jla64


 色々な人がいるもんだと思う。

 傘泥棒を自負してやまない友人がいた。

 入学して7年目になる僕が通う地方にある国立大学の寮での話である。

「そんなに傘ばかり集めてどうするの。」

「自分でもよく分からないんだよ。はじめは傘って防水性があるからなのか、生地の色に惹かれて集めるようになったのかな。決して鮮やかな発色をしてないんだよね、傘は。すごく人工的というか…オーガニックな発色とは対極にあるでしょ。ひやっとした感じが好きだった。」

「だったいうことは、今はそうじゃないの。」

「多分。というのは、集め始めた当時は、傘の生地を見ると世の中の音がすべてなくなってしまうような陶酔感があったんだけど、だんだんノイズが混じってきた。冗談みたいな話だけどさ、カサカサというノイズが聴こえてきはじめた。傘がカサカサなんて音をたてると笑うよね。あはは。」

「じゃあ、今はその陶酔感はないんだ。」

「そうそう、ないない。むしろ、気持ち悪くなるくらい。身体の中にたくさんの虫が這い回っているような感じがする音だから。」

 彼は決して変人ではない。病んでもいないと思う。むしろ、僕の周囲にいる人々の中では、もっとも地方にいる大学生という存在をイメージした時にぴたりとはまる目立たないステレオタイプな部類の人間だ。傘泥棒であることを除いては。

 

 過去10年間で最大の台風がやってきた。風が寮自体が大きく揺れ、窓から見える木々は、満員電車でぎゅうぎゅうに詰められた人間が発車と同時に傾いたように、同じ角度を保っていた。午後1時30分。その台風の中心が通過中なのだろうか。ぴたりと風がやんだ。不気味なくらい静かな午後だ。僕の部屋をノックする人がいる。ドアを開けると、彼がいた。

「全部の傘をグラウンドに広げたいんだ。手伝ってくれないかな。」


 唐突な彼の願いを僕は快諾した。理由は、ただ面白そうだから。あと1時間もしないうちにまた暴風域に入ってしまうだろう。いや、30分かもしれない。台風で吹き飛ばされるであろう傘がどこへ撒き散らされようと知ったこっちゃない。寮独特の縦社会を使って、後輩たち5人も援軍として参加させることにした。


 総勢7人で僕らはひたすら傘をグランドに広げていく。ラグビー部専用のグランドとして使われているその場所は、殴りつけるように降り続いた雨によって、東から西に向かって、幅2メートル平均ほどの川が出来ていた。現在の傘の持ち主である彼の提案で、その川に沿って傘を並べることにした。総本数1211本。ぴたりと止んだ風の中、次々と傘が並べられていく。運河沿いに咲くチューリップのようだ。


おいらは傘泥棒

傘泥棒になんかなりたくなったのに

夢中にさせたお前が悪いのさ

おいらは傘泥棒


 へんてこりんな歌を後輩が作り、僕らは大合唱しながら傘を並べ続けた。すべての傘を並べるのに要した時間は10分ちょっと。案外、あっけないものだ。そのまま、寮へ戻り、壁際にある非常階段を上って、グランドを見下ろせる屋上に上がった。屋上に上がると、誰もが黙りこくってしまった。少しずつ風が出てきた。屋上から見える傘たちは、左右に少しずつ動く。静かな音楽に合わせて、頭を揺らすように。 

 突然、すぐ近くに落雷した。どうやら、グラウンドにラグビー部のポールに落ちたようだ。バッキーンと音がしたかと思うと、バリバリバリとグラウンドを流れる川沿いに電流が走るのが見えた。強く青白い流れが川を伝い、その流れにはじかれるように傘たちは、その身を起こす。そして、その直後にどこからも流れてきていないその場で生まれたに違いない爆風がグラウンドにたたきつけられ頭をもたげた。傘という傘はすべて、その風に飛び乗ったようだ。川に沿ってものすごいスピードで移動した後、グラウンドの半分くらいをぐるぐると回りながら、鉛のような空を色とりどりに染めて舞い上がっていく。垂直方向にどこまでもどこまでも上昇を続ける傘を、僕らは眼に入る雨粒を気にすることもなく見続けた。

 傘たちは、何かに導かれるようにどんよりとした雲の中にぽっかり開いた青い空に吸い込まれていく。たしかどこかで見た光景だ。どこだろう、どこだろう。そうだ、中学生時代に見た性教育ビデオのあれだ。精子が卵子に向かって護送船団形で向かっていたあれだ。なんか、おかしくて悲しいや。まるで僕たちだ、あいつらは。あはははは。

 そして、すべての傘たちは空に飲み込まれてしまった。ごーごーと鳴り続ける風と、かなぐり捨てるように降り続く雨。僕らは歌いに歌った。


おいらは傘泥棒

傘泥棒になんかなりたくなったのに

夢中にさせたお前が悪いのさ

おいらは傘泥棒