養分や水分を吸収し、光合成という名の呼吸をしながら成長していく。光合成のメカニズムはとても不思議で、太陽からのエネルギーを奇跡的な変換システムによって別のエネルギーに置き換え、呼吸して生きている。つまり、太陽光線もしくはそれに代わるものがなければ生きていくことは不可能なのだ。
 地下250メートルの場所にある研究所には光源がない。ほぼ真っ暗な環境で、あるかないか分からないくらいの赤外線のみが、ぽつぽつと設置されている。そんな暗闇の中で所長と僕は生活してきた。光源がなければ植物は光合成することが出来ず、育たない。その育たない環境で育てることのできる植物を開発するのが、この研究所の課題なのだ。もしも、その技術開発に成功したとして、何がどうなるのか僕は知らない。ただ、死んだ所長によると、蒸気機関の発明や、石炭や石油によるエネルギー革命に匹敵もしくは超越するものになると言っていた。人類を救済するための研究だとも言っていた。それを聞くたびに少なからず僕はわくわくした。
 しかし、所長は志半ばでこの世を去った。志半ば?いや、実は所長はあきらめていたのかもしれない。数千、数万の実験をしたところで、解決の糸口さえ見えてこなかった。光源のない場所で植物を育てることは到底無理な話だと思う。光源のない研究所に、一筋の“希望”という名の光はいつまでたっても見えなかった。
 また、所長は、多分僕の父親だと思う。多分としか言いようのないのは、物心ついた頃にはこの地下研究所で二人きりで、言葉を覚えると同時に“パパ”ではなく“所長”と呼ぶようにインプットされたからだ。父親を父親であると認識するのは本能からでなく、学習によって理解する。“パパ”と呼ぶように教えられた大人=父親というわけだ。僕には、“パパ”でなく“所長”しかいなかった。ただ、それだけのことだ。まあ、“パパ”であろうと“所長”であろうと、僕にとって師であり親であることは確かだ。研究所で育ち、一度も地上に出たことのない僕にとってこの研究所がすべてであり、また所長が僕にとっての社会そのものでもあった。
 ただ、その社会との関わりの中で、僕はどうしようもなく不安に苛む期間が幾度となくあった。それは、【種】に関することだ。この研究所には、研究所ならではの蔵書に満ちている。コウノトリが赤ん坊を運んでくる絵本から、ダーウィンの進化論に関する書物、果てはDNA配列に関する最新の論文までが100坪を超えるスペースにぎっしりとそして整然と並んでいる。それらを読み進むたびに僕は自分がとても不完全な空っぽの固体であることに打ちひしがれるのだ。

僕はどこからやってきたのか?

 仮に所長が父親であるとして、母親はどこにいるのだろうか?もしかすると、いないのかもしれないとも思う。いや、いるにはいるのだろうが全くイメージ出来ない。生まれてこのかた僕が知っている人間は所長一人だから。せめて父親だけでも知っておきたいと思うのは自然なことだろう。
 科学的に親子関係を調べることは簡単だ。DNA鑑定をすれば99パーセント以上の確立で親子関係の正否が認定出来るし、その装置や試薬もこの研究所には備わっている。実は、その実験をやってみたことがある。結果は、99パーセント以上の確立で、僕と所長は親子関係にあると出た。ほっとしたような、まさかと思うような・・・何とも言えない気持ちになった。
 だけど、僕の父親に関する疑問は完全には晴れたわけではない。
 この研究所のテーマは、ありえない植物を開発することだからだ。つまり、自然界の摂理を覆すことが唯一絶対のテーマなのだ。そこに身を置く僕にとって、DNAデータを操作することは簡単ではないけど不可能でもないことを学んでしまっていた。つまり、父親が所長でなくても所長と僕のDNA配列を一致させることは、気の遠くなる作業の末には可能なはずだ。絶対的な真実なんて存在しない。親子関係しかり、DNA配列しかりだ。非常識が日常の中に組み込まれた環境で生活すると、何が起きても驚かなくなるし、何事も疑ってしまうようになってしまう。悲しき研究者の性(さが)といったところか。母親がいなくても僕がここにいる可能性を否定出来ないし、もしかしたら父親もいないのかもしれない。
 科学的に真実を追求しようとすればするほど、次々と疑問点が見つかり、答から遠ざかるとは皮肉なものだ。科学とは残酷なものかもしれない。
 ある朝、何気ない日常を装って、そのことを所長に尋ねてみた。鑑定結果を持って。
 所長はこう言った。
「僕にも分からない。最近、自分が誰なのかさえ分からないというか、忘れてきたような気がするからね。」そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべて、常に決まった場所に置いてあるお茶を一口飲んだ。
 僕は父親探しの旅をあきらめることにした。ここは、そんな場所だ。自然の摂理というものを基準に物事が進んでない。
 
 その翌日、所長は亡くなった。何千種類の植物の種が入ったシェルターに埋もれるようにして。穏やかな死に顔だった。
「お父さん、さようなら。ありがとう。」

 僕はひとりぼっちになってしまった。そして、はたと考え込んでしまった。一体、これから僕はどうすればいいのだろうか。このまま研究を続けようにも、機械のいちパーツのように所長から指示され、与えられた仕事をたんたんとこなすだけだった僕には無理そうだ。
 では、エレベータに乗って地上に出るか・・・いや、自分の素性さえも知らない成人男性が生きていくには、かなり厳しそうな選択だ。ううむ。
 僕という存在を僕自身に与えてくれていたのは、実は所長だったんだな。所長がいなくなった瞬間から、僕は僕でなくなり、僕というもの自体がひどくぼんやりしてきたような気がする。誰の目にもとまることなく、花を咲かせることもないまま、生まれ朽ちていくようなアスファルトの隙間から芽を出した小さな小さな名もない雑草のようなもの。
 生きていく価値って何だろう?生き続けることの意味って何だろう?
 幾晩も…光の届かないここには朝も昼も夜もないのだけれども、まあ幾晩分もの時間、僕は希望がわずかに混じった絶望の中で微動だにせず過ごした。数日間分の不眠からくる疲労感は不思議となかった。ただ、高ぶった神経がきりきりと音をたてて巻きあがっていくのを自覚できた。痙攣を起こした瞼(まぶた)のせいで、まばたきが出来ない。眼球は、乾ききった大地のように干上がり、視界というものを失いつつある。僕の体温はこれまで感じたことがない熱量を発し、暗闇の研究所内で発光しているような気さえする。このままじゃいけない。暴走した交感神経を鎮めなければ壊れてしまう。もはや、僕の身体は僕のものではなくなってしまったようだ。何一つ、思ったように動いてくれない。終わりなのか、このまま終わってしまうのか?身体中のあらゆる細胞が、音をたてて弾けていく。噛みしめた奥歯が顎の骨に沈み込み、ストッパーを失った前歯は粉々に砕かれる。その破片が、口の中の粘膜を無数に傷つけ、溢れんばかりの血で窒息しそうになった。
 何か音がする・・・低く太い音が近づいてくる。共鳴を起こした鼓膜が、身体全体を揺らす。お迎えが来たのだろうか?持続性のあるその音は、どんどん近く大きくなり、研究所全体を打ち抜くように大きく揺らした後、ぴたりと止んだ。
 恐ろしい程の静寂が、闇を飲み込んでいった。そして、その先にあるエレベーター・・・動くはずのないエレベーターの扉が、静かにゆっくりと開いたのが分かった。乾いた眼球は、その内部にあるものを明確に識別出来なかったが、微かな熱が伝わってきた。何かがこちらに向かってくる。その微かな熱は、確実にこちらに近付いてきている。研究所の固い床を聞いたことのない音と共に向かってくる。

コツ  コツ  コツ  コツ  コツ  コツ ・・・

 

わたしの家の稼業は、銭湯だ。父親の父親の代から続く、創
業70年の老舗の部類に入る鄙びた銭湯。のれんをくぐると番台
があり、そこに座る父親に小銭を渡して入場する昔ながらのス
タイルを守っている。番台では、父親はいつも本を読んでいた
。わたしが就職先に印刷会社を選んだのは、番台の中でいつも
本を読んでいた父親の姿が好きだったからかもしれない。
水色ガソリンスタンドの隣が、家業である銭湯で、その裏に自
宅がある。自宅に戻り、鞄を置く。オーバーヒートを起こした
車のおかげで汗だくだ。まずはお風呂に入ろう。自宅にあるの
はシャワーなので、今日みたいな日は、銭湯のお風呂に入る。
銭湯と自宅は、3メートル足らずの短い廊下で繋がっていて、
そこの壁にはビー玉ひとつ分くらいの小さな穴があいている。
壁に使われている板の節部分が、20年間くらいポロッと取れた
ままになっているのだ。小さな頃、銭湯側の建物への行き帰り
、必ず、この穴から外を見ていた。そこから見える景色は、外
で見る同じ景色と比べて鮮やかな色彩だったから。
わたしは、その廊下を通って父が番台に座る銭湯に向かった。
夕方6時の夏の日差しが、薄暗い廊下の小穴から柔らかに差し
込んでいる。そうだ、この穴の向こう側はガソリンスタンドだ
。わたしのパンダと彼が見えるかもしれない。久しぶりに穴か
ら外を覗いてみた。
 車から出る白煙は、かなりその量が減っていた。彼は、車の
横にいつもの椅子を移動していた。そして、すやすや眠る赤ん
坊を眺める母親のように、そこに座り、穏やかに本を読んでい
た。
 何かの気配を感じたのだろうか。おもむろに彼の顔がこちら
を向いた。この上なく驚いた。わたしは、壁から顔を離し、小
穴を手のひらで塞いだ。心臓はバクバクと音を立て、顔が赤く
上気していくのがはっきりと分かった。まるで10代の小娘だ

 よくよく考えるまでもなく、彼のいる位置から小穴を通して
わたしを見通せるわけがない。そんな当たり前のことに気づき
、小穴からもう一度彼を覗いてみた。
 彼はこちらに向かって、満面の笑みでピースサインを送って
いた。
 見えてるの?
 照れくさくて、照れくさくて・・・小穴に向かってピースサ
インを送り返し、小走りで銭湯側の建物に入った。

 どれほどゆっくりお風呂にいても、わたしの場合はせいぜい30
分だ。車を取りに行くのは、3時間後。残り2時間30分が待ち
長い。何をして待とうか。一日の終わりのお風呂に入ったその
後に、ばっちりメイクして行くのも、なんか気持ちを見透かさ
れそうで恥ずかしい。すっぴんで行くのも、なんだかなあ。む
むむ・・・これが、“女心”というものなのだろうか?湯船の
中で、足を伸ばし、腕を組んだまま天井を見上げて考えた。
あれ?この感覚どこかで感じたよね・・・そうか、さっきのア
レだ。彼と初対面の時の体勢。ブレーキペダルを踏んだまま、
斜めに身体を突っ張っていたんだよね。あれは、恥ずかしかっ
たなぁ。
「なにぞ、いいことがあったのかい?」
 サヨばあちゃんの声がした。サヨばあちゃんは、うちの常連
さんで、わたしが小さな頃からの大の仲良しだ。
「それにしても、今日は暑かったねえ。仕事をするのも大変だ
ったろう。そんな難しい格好してニコニコせんで、もっとゆっ
たりつかればよかろうもん。」
「あはは。そうですね。」
体勢をたてなおし、サヨばあちゃんの方を向いた。
「サヨばあちゃん、ちょっと聞いてもいい?」
「なにごとかい?難しいことは無理だよ、分からんから。そう
じゃなければ、どうぞ。」
わたしは、今日あったことを話した。車が止まったこと、彼に
助けてもらったこと、車を預けていること、小穴から見られて
いたこと、彼のことを好きになってしまっただろうこと、2時
間30分をどうやって過ごしていいか分からないこと。
「ああ、そういうことかい。簡単なことだよ、簡単なこと。」
「え?簡単なの?」
「簡単さ。」
「どうしたらいいの?」
「今すぐ、お風呂から上がって会いに行ったらいいがね。」
「行くって・・・車はまだなおってないかもしれないのに。」
「“真夏の恋は蝉しぐれ”と昔から言うんだよ。」
「蝉しぐれ?」
「そう、蝉しぐれ。しぐれというのは、激しく打ちつける通り
雨のことを言うんだけど、蝉は夏の短い間を狂ったように鳴い
てパタッと静まるよということさ。」
「じゃあ、夏の恋は長続きしないということ?」
「そういう風に思っている人が多いのだけど、実は違うのよ。
蝉が地上に出てきて1週間くらいで死んでしまうのは知ってる
かい?」
「うん。」
「じゃあ、なぜ、あんなに鳴き狂うのか知ってるかい?」
「求愛のためかな。」
「その通り、最愛のパートナーを探しているんだよ。寿命が短
いからというのもあるんだろうけど、それよりも“真夏に始ま
る恋愛が最高なこと”と“真夏が短いこと”を知っているから
さ。短い真夏に一生涯を賭けた真夏の恋愛を始めるためなんだ
よ。真夏というのは、カッと暑いから愛や恋も盛り上がるもん
さ、蝉も人間も。」
「急がないと終わってしまうよってこと?」
「そう。真夏は短いんだからね。通り雨なんだから。」
「“真夏の恋は蝉しぐれ”かぁ。なんか、がんばってみようか
な。」
「がんばりなさい、がんばりなさい。若いんだから、遠慮なく
がんばりなさい。」
「ありがとう。サヨばあちゃん。」
「はいはい。アイスキャンディーくらい持って行きなさいよ。
こんな暑い日に外で仕事をしてるんだから。」

 “真夏の恋は蝉しぐれ”・・・真夏の到来を待ち望んだ蝉た
ちの大合唱。真夏は通り雨か。よし、行くぞ。
アイスを持って、今すぐ会いに行こう。
町がおぼれてしまいそうなくらい記録的な長い梅雨が明けると、助走なしに真夏がやってきた。
今年の夏は、おそろしく暑い。

 わたしの住む自宅の隣に、猫の額ほどの小さな空き地があっ
た。そこに、ミスチョイスとしか思えないお店がオープンした

ガソリンスタンドだ。
時代に反してとても小さく、給油する場所が1箇所しかない。
そして、地面を含めてあらゆる場所が水色のペンキで塗りつく
されていた。たった一人のスタッフ・・・多分、オーナーであ
ろう男性が着ているツナギも水色だったので、よほど水色が好
きなんだろう。夏空の色みたいで、強烈にきれいだった。
ただし、なんとなくイレギュラーで入りにくく感じた。他のガ
ソリンスタンドとはあまりに違う。自宅の隣であるから便利だ
ろうけど、給油するスタンドを変更しなかった。さらに、そこ
に車が止まっているのを見たことはほとんどない。車で通りす
がりに見ると、彼はいつも給油スタンドの脇にパイプ椅子に出
して座り、静かに小さな本を読んでいた。

 勤め先の印刷会社から自宅へ戻る途中、車の中に微かないや
な匂いが鼻についた。わたしの車は、平成元年式の濃紺のフィ
アット・パンダ。ポンコツと言えばポンコツで、故障も多く燃
費も小型車にしては良くないが、好きだから仕方ない。電気系
統が弱いので、夏でも長時間のエアコンはご法度だ。あまりに
暑いから、ここ最近でエアコンを使いすぎたのかもしれない。
 エアコンをオフにして、窓を開け、なるべく急なアクセルを
踏まないように運転を続けた。行きつけの修理工場は、会社か
ら自宅へ向かう方向とは反対側にある。今日は、早く家に帰り
たい。くたくただからだ。
小さな印刷会社である我が社は、急な大量の製本作業のおかげ
で昨日からフル稼働している。わたしは、出来上がっていく本
をダンボールに詰め、台車に載せて倉庫に持っていくことを一
日中繰り返した。肩から腰、足にかけて1枚の錆びた鉄板のよ
うだ。
「お願いだから、家まで持ちこたえて・・・。」
 明日は早起きしてバス通勤にすることにして、今日は自室に
帰って早く横になりたい。そう思って、窓を全開にしてパンダ
をやさしく走らせた。
自宅まで、あと1キロだ。

 自宅に到着するために通過すべき最後の信号は、黄色だった
。「ごめんなさい、今、わたしは非常事態なのです。お許しく
ださい。見逃してください。」と信号の神様に念じながら、強
くアクセルを踏み込んだ。
 ・・・・・・のがいけなかったのだろうか?黄色信号で止ま
らず、加速して交差点を通過した瞬間、ボンネットから白煙が
上がり始めた。もうもうとした煙は、瞬く間に視界を遮るほど
噴出した。
「わわわ、どうしよう、どうしたらいいの?」
ミラーで後方を確認したところ、後続車はいない。ブレーキを
踏んで、車を停めるべきなのか?いや、とにかく自宅に戻るこ
とを最優先に、このまま車を走らせるべきなのか?どうしたら
いい?どうしたらい?分からないまま、身体は固まった。身体
が固まっても、車は進む。白煙が上がる。
あと、300メートルくらいかな。爆発なんてしないよね?ね
?ね?ね?

プシュン・・・・・・

 エンジンが止まった。アクセルを踏んでいるのに止まった。
自宅まであと200メートルといったところだろうか。古い車
なので、エンジンが止まると、ハンドルだけでなく、ブレーキ
ペダルまで重くなってしまう。ええい、なるようになるさ。こ
のまま、自宅に向かって直進してやる。
 わたしは、目を見開いて前方を見据え、重いハンドルを両手
でがっしり握り締めた。ブレーキペダルは、左足の上に右足を
添え、何かあったら両足で踏ん張れるようにスタンバイ、少し
でも車にかかる体重を減らすイメージで、踵を軸にして腰を浮
かせてみた。
 グングンと自宅が近づいてきた・・・のは、ほんの少しだけ
だった。最後の信号から自宅までは、ゆるやかな上り坂・・・
あっという間に速度がダウンしていった。ペース配分を間違え
た長距離ランナーみたいに。
 そして、わたしのパンダは完全に停止した。ブレーキペダル
を両足で思いっきり踏ん張っているわたしは、車の中で斜めに
“気をつけ”をしている間抜けな体勢で固まっているしかない
。この上り坂に対して、どう対処すべきなのか?途方にくれる
とは、こういう状態だ。足を離すと、車は自然と来た道を戻る
・・・つまり、後退してしまう。どうしたらいいのだろう?ど
うしたらいい?携帯電話?自宅にいるはずの親に電話してみよ
う。電話はどこ?
携帯電話は後部座席の置いたバッグの中にある。最悪だ。どう
身体をひねっても、手を伸ばしても、歯を食いしばっても届か
ない。このまま、誰かが助けてくれるのを待つしかないのか?
ヘルプ・ミー!!!!だ!
「あの・・・何しているんだ?」
開けた窓から入り込んでくるまでになった白煙の中から声がし
た。両足を踏ん張ったまま、声のする方に視線をやった。スー
パー・マジシャンの登場シーンのように、白煙の先に水色の男
性がいた。ガソリン・スタンドのお兄さんだ!車の専門家だ!
救世主だ!
「いえ、こう・・・車で帰る途中、煙が出てきて、こう・・・
家はすぐそこなんですけど・・・あと、もう少しのところでエ
ンジンが止まってしまって・・・なんとか家まで着かせようと
頑張ってみたんですけど・・・やっぱり駄目だったみたいで、
ここで止まってしまって・・・止まったのはいいんですけど・
・・ここ坂道なもんで・・・。」
 彼は、にっこり笑い、手のひらを斜めにしてこう言った。
「いや、そうじゃなくて・・・何故、斜めになっているんだ?

わたしだって、好きでこんな格好をしてるわけじゃないのに!
「だって・・・足を離すと、車がバックしてしまうから。」
「あはは。エンジン落ちると、ブレーキペダルって重いという
か、固いでしょ?」
だから、笑ってる場面じゃないでしょ。早く、なんとかしてく
ださい!
「固いです・・・わたし、どうしたらいいのでしょう?」
「こうしたらいいのです。」
彼は、全開にした窓からわたしに覆いかぶさるように上半身を
入れてきた。水色のツナギからは、乾いたオイルのにおいがし
た。
そして、彼はサイドブレーキを思いっきり引っ張った。

ギギギッ!

「失礼」と声を出しながら、上半身が窓の外に戻っていった。
ツナギの擦れる固い音と、オイルのにおいが車内を通り過ぎた

「はい、もう大丈夫。」
突っ張った足の力を抜き、シートに崩れ落ちた。
あはは、馬鹿みたいだね、わたし。サイドブレーキを引き上げ
るだけでよかったんだよね。なぜ、気がつかなかったのだろう
。恥ずかしい・・・。
「すみません。ありがとうございます。助かりました。」
「いえいえ、どうも。ところで、これ、どうします?」
彼は、ボンネットを指して言った。
「どうしたら、いいのですか?」
「そうですね、まあ、ここで立ち話もなんですから、スタンド
に入れてもいいですか?」
「え?あ、はい。でも、エンジン止まってますけど。」
「後ろに廻って押すので、サイドブレーキを外して、ハンドル
をきってもらえますか?」
「はい・・・そうするのは構いませんけど、大丈夫ですか?そ
のまま、後ろに下がったりしませんか?危なくないですか?」
「まあ、やってみましょう。後ろに下がったら、ブレーキかけ
てください。あ、斜めになる方じゃなくて、サイドブレーキを
引く方のブレーキね。」
さすがに、そこは間違えません。了解。

 彼が押してくれたわたしのパンダは、無事にガソリンスタン
ドへ入った。小さな敷地の真ん中で、わたしは、きっちりサイ
ドブレーキを引いて、車から降りた。
「ちょっと、失礼します。」
彼は一言告げて、車内に入り、なにやら探している。

スパン!

ボンネットが跳ねる音がした。彼は素早く車から降り、ボンネ
ットをフルオープンさせた。

ブハー!

閉じ込められていた白煙が、一気に放たれる。白煙の向こう側
に見えるはずの彼の姿が見えない。わたしの車は、どうなって
しまうのだろう?
「大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫じゃないですね。」
彼は、腕をしかっと組んだまま言った。
「どうなるんですか?」
難しい顔をしたまま、彼は、首を何度か横に振る。そして、組
んでいた腕をほどいて、右手の人差し指で空を指差した。
「ここを起点にした入道雲が発生すると思われる。」
大真面目な彼の表情がまたおかしい。数秒間の沈黙の後、白煙
が上昇していく方向を指差しながら、笑ってしまった。
「それは、大変ですね。」

彼の笑顔がまぶしい。かなりオクテな方なわたしだけど、彼の
ことを好きになったみたい。それが自然なことで、必然であっ
たかのように恋に落ちた。水色のガソリンスタンドから沸き昇
る白煙のように、わたしの彼に対する想いは、夏空高く舞い昇
った。

「オーバーヒートという状態かな。水を補給してこのまま、ゆ
っくり車を冷やしてあげれば大丈夫だと思う。一応、後でホー
ス類やいくつかの部品の点検をしておくよ。」
「はい、お願いします。」
「では、3時間くらい預からせてもらっていいかな。一度、帰
宅されていいですよ、暑いから。」
彼は、わたしの家の方を指して言った。知っていたんだ、わた
しのこと。

 

 原因やきっかけなんていくらでもあるし、後付けでしかない。

 購入して3年になる小さな建売住宅は、小倉の都心から車で15分というまずまずの場所にある。べニア板で作った小箱を珪藻土で薄く塗り固めただけの我が家は、3年という月日以上に色褪せてしまったように見える。
 この家に越してきたのは、3年前のちょうど今時分だった。150世帯分の家が規則正しく配置された新興住宅地の真ん中を貫く道路を真っ直ぐ進んだ。両脇には、満開の桜。幸福という未来へ続く新しい土地への引越しだと信じて疑わなかった。
儚(はかな)げさゆえの美しさは、時に残酷な記憶となることなど想像だにしなかった。
今年も、その桜たちは一直線にそ知らぬ顔して咲き連なっている。

 僕の家庭は、半年前から崩壊している。妻は飲めなかったはずの酒を一日中飲んでいる。14歳の娘は、中学校に行くことを半年前からやめた。もはや自宅という名の箱は、安く仕上げられた舞台セットのようなものだ。その役割は、家族以外の人々にバックヤードを見せないようにすること。観客たちに薄暗い舞台裏を見せないのは、縁者側のルールだから。
 我が家の舞台裏は、惨憺たるものだ。玄関のドアを開け一歩中に入ると、そこはゴミの山、山、山。弁当、冷凍食品、おにぎり、サンドウィッチ、スナック菓子、ペットボトル入りのジュースやお茶、缶ビール、アイスクリーム、雑誌などの残骸たちで真っすぐ歩くこともままならない。電気を点けた瞬間にカサカサと虫が隠れる音が、複数方向から聞こえてくる。
 僕がこの家に毎日帰る理由は何だろう。もはや居所なんてない。澱んだ空気に窒息しそうな我が家に何も期待できないのに。


この家に越してきたのは、ちょうど3年前の今日、4月1日だった。
「明日も新しい家だよね?エイプリール・フールじゃないよね?」
お気に入りのテディベアーを抱えた娘が、妻にたずねた光景を昨日のように覚えている。小さな庭のほとんどを覆っているウッドデッキで、引っ越し祝いをしようとバーベキューをした。翌年も翌々年も4月1日は、「引っ越し記念日」として、バーベキューをしたな、昨年までは。4月1日は、早めに仕事を切り上げた。食材を買い込んで帰宅すると、妻と娘が火を起こして待っていたな、昨年までは。


 今年も仕事を早めに切り上げ、帰宅途中にある小さなスーパーマーケットに立ち寄った。
「ばかみたいだろ?笑うなら笑え。」
パック入りの牛肉を詰めながら、唇を動かさずに悪態をついてみた。キャベツ、ピーマン、シイタケ、もやし、チャンポン麺、タレ・・・望み薄の「引っ越し記念日」でも、僕は僕の役目を全うするだけだ。それが記念日というものだ。
「ありがとうございまーす。抽選券でーす。」
レジで3252円を支払うと、1000円ごとに配布しているという抽選券を3枚手渡された。1等の賞品は、50インチ超の液晶テレビ。現在の我が家には置き場所がありません。
 抽選会は、スーパーマーケットの出入り口のすぐ脇で行われていた。赤白の横断幕の前に、ピンク色のトレーナーを着た50台の男性が、何が嬉しいのかニコニコして待っていた。目が合うと、大げさに手招きする。
「おつかれさまでーす。こちらへどーぞー。豪華景品でーす。」
スルーするつもりだったが、あまりに明るい強引さに断るに断れない雰囲気を感じた。
 今夜、これからの命運を賭けてみるか。
 折りたたみの長机に設置された小箱の中に手を突っ込み、3枚のくじを取り出す。ここで当たった方が吉なのか?それとも、ここで運を使ってしまうべきでないのか?50インチの液晶テレビなら欲しいぞ。
 少しばかりの念を込めて、3角形に折られた3枚の紙を店員に渡した。店員は、手なれた動作で3枚の紙を破り、中に書かれている文字を順に確認した。にこっと笑い、傍らに置いてある大太鼓を3回打ち鳴らした。ドン、ド、ドン!
「めずらしや、めずらしやー。おめでとうございまーす。3等3枚でーす!」
そう言うと、こぶし大の白い箱が3つ差し出された。大きさから推測すると、どうも液晶テレビではないようだ。
「何が入っているのですか?」
「防災グッズです。便利ですよ。」
「防災ですか・・・あはは、ありがとう。」
 家に帰り着いた瞬間に大地震が起きて、妻と娘、そして僕の3人は、たまたまくじ引きの景品でもらった3つの防災グッズをそれぞれ手にして一致団結、家庭崩壊していたことなど忘れて、家族で立ち向かっていく中で、家族の絆をより強固なものにしていく・・・ことはないだろう。むしろ、天変地異でこの世の中が消滅してくれた方が、僕ら家族は楽になれるかもとさえ考えてしまう。3252円分の食材が入ったビニール袋にそれらを放り込み、僕は自宅に向かった。

 桜並木を歩き続けると、正面にひときわ大きな桜に突き当たる。そのT字路の手前右手側が我が家だ。我が家のリビングを灯す蛍光灯は、3日前からタマ切れを起こしかけている。閉めきったカーテンを隙間からこぼれる蛍光灯のチラチラした点滅は、まるでSOSを発信しているようだ。
 決して期待してはいけない、期待するなと自分に言い聞かせながら、自宅に歩を進める。バーベキューの準備をしているなんて、まさか、まさかのまたまさかだ。食材の入ったビニール袋って、こんなに重かったっけ?このまま、放り投げたくなる。何もかも面倒なんだ。歩くのさえ、面倒だ。急いで帰ったりするもんか!
 ゆっくり、ゆっくり歩いたつもりだが、抵抗むなしく玄関前に到着したようだ。何も期待してないぞ。何も期待しないぞ。
 鍵を差し入れた。ん?ドア向こうに何か気配を感じる。先方も同じく、僕のことに気付いたみたいだ。永遠の2,3秒間とでも言えばいいのだろうか?長いようで短い、短いようで長い“一瞬”の間に、僕の頭の中はフル回転した。思いをめぐらせたことは、僕がすべき次の行動についてだ。このドアの向こうに存在する未来を楽観的に予想するのは、簡単なことではない。ウッドデッキに火は起きていないようし。
 情けない男だと笑うがいい。導き出した答えはこうだ。時間稼ぎをすべし。
 右手に持った鍵を差し込んだまま、言ってみた。
「ただいま。」
返答はない。でも確かに誰かいる。ドアの向こうにいる誰かが息をひそめて、こちらを凝視している。
「ただいま。」
もう一度、言ってみた。変わらず返答がないので、右手に力を込めて、鍵を廻そうとしたその時、内側からロックを外す音が聞こえた。
「おかえりなさい。」
妻だった。窪んだ目で、怯えたように僕を見つめる。僕らは生き別れた兄妹が数十年ぶりに再会したかのように、お互い発するべき言葉を探した。
「お、おかえりなさい。」
「ああ・・・ただいま。」
「・・・おかえりなさい。」
「ただいま。」
妻は、視線を下に向け、意を決したように言った。
「ごめんなさい。まだ、準備出来ていない。」
僕は、食材の入った袋を掲げて
「これ?」
「そう。」
「なんか、嬉しい。覚えていたんだね。」
「どうしよう。どうしたらいい?」
「明日でいいんじゃないか?」
「こんなこと言えた義理じゃないけど、出来れば今日したい。」
「・・・・・・。」
「あの娘が言ったの、パパはきっと買ってくる。」
 視線を感じて、階段に目を向けると、そっぽ向いて耳だけこちらに向けている娘が最上段に腰かけていた。
「覚えていてくれてありがとうな。」
僕は数ヶ月ぶりに娘に声をかけた。娘は意を決したように立ち上がり、ふてくされて階段を下りてくる。妻の左斜め後ろに立ち、僕の持つ荷物を覗き込む。この半年間で身長が伸びたのかもしれないな。背伸びすることなく妻の肩越しから荷物を見下ろす娘に荷物を渡した。
 袋から白い小箱が落ちそうになった。娘は、ひゃっと掴み、カタカタと振った。
「何これ?」
「ああ、スーパーのくじでもらった。防災グッズらしい。」
娘はこぼれ落ちそうになった白い箱を開け、中身を取り出した。じっと見る。
「これはいいかも。」
ぷっと吹き出した娘は、妻の背後に回り、こぶし大の防災グッズを妻の頭にセットする。
「スイッチオーン。」

 それは、携帯型のヘッドライトだった。
 妻の頭で光るそれは、僕が立つ玄関をやさしく力強く照らした。久々の家族3人での会話、たったそれだけのことだけど泣かずにはいられない。ヘッドライトで妻と娘はまばゆいばかりのシルエットだ。涙でぐしゃぐしゃになっている自分ばかりを見られて照れくさい。
「もう二つ入ってるはずだよ。」
僕の言葉に頷くと、娘は、それぞれの白箱からヘッドライトを取り出し、ひとつは僕に、もう一つは自分の頭にセットした。 
 玄関で久しぶりの対面をした僕ら3人の頭には、それぞれヘッドライトがセットされている。お互いに照らし合い、泣いた。これから笑うための表情筋を必死にほぐすように泣いた。

「パパとママ、頭、こっち・・・そうそう、ちょっとそのままにしてて。」
娘は、僕と妻の頭にあるヘッドライトに手をやり、なにやら操作する。
カチッ ジャ ザザザ「・・・今夜は、ドリカム特集でーす。」
さすが防災グッズだ。僕らの頭にあるヘッドライトには、ラジオ機能が付いていた。娘は、自分のヘッドライトにも手をやり、チューニングを合わせた。同じ放送を至近距離にある3台のラジオで聴くのは、なんだか不思議な感じがした。電波に乗ってやって来た音が渾然一体となって、時間や距離に対する感覚を狂わせるようだ。楽しいことだけを考えられるようになる。やったことないけど、麻薬に乗っかったような気分だ。
「よしよし。ドリカムに合わせて準備開始。」
と言って、娘はスタスタと床に散らばったゴミを拾い集めていく。
「よし、やるぞ。」
妻の肩をポンと叩いて、靴を脱ぎ、僕も娘に続く。
「ゴミ袋を持ってこなくちゃね。」
背後で妻の振り返る音がした。
 
 吉田美和の伸びやかな歌声が、僕らの全身を心地よく通り抜けていく。
 なにはともあれ、リスタートだ。

最近、ここを更新できてませんが・・・。

こことは別にもうひとつブログを作りました。

"花を売らない花屋”をテーマにギャラリーを構えましたので

そこの紹介などをマイペースに書き綴っていく予定です。

屋号は、【聴雨居(ちょううきょ)】と申します。


http://ameblo.jp/chouukyo/



 夜食用のサンドウィッチと缶コーヒーを近所のコンビニで購入した後、僕は家族が待つ自宅に向かった。なだらかな坂を歩いて上っていく。平均年齢60歳をはるかに超えている我が町内の深夜4時過ぎは、これから来る朝を待つのでなく、そのまま終息してしまいそうな深遠な静けさも支配されている。僕意外の僕の家族・・・妻と二人の子供たちも例外でなく、毎晩、この時間だけはあちら側の世界の住人となる。あちら側にいる人々と、僕らこちら側にいる人々は交信することは出来ない。携帯電話を没収された恋人のようなものだ。叫んでも叫んでも、すとんと声は吸い込まれてしまう。
 静かに鍵を回し、ドアをあける。深夜4時の我が家は、この時間、あちら側の世界に属している。息を止めて、妻と2人の小さな子供たちが目を覚まさないように静かにゆっくり階段を上がる。2階の廊下を突きあたりが僕の部屋だ。そこは、モンゴルの岩塩とペルーの赤土を混ぜたもので結界を張っているため、この時間のこの家の中で唯一こちら側の世界の時間が流れている。部屋に入り、一気に息を吐き、そして吸う。今夜も無事に帰還出来たことを感謝する。
 窓際に椅子を寄せ、サンドウィッチ、缶コーヒー、携帯電話を5センチほどの窓枠スペースに置く。
 昼間の空と同様、夜空にも色々な表情がある。今夜は、タイプPⅢと呼ばれる南半球の洋上でよく観測されるタイプのものだ。北半球のちょうど真ん中あたりに位置するこの窓からは、年に2,3度程度のみ見ることが出来る。なんとなく得をしたような気分がして、僕はククット下を向いて笑った。
 5時39分・・・今日の日の出時間まで、あと2分だ。もう、なんとなく空は地球色を帯びてきている。
 大勢のカラスたちが、寝床にしている下水管から次々と空に現れ、周回し始めた。

 【シュシュッ】

 5時39分。携帯電話にFM音源を使って自作した着信音が短く鳴った。時を同じくして、あちら側の世界とこちら側の世界を分けていた境界線が瞬時に落ちる。ふたつの世界は、ほんの少しだけ躊躇い、そしてカフェオレボールに注がれるミルクとコーヒーのように柔らかく交じり合っていく。僕は、携帯電話を手に取り、届いたメッセージを開いた。

『おはようございます。点検・保守の完了をお知らせします。今回の陥落地区はありませんでした。来週もよろしくお願いいたします。(二夜公団統括)』

 6年前に受け取ったメールをきっかけに、毎週金曜日の早朝は窓際で空を眺めながら迎えるようになった。あちら側とこちら側の違いは、よく分からない。それを上手く混ぜ合わせることに失敗する・・・つまり、陥落するとどうなるのかのも不明だ。なんでも時計が刻む横軸の時間でなく、縦軸の時間が暴走し飛び散ってしまうらしいんだけど、それが実際どういうことなのか理解出来ていない。ただ、世の中というか世界中に困難な出来事が増えているのは、どうもこのふたつの世界が共存出来ていない地区が増えていることが原因らしい。
 まあ、僕には分からないことだらけだけど、なんとなく世の中に役立っているのかもという予感と期待だけで、6年間続けてきた。ただ、窓の外をじっと見上げるだけでいいのだから、不器用な僕でも何とかなるしさ。
 金曜の朝から始まる新しい1週間が始まった。
 窓を開け、缶コーヒーのプルタブを引っ張り、朝の引き締まった空気と共に飲み込む。
 世界のみんな、おはようございます。

 漆喰の壁にはめ込まれた1枚の木板。小さな頃からいつも傍にいてくれた木板。わたしと木板は、やっと安住の場所を見つけたのかもしれない。

 結婚から5年たち、私たち夫婦は家を建てた。購入したのではなく、建てたのだ。全体像から間取り、ドア1枚1枚のデザインや建具のスケッチなどは、最終的に4百枚を超えた。主人の友人である設計士を中心にセルフビルドに理解ある人々に協力してもらい、週末の休日を中心に2年間をかけて作り上げた。痒みにのたうちまわりながら、床材は漆を幾重にも塗り重ねた。筋肉の走行ラインをはっきり意識出来るほどの筋肉痛になりながら、壁に漆喰を塗り続けた。屋根に登り防水タイルを張りながら見た沈み行く夕陽を見て、トイレの天井を無難な白から燃えるようなオレンジに塗り替えた。
 そして、わたしが最もこだわったのが、この木板をはめこむ場所だった。

 木板には、所々波打ったラインでピアノ鍵盤がスケール通りに掘られている。今から25年前、9歳になったわたしへの父親からの誕生日プレゼント。兄のプラモデル作りを手伝うつもりが壊してしまったくらい不器用だった父親が作ってくれた音の出ないピアノだ。。
 わたしの家は、今思うと仲が良いことだけが自慢の貧乏家族だった。3食の食事に困ることはないけど、時々機嫌を損ねる小さなテレビが我が家の最高級家電で、ビデオデッキやエアコンはなかったし、電話機は黒電話。家族4人分の洋服は、小さなタンスひとつですべてのシーズン分収まっていたし、自分用の部屋というものを誰一人として持っていなかった。
 その頃のわたしは、いつも歌っていた。時間割の中で一番楽しみだったのも音楽の時間。音楽の教科書の裏表紙には、ピアノの鍵盤がプリントされていて、その鍵盤を使って日記代わりのオリジナルソングを弾き、家族の前で毎日歌っていた。また、クラスのイベントごとの度にピアノ伴奏をするエイコちゃんという同級生がいた。彼女の誕生日パーティーに呼ばれて行った時、自宅に本物のピアノがあることを知ってびっくりした。「すごいね、いいね。」とエイコちゃんに言ったら、「わたしピアノ大嫌い。おもしろくない。」と悲しそうな顔をしたのにもびっくりした。
 家に帰ってから、誕生日パーティーの報告を兼ねた歌を歌った。エイコちゃんのピアノについて歌った。「黒くて立派で音まで出るのにエイコちゃんから嫌われてかわいそう。ピアノさんが歩けるなら、わたしのお家に遊びに来たらいいのにね」という内容の歌だった。小さなわたしはピアノが欲しくてそう歌ったわけじゃない。エイコちゃんに嫌われているピアノがかわいそうで、そのことを無邪気に歌っただけなのだ。わたしは、わたしのピアノ・・・教科書の裏表紙にプリントされたピアノが大好きだった。聞いてくれる家族がいつもいたし、どんなに複雑で難しい曲でも思い通りに弾けたから。
 でも、父親の感じ方は、ちょっと違ったらしい。2日後の日曜日の朝、洗いざらしのコットンを身にまとったような柔らかな光に満たされた早朝6時。気配というか、予感というか、なんとも言えない淡いオレンジ色気分で目が覚めた。わたしたち家族4人は、いつも3枚の布団に並んで眠っていた。母親、弟、わたし、父親の順に。目を覚ましたわたしの右側は、いつもどおりの景色・・・弟と母親の寝姿が見える。ところが、左側にいるはずの父親がいない。たしか、仕事は休みのはず。休みの日は、たいてい最後まで寝ているのが父親で、その父親を起こすのがわたしだった。そういえば、すぐ隣の小さな台所から音がする。かさこそ、かさこそ。そおっと起き上がり忍び足。引き戸の隙間から覗いて見ると、父親が食卓の上で何かを磨いている。
「おはよう。」
 わたしは、その隙間に顔を押し付けて、なんだか楽しそうな父親の背中に向けて言った。予期してなかったわたしの声に、いすから飛び上がらんばかりに驚いたのが面白くて、わたしはするするとドアを開け、父親の背中に抱きついた。父親の大きな手がわたし全体を持ち上げ、膝の上にすべらせる。膝の上から見た真新しい景色のことをそのとき以来忘れたことなど一日たりともない。そこから見えたのは、木板で作られた新しいピアノだった。不器用な父親が徹夜をして彫り、磨き上げてくれた弦のないピアノ。
「いつかは、ちゃんとしたピアノを買ってあげるからね。」
痛ましげに、誇らしげにカットバンを張った指を照れくさそうに隠して、わたしをきゅっと抱きしめてくれた。

 わたしのピアノは、その日から今日までずっとその木板だった。音楽を志す者誰もが憧れる音大を目指し、入学し、卒業もしたが、わたしは父親の膝の上から見たピアノ以外を所有したことがない。音楽室のピアノと、自宅の木板のピアノを毎日弾いた。音楽室のピアノは先生みたいな存在で、木板のピアノは大親友のようなものだ。木板のピアノはいつも応えてくれたし、元気や勇気をくれた。
 また、木板のピアノにも調律が必要になることがある。それは、わたし自身の調律が必要なときでもある。同級生や先輩、後輩、友達・・・身の回りにいる音楽仲間たちは、悲しいかな、結局、戦うべき相手なのだ。時に戦友のような間柄になることもあるけど、それはお互い、ある程度、それも同程度の成功を手に入れたときのみで、それさえも脆く危ういバランスの上に成り立っている関係だ。好きな音楽の世界に身を置けば置くほど消耗していったわたしは、卒後間もなく再生不可能なピアノになってしまった。きりきりに巻き上げれた弦が、はじけ飛んでしまったのだ。わたしは、ピアノ弾きに必要な聴覚や触覚をはじめとするあらゆる感覚を失い、発見されるまでの数日間、木板を膝に抱えてうずくまっていたそうだ。

 それからの2年間は、山間にある精神科に入所していた。語弊を恐れずに言うと、そこは、「狂った」人でなく「失った」人が集められた施設だった。塵ひとつない15平米の白い箱が、医局を中心に12部屋配置されている。各部屋は、放射状に・・・医局を中心とした時計の文字盤のように円形に並んでいる。新しく入所した人は、12時の部屋にまず入る。同時にそれまで12時の部屋にいた人は1時の部屋に、1時の部屋にいた人は2時の部屋にというように時計回りに移動する。スタッフ以外との関わりを遮断されていたわたしたちが、唯一、自分以外の「失った」人を感じられるイベントだった。逆に誰かが退所すると、その人よりも大きな数字の部屋に入っている人は、反時計回りに部屋を移動することになる。反時計回りに移動した日は、いつもより少しだけ前向きな気持ちになれたものだ。「いつか、わたしも」と思えたから。
 そこは、心の自己免疫作用のみで、わたしたち「失った」人を回復させることを第一義とされた。規則正しい生活と、他者からの刺激を極力避けることが何よりも優先された。華奢な鉄格子に囲われた小さな窓から見える空の景色だけが、自分以外のもののすべて・・・そんな場所。施設のスタッフたちも、言葉を発することは一切ない。伝えるべきことがあれば、各部屋に備え付けられたノートを介して伝達される。治療スケジュールに関するものから、他愛のない冗談や天気の話まで、とにかくたくさんのことがスタッフとわたしたちによって書かれる。そのノートは、わたしたちの部屋の移動と関係なく、各部屋にとどまる。つまり、以前の住人によって書かれたものを読めるし、わたしが書いたものも誰かに読まれ続けるわけだ。退所してから気付いたけど、これはとても良く出来たシステムだった。自分のペースで他人のペースを垣間見ることが出来るし、「失った」人々が、「失った」人々に向けたエールのようなものもたくさん書かれていた。「失った」人は、ここで傷ついた羽を休め、一本一本の羽毛を丹念に紡がれていく。  
 ここに入所して1年以上、ピアノを弾くことはなかった。というより弾けなかった。弾きたいけど、弾けないのだ。わたしのピアノに指を置くだけで、嘔吐を繰り返してしまう。入所して1年後の月に一度だけの面会日に、父親にそのことを話すと、にっこり笑って
「ピアノのどこかが調子悪いのかな。ちょっと、見せてもらってもいいかな?」
と言って、施設スタッフに木板のピアノを面会室ロビーに持ってきてもらった。
 両手で大切そうに受け取り、手のひらで撫でたり、軽く叩いてみたりしてその感触を確かめながら「よしよし」と呟く。。それは、木板のピアノへの調律だった。わたしのピアノの調律は、父親の役目で、調律後の音はどこまでも伸びていく飛行機雲のようだった。
「これは重症だなぁ。ミのシャープの音が出ないみたいだから。」
そう言うと、おもむろに椅子を蹴飛ばし、手にしていた木板のピアノを床に打ちつけた。何度も何度も何度も。
「ごめんな。ごめんな。こんなもの作ったから、パパがこんなものを作ったから毎日がつらいよね。ごめんな。ごめんな。」
わたしは父親の腰にしがみつき、わたしのピアノを壊さないでと大声で哀願した。騒ぎを聞きつけたスタッフたちが、まず、わたしを父親から引き離した。父親は壊れたおもちゃのように、木板のピアノを打ち続ける。ごめんな、ごめんな、ごめんな・・・グゴッ・・・。両手すべての指が折れているのではないかと思うくらい強く握り締められた木板のピアノは、くの字に折れてしまった。涙なのか、汗なのか、顔じゅうをぐしゃぐしゃにした父親は、照れたように首をかしげてわたしを見た。その表情は、わたしに木板のピアノをプレゼントしてくれたあの朝と同じだった。いや、20年分刻まれた皺の分だけ、より柔らかくやさしく、わたしを見ていた。ゆっくりと口唇がうごく。ご・め・ん・な。
 口唇の動き以上にゆっくりと振りかぶり、満身の力で振り下ろされた。木板のピアノは真っ二つに割れ、父親から離れた木片はゆるやかな放物線を描き、わたしに向かってくる。そべてがスローモーションだった。放物線を描き飛んでくる木片がもともと何だったのか理解出来てなかったわたしは、子供を抱きしめる準備をする母親のように両腕を広げる。1回転、2回転、3回転と回りながら、わたしの元へ迫ってくる木片。その大きさは、回転とともに増していく。わたしの視界すべてが木片で占められた時、父親が丹念に掘り込んでくれた鍵盤たちがはっきり見えた。ぶつかると思って目を閉じた瞬間、わたしの顔を巻き込むように回転した木片は、柑橘系の音をさせて耳を横を擦り抜けていった。大きく前方に広げた手に何かが触れる。懐かしい感触だった。両腕を広げたままのわたしの顔は、走り寄ってきたであろう父親の胸の匂いに抱かれていた。
 二人で泣いた。世界中の底が抜けたくらいわたしたちは泣き続けた。泣き続けながら気がついた。ミにシャープはない。出るはずのない音のせいで、真っ二つに折れたピアノはまるでわたしだ。出ない音は、出ないままでいいのだ。不器用なパパは不器用なままだし、わたしもわたしのままでよかったのだ。ミのシャープを追い求めていたわたしは、いつの間にかあるはずのないミのシャープに占拠されてしまっていたのかもしれない。正体のないものに占拠されることイコール失うことでもあることに気づいた。それは『出口のない迷路』でしかない。
 わたしは、父親の腕の中でゆるやかに眠りについた。薬が介在する眠りはまるで泥水の中を泳ぐような息苦しさを伴う。しかし、その日の晩の眠りは違った。それはまるで深海に咲いた白百合のようにゆらりゆらりと香る眠り。母親のお腹の中はきっとこんな所なのだろう。コツ、コツ、コツ・・・コトリ。夢うつつなベッドの中、遠くに聞こえる雨音のような心地よい音、そして頬に感じた微かな風で目を覚ました後、また深い深い眠りについた。

 次の日、小鳥たちのさえずる音色が、わたしをかたちづくる細胞ひとつひとつをやさしくノックして新しい日の到来を教えてくれた。拭っても拭っても染み出てきていたヘドロのような表皮を拭わずにすむ朝はなんて素晴らしいのだろう。裸以上に裸になったような気分だ。ただ、わたしを侵食していたすべての問題がクリアーになったわけではなかった。わたしの抱えていた問題は、もっと大きく複雑だった。だけど、出口に通じる入り口に立てたことで、止まっていた時間がやっと前に進み始めたのだ。
 わたしはベッドから起き上がり、時間を確認するためにドアの方向へ視線を向けた。7時11分。起床の合図である鐘の音がするまで、あと19分。そういえば、父親はあの後、どうしたのだろう?わたしが気を失った後、どうしたのだろう?ここには宿泊設備はないし、辺鄙な山奥にある施設なので近隣にホテルなんてものもない。今日だったら、笑いながらミにはシャープのないことを教えてあげられるのに。あとで、施設のスタッフに尋ねてみよう。
「あれ?」
昨日、折れてしまったはずの木板のピアノが、ベッド脇の小さなテーブルに立てかけられていた。凛々しく瑞々しい立ち姿は、羽を休める渡り鳥のようだった。そっと手をやり、膝の上に乗せた。ちょうど真ん中に位置するミのシャープを中心に一直線に継がれた跡がある。外科手術を受けた背中みたいで痛々しかったが、逆に新しい命を吹き込まれたようにも見えた。目を閉じ、一番低い音から高い音まで人差し指で撫でてみた。
「聴こえる・・・ちゃんと響く。」
わたし自身が変調をきたし始めたときから、ピアノの弦は巻き上げられ続けた。きりきりに引っ張られた弦がさらに巻かれるときの音は今でも忘れることが出来ない。暴走しっぱなしのジェットエンジン。限界まで巻き上げられて弾け跳んだ弦は、永遠にほどくことができそうもないくらいにからまってしまっていた。そんなピアノに昨晩、どんな魔法がかけられたのだろう。誰が、魔法をかけたのだろう。弦が切れ、真っ二つに折れた木板のピアノ・・・どこまでも高く深く響く音色は、小さな頃から聴いているあの音と何一つ変わってなかった。
 窓の下に備え付けられた棚の上に木板のピアノを置いてみた。小さな窓から朝の柔らかい光が注がれる。木板のピアノとわたしは、久しぶりに穏やかな呼吸を交わした。大きく伸びをしたまま、両指の準備運動を2度3度繰り返しながら、何から弾き始めようかと思いを巡らせた。そうだ、あの曲を弾いてみよう。とても難解で技巧的だから敬遠されがちだけど、わたしにとっては永遠の課題曲。水彩絵具で心の深層を描くと、きっとこんな感じなのだろうと思われる神秘的な曲。
 久しぶりに弾くにはちょっとばかりミスチョイスだったみたいで、なかなか指がついてきてくれなかった。だけど、ミスタッチさえも嬉しかった。木板のピアノの音との再会が何より嬉しかったから。 止まっていた時間が動き出し、その時間を忘れてピアノを弾き続けた。
 食事も水も摂らずにひとしきり弾いた後、ボンドとパテで修繕された痕を確かめた。色々な角度から見たり、軽く叩いてみたり、擦ってみたり、匂ってみたり。なんとなく、父親の仕業でないような気がした、なんとなく、なんとなく。その時、椅子から立つ気配を背中に感じた。主治医のM先生の背中。いつからか、M先生が部屋に入ってきていたようだ。わたしが木板のピアノを弾くのをずっと聴いていたのだろうか?
 M先生は、ドア脇にかけられているノートに手をやり、胸ポケットから取り出したペンで何かを書いた。わたしの方をちらりと照れたように見てから控えめに右手を上げて合図、そのままM先生の癖である髪の毛をクシャクシャとかき回して、部屋から出て行った。カチャ。M先生のメッセージが書かれたノートは小さくゆっくり揺れている。ユラユラユラリ。わたしは、ノートの振幅に歩調を合わせて、ゆっくり近づいた。ノートを開き、小さく丁寧に書かれているはずのM先生のメッセージを探す。

(気持ちの良い朝のスタートをありがとう。【スクリャービン・ピアノ・ソナタ第7番・白ミサ】かな?間違っていたら、ごめんなさい。)

 驚いた・・・その通りだった。ロシア人のスクリャービンが作曲した難解な宗教曲であるこの楽曲を知っていることも驚いたが、木板のピアノで弾いたものを聴き取れる人がいたことに、もっと驚いた。わたしは、こう返事を書いた。

(びっくりしました。その通りです。わたしにとって、この曲をマスターすることがピアノをする上で目標の一つだったのです。今日は、全然駄目でしたけど。)

 その日以来、ノートを介してのM先生との会話は、ピアノや音楽の話題ばかりになった。M先生は、オーディオマニアだった。オーディオ好きな人の音楽嗜好は、クラシックかジャズに向くことがほとんどらしく、M先生は前者とのこと。スクリャービンによる楽曲はピアニストによって解釈が多様で、各ピアニストのものを聴き比べるのが楽しいそうだ。

(スクリャービンは、わたしにとって永遠に与え続けられる課題曲のようなものです。)

(それは分かるような気がします。僕は、ピアノを弾けないのですが、聴くのは大好きです。その中でも、スクリャービンの楽曲が録音されたものを聴くのは特に好きです。同じ楽曲でも、ピアニストによって全く違うものになっているからです。)

(スクリャービンの曲は、何も考えずに楽譜どおりに弾くと、とても退屈な曲が多いような気がします。音数が多く、展開も複雑で技術的に難解な曲が多いのですが、それ以上に、楽曲の中に込められた意味や想いがとても深い場所に埋まっているのです。)

(なるほど、それでピアニストごとに違う楽曲のようになっているのですね。うんうん、おもしろい話をありがとう。)

(いえ、わたしが勝手に思っているだけのことですから、スクリャービンからすれば不正解なことかもしれませんよ。)

(解釈すべき大きな余白があるということは、僕にとってとても興味深いことです。そこに向き合うことはつまり、自分と向き合うことなのです。僕がスクリャービンの楽曲が好きな理由は、そこだったのかもしれません。スクリャービンの楽曲自体というより、それを弾いているピアニストの真の姿を感じられるから好きなのかもしれません。)

(それにしても、木板のピアノで弾いたものの曲名が分かりましたね。)

(余白が多い楽曲だからでしょうか?音が聴こえたというより、イメージが伝わってきたのです。)

(どんなイメージなのか、よかったら教えていただけますか?)

(   “YES”   )

 わたしは、ここを出てもやっていけるような気がした。

 “YES”が書き込まれた翌日、父親が面会にやって来た。木板のピアノを折ってしまって3ヶ月が経っていた。木板のピアノが修復を施されて、わたしの手許にあることは知っていたようで、何度も何度も謝った。わたしたちは、ここの談話室でのみ会話が許される。
「ごめんな。本当にごめん。お父さん、どうかしていたんだよ、あの時。木板のピアノのせいじゃなくて、お父さんのせいなのに・・・ピアノを憎んでしまったんだなぁ。本当にごめんな。」
「お父さんのせいじゃないよ。うまく言えないけど、誰のせいでもないの。多分、もうしばらくしたら、わたし、大丈夫になるような気がする。今ね、わたし毎日、弾いているの。久しぶりよ、ピアノを弾くことがこんなに楽しいのは。」
「そうか、それはよかった。退所したら、ゆっくり聴かせてほしいな。」
「もちろんよ。それと、先生、聴こえるのよ、木板のピアノの音が。」
父親の横に座っている先生は、いつもの癖・・・髪の毛をクシャクシャとかき回しながら言った。
「とても癒されています。とても、すばらしい。とても、とても、とても感動させてもらっています。」
父親は、席を立ち、直立不動のまま
「ありがとうございます。先生には、どれだけの言葉を重ねても足りません。本当にありがとうございます。なんでも、木板のピアノを修復してくれたのも、先生とのことで。粗末なものですが、わたくしと娘を結ぶ絆のようなものと申しますか、まあ、そういった類の大切なものでございまして。それをあんな風に壊してしまいまして・・・先生は、散らばった木片のどんなに小さなものまで集めてくださり、修復してくれたとのことで・・・本当にありがとうございます。娘が退所しましたら、あらためてお礼にお伺いしたいと思っていたところなんです。いえ、先生さえご迷惑でなければなのですが・・・。」
早口にまくしたてた。多分、自分で何を言っているのか分からなくなってしまったのだろう。やっと、退所した患者がまた押しかけてきたら、先生だって迷惑でしょうに。
先生も席を立ち、髪の毛をクシャクシャとかき回す。片手だけで飽き足らず、両手を使ってかき回す。
「いや、あの、その・・・とんでもないです。とんでもないです。木片をすべて集めたのは、まあ、職業柄と申しますか、すべてのパーツを揃えていって、パチパチ嵌め込んでいくと申しますか・・・こう・・・失われたものを拾い集めていけば、必ず元通りになるものですから。好きなんです、そういうのが。」
そして、何を思ったか、先生はテーブルを半周してわたしの横にやって来た。わたしの顔をじっと見てから、意を決したように父親の方に向き直り、こう言った。
「甚だ失礼で、非常識なのを承知で言わせていただきます。お嬢さんと、お付き合いさせてください。あ、あ、あのよければ、結婚を前提にお付き合いさせてください。」
ガバッと頭を下げる。
 何が何だか分からないとは、このことだ。こういう施設で、患者が先生のことを好きになるのはよくあるらしいけど、逆のパターンはあまり聞かない。何よりも、わたしと先生は付き合っているわけでないし、先生からそんな話をされたことも一度もない。わたしは、つま先まで真っ赤になっていくのが分かった。
「よろしくお願いします。」
 今度は、父親がガバッと頭を下げた。そして、先生は何も言わずにわたしに向かって、ガバット頭を下げた。
 本当に何が何だか分かりません!わたしもガバット頭を下げてしまった。

 4ヶ月後、わたしはその施設を退所した。
 12時の部屋からスタートし、時計回りに反時計回りに各部屋を2年間移動し続け、8時の部屋で退所した。
 施設から最寄のバス停までゆっくり歩いて30分。わたしは、M先生と歩いた。
「先生、ここではもう声に出してお話してもいいのですか?」
「もちろん。退所したのだから、何一つ制約はありません。なんなら24時間話し続けても大丈夫です。」
とは言うものの、それからわたしたちは無言で山を下りた。話したいことはある。聞きたいこともある。答えたいこともある。
 4ヶ月前の告白というか、プロポーズは、あの日以来、宙に浮いたままだった。備え付けのノートで尋ねてみようかと何度も思ったけど、結局出来ずじまい・・・ノートは他の誰かが見ることになるはずだから。ドクターと患者のラインを超えることの善し悪しの問題もあるし、先生の立場の問題もある。そして、何よりも恥ずかしい。暗号めいたもので書かれているかもしれないと思い、M先生の書いたものを色々な方向から読み解いてみたりもした。しかし、すべてが徒労に終わった。
 わたしたちは、ほとんど人が通ることのないだろう舗装された細い山道を無言で歩き続けた。両脇には、満開の山桜が延々と続く。時折強く吹く春の風は、柔らかな陽光を背景に花びらを遠くに運んでいった。そう言えば、入所したときもちょうど今の時期だったはずだ。
「先生、わたしがここに来たとき、この桜はどうだったんですか?」
「どうって、どういうことでしょうか?」
「わたし・・・ここに来たときの前後の記憶が全くないんです。」
「そうですか。2年前の同じ時期に僕と一緒に歩いているはずです。」
「歩いているはずって、変ですよ。なんか、先生まで記憶を無くしているみたい。」
「ははは・・・そうです。2年前のこの時期の記憶がないのです。」
「おっしゃっている意味が分かりません。」
「・・・僕は、今日まで9時の部屋にいました。そして、今日から8時の部屋に移動するはずです。」
「8時に部屋って・・・わたしがいた部屋のことですか?」
「そうです。今朝、荷物をまとめて出発してきた部屋です。」
「・・・もしかして、先生は・・・。」
「そうです。僕も失ってしまった人間です。ただ、医者の資格は持っています。専門も、人間の心に関連するものです。」
「つまり、先生は、患者であって医者でもあると?」
「そうです。最初は、患者として入所しました。だけど、入所してしばらくすると、施設長に呼ばれて、こう言われたのです。『人手が足りていないから、ケアの手伝いをして欲しい』と。」
「不思議な話ですね。」
「不思議というより、変てこな話です。ケアされるべき人間にケアをしろというのですから。」
「でも、わたしにとって先生は先生でした。失った人であることなんて、微塵も感じませんでした。」
「ありがとう。たった一人の患者から、そう言ってもらえるとうれしいです。」
「となると、先生は今日からどうするのですか?」
「どうするのでしょうね。施設に戻り、荷物を8時の部屋に移動する。それから後のことは、主治医が考えてくれるでしょう。」
「主治医がいるのですか?」
「はい、一応います。いるというか、僕自身が主治医です。」
「不思議な話ですね。」
「不思議というより、変てこな話です。」
 山を降りきると、T字路につきあたる。そこを右に折れて100歩ほどでバス停に到着した。時刻表を確認すると、ちょうど15分後にバスは到着するようだ。一日4便だけやって来るバスの3便目。
 あと15分すると、わたしは今までいた場所から切り離される。先生は、その場所に残る。この2年間を締めくくるはずの15分間、わたしたちは無言で並んでいるだけだった。ドラマチックな転換も結末もなく、きっかり15分でバスはやってきた。
 プシュー。エアーの吐き出される音と共に、バスの乗降ドアが開く。わたしは、右手にピアノ、左手にボストンバッグを抱えてタラップに足をかけ、ゆっくりと上り振りかえる。先生は、両手で頭をくしゃくしゃとかき回している。
「ありがとうございました、先生。」
「いえ、こちらこそ・・・って、なんか変だな、ハハハ。」
「また来ます。」
「いや、ここはもう来るところではありません。」
「でも、来ます。」
「いや、それは主治医として困ったりもするわけです。」
「だって・・・。」
「あと、半年待ってください。僕もけりをつけますから。」
「・・・待ってていいのですか?」
「はい。ぜひに・・・YES・・・です。」
そう言うと、両腕をまっすぐ空に向けて掲げピースサインをわたしに送った。かっこ良く・・・はなかった。かっこ良くはなかったけど、信じてもいいのだと確信出来た。わたしは、ピアノと荷物を抱えたまま胸の前でダブルピースを先生に送った。
「YES!」

 半年を2ヶ月だけ過ぎたけど、M先生は約束どおり退所してきた。退所してくるまでの8ヶ月間、わたしはスクリャービンを弾き続けた。M先生の言うところの解釈すべき余白を一つ一つ紐解きながら8ヶ月を過ごした。そして、自分なりの解答を得た。
“余白の中には何もない。雲ひとつない青空みたいなものだ”
 気がついてしまえば当たり前のことなんだけど、余白に込められた意味を探そうとすればするほど深みにはまる。そこは意味を探すところでなく、自己を投影出来る場所であり、自由に泳ぐべきところなのだ。スクリャービンは、壮絶に複雑なキータッチを強いれば強いるほど、演者は無心になれはずだと思って、ピアノ・ソナタ第7番・白ミサを作ったのではないだろうかとも思う。
 余白は余白のままにしておくことが、失わないことなのだ。

 M先生の退所から半年後、わたしたちは入籍した。若い紫陽花の花が梅雨空から降る雨音をはじく路地・・・一本の傘を高く掲げて歩いて行った。頭をくしゃくしゃするのを我慢するために、左手で右手をがしりと押さえながら言ってくれたプロポーズの言葉は、内緒。
 もうすぐM先生が仕事から帰ってくる。今日は、はじめての結婚記念日だ。キッチンからは、ビーフシチューを煮込んでいる鍋のグツグツ音が、幸せなリズムを刻んでいる。わたしは、その音を聴きながら、木板のピアノを弾く。
 夕暮れ時のしとやかな空気は、ゆったりとわたしとM先生だけの時間を繋ごうとしてくれている。