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九州の南端に近い海沿いの町、1984年の春と夏に僕と彼女はそれぞれ生まれた。

この町の西側はすべて海で、その海沿いをそっと指で撫でたような南北に長い形をしている。

僕はその南端、彼女はその北端に生まれ、今朝までの3年間は、そのど真ん中で一緒に暮らした。

そして、町の真ん中を走る1本の道以外に、道と呼べるものはない。

南北に4キロメートル、東西はもっとも長いところで、33メートルしかないからだ。

町の南端と北端は岬になっていて、西側はすべて海。南北を結ぶ道の東側に沿って、僕らが住むアパートをはじめ、小さなコンビニやレンタルCDショップ、一応すべての科が揃う診療所や床屋さん、郵便局や洋服屋、ハンバーガーショップまである。

高望みしなければ、それなりに生活していくのには十分な環境が揃っている。ひとつのことをのぞいて。

僕らの住む町にないもの、それは、『移動の自由』だ。

僕らは、この町から出て行ってはいけない。隣町にさえ行けない。

理由は、僕らの特異体質だ。僕らは姿かたちは何も特異的なものはないけれど、どうも脳の機能に特徴があるらしい。

未来が見えるのだ。身体の周囲10メートルの未来。

5年後、10年後、100年後、1000年後。


昨晩、いつものようにささやかだけど心地よい夕食を一緒に食べてから、いつものように彼女が食器を洗い、僕がタオルで拭いていると彼女が言った。

「明日、ここを出ない?」

「ここを出てどうする?」

「どうするのかな。分からないわ。だけど、ここにいちゃだめなような気がする。」

「でも、ここを出るともっとだめになるかもしれないよ。」

「多分、そうだよね。」

「そう多分。」


出て行くとどうなるか。僕らを含めて町に住んでいる人々約250人は知っている。

気が狂って死ぬのだ。他の土地の未来を見ると、気が狂って死ぬのだ。どうやら、未来に希望はないらしい。希望どころか、絶望の遥か上、果てしない悲しみがそこにあるということだ。

そうやって、僕らの友人、知人数名が亡くなった。

お通夜の晩は、いつも二人で出掛けて、歩いて帰った。死んでしまった知人も、僕らも無言のまま帰るだけだった。

亡くなった人々は、決まって安らかな表情をしていた。身体中の涙をすべて出し切ったようにすっきりとした顔をして死んでいくのだ。

果てしない悲しみの先には、安らぎが待っているということなのか。


「どうして出ていくの?ここを。」

「ここにいると、ずっとこのままでいられて、ここを出ると気が狂って死んでしまう。それは分かっているの。」

「死んでしまっていいの?」

「よく分からない。死んだことないから、分からない…なんてね。本当は死ぬのは怖いよ。怖いけど、ここは何もない場所なんだと最近、つくづく思うようになったの。何もないから、何も起こらない。何も起こらないことは今のわたしには耐えられないの。あなたがいて、わたしがいて、友達がいて、朝が来て夜がくる。それはとてもわたしにとって大切なことで、かけがえのないものだけど、その中心にいるわたし自身が空っぽなの。どうしてなのかずっと考えていたけど、ここにいては何も分からないわ。ここは、何も起こらないから。」

この町には、本当に何もない。希望から絶望まで。漫然と毎日を送るだけだ。微笑まじりの退屈しかない。彼女の言うことは、とても理解できた。

「で、どうやって出るの?この町を。」

「バスに乗っていくわ。」

この町を走るバスには2種類ある。ひとつは、南北に海沿いを走る道を一日15往復する通称『黄バス』。もうひとつは、外部から働きにやってくる人々用の『赤バス』。彼女は、この『赤バス』に乗り込むつもりだ。僕らこの町の住民が、この『赤バス』に乗るにあたり、制約は何もない。この町を隣町の間にゲートがあるわけでもなく、監視員もいない。ただ、出て行くと生きて帰ることが出来ない恐怖感だけが、僕らをこの町に縛り付けているだけなのだ。『赤バス』に乗って来て帰って行く他の土地の人々は、いつも決まっている。ちょうど15人だ。彼らは、僕らの特異な体質のことを知っている。この町から出て行った人がどうなったかも知っている。そういった人々が乗る『赤バス』に乗って、彼女はこの町を出て行こうとしている。出て行きたい気持ちはなんとなく分かる。分かるような気がする。いや、分かっているのだろうか。分かっていないような気もする。

この町に生まれ、この町に住むということは、あらゆることを受け入れるしかない。許容できずは死あるのみなのだ。

「でもね…。」

「ん?」

「わたし、ここに帰ってくるのよ。」

「……。」

「そんな顔しないで。ここを出て行った人たちがどうなったかも知っているし、あなたが今、何を考えているかも分かっているつもり。でも、わたしは帰ってくるの。あさっての朝には。1泊2日の隣町へのひとり弾丸ツアー。」

「ごめん。正直なところ、そう思えないんだ。そう願うけど、そう思えない。」

「うまく言えないけど、帰ってきて明後日の晩は一緒に食事するの。そして、次の日も、また次の日も一緒に食事をする。ずっとずっとずっと。」

彼女はポロポロと泣き始めた。

「わたしね…わたしやあなたやこの町の本当のことを知りたいの。この町から出た人が気が狂って死んでしまったことは、小さい頃から何度も何度も聞いたし、物心ついてからは、何度かそうやって死んでしまった人のお葬式にも出たでしょ。だけど、目の前で誰か死んだ?いつも、いつの間にか誰かが死んでいて、未来を見て気が狂って死んだんだって言われて。なんか、最近、それって本当なのかな。」

そういえばそうだ。もしかすると、壮大な都市伝説のようなものかもしれない。だからと言って彼女がそれを確かめる必要はどこにもないと思うけど。でも、この町で生まれ、この町で生活しているとすべてを受け入れるようになってしまうのだ。たとえ、最愛の女性が死に行くとしても。

明日、彼女はバスに乗って行く。

僕は待つ。

待つのだ。