いつもどおり仕事を終え、やっとローンを払い終えた車に乗って妻の待つ自宅へ帰った。
同棲時代を含めて、8年目を迎えた僕らにとって、今日はささやかな記念日だ。8年前の今日、僕らはここで生活を始めた日。そのささやかな記念日のためのささやかな花束が助手席に鎮座している。自宅では、妻がパスタをつくる準備をしているはずだ。はじめて僕らの家で作ったミニトマトだけでつくるパスタだ。
2LDKの賃貸マンションの玄関を開けようと鍵を差し込んだとき、わずかながらはっきりチリチリとした違和感を感じた。それは、靴を脱ぎ、リビングに向かう3歩歩けば次のドアが待つ短い廊下を進むうちに熱を帯びたように増していく。
「おかえりなさい。」
リビングには黒ぶちの眼鏡をかけた知らない女性がいた。
「あ、ただいま…え…あ、あの僕の妻は…。」
「わたしです。」
ちがう。僕の妻じゃない。目の前にいるのは、知らない女性だ。
「ち、ちょっと待って。うーん…やっぱり違う。あなたは僕の妻じゃない。」
僕はリビングの入り口で立ちつくしたまま言った。悪い冗談だ。夢だ。
「あれ?もしかして知らなかった?300年に一度のリセット法案。」
リセット法案?知る?知らない?何?僕の目の前にいる女性は、少しだけ困った顔をしたまま立ち上がった。そして、彼女は隣の部屋に行き、僕の妻がいつも使っていた携帯用の鏡を僕に手渡した。
「その鏡で自分を見て。」
言われるままに鏡を見た。僕の知らない男が僕をじっと見ていた。