僕の小学生のときの不思議な体験を書く。
 とにかく授業を聞くのがつまらなくて、窓の外を見ているか、黒板の右斜め上にかかっていた時計を見て一日をやりすごしていた。小学校は、工業地帯のど真ん中にあって、窓の外から見えるのは工場の煙突群。今から30年くらい前のことだから、時代は“イケイケドンドン”。環境問題を語るなかれとそびえ建つ煙突からは、モクモクと煙が空に向かって伸びていた。
 実は、この煙をある程度なら操ることが出来た。どういうことかと言うと、心の中で「右へ」と強く念じれば煙は右にたなびき、「左へ」と念じれば左に向かっ た。そのうち、S字を描いたり、点線状に煙を分断したりと少し複雑なことも出来るようになった。ただ、特別な訓練を受けることなく出来るようになったことなので、僕は、他の誰も出来ることだと思っていた。だから、無邪気にそのことをある日の給食時間に周囲の友達に話した。もちろん、そんなことは誰も出来ない。そして、信じてもらえない。だから、僕は実演してみせた。右に左に煙を動かした。僕は一瞬にしてヒーローになった。担任の先生を含めてみんな僕のまわりに集まっていた。その興奮状態はクラス中を包み、昼休みを越え5時間目になっても収まることがなかった。すると担任が急に怒り出した。
「授業中は静かにしなさい。お前もみんなに迷惑をかけるような変なことをやめろ。」
 少なからず、僕はショックだった。昼休みまでは、担任さえも一緒に喜んでいたのに。急に怒られたこと、変なことと言われたこと…僕は自分が悪いことをしたとはどうしても思えなかった。だけど、先生に怒られた。どうして怒られたのか?いくら考えても分からなかった。それは、級友たちも同じ思いだったのだろう。担任がちょっと注意したくらいでは、ヒートアップした教室の状態はいつものようにならなかった。そして、担任は一番騒いでいた友達を平手で叩いた。ややヒットしなかった平手打ち特有の鈍い音とともに、教室の中は音一つなくなった。担任は、その静かになった教室の中で、再開した。
 もちろん僕は煙突の煙を操ることを中断した。ただ、頭の中はあることで一杯だった。
「ここから、この時間から逃げ出したい。」
 そのことだけが頭の中をぐるぐる周り続け、そしてもう一つの過ごし方である時計をじっと見つめていた。すると、また不思議なことが起きた。
 秒針が5秒分戻ったのだ。それだけでなく、担任が5秒前に発した言葉をもう一度言ったのだ。「これ大事だぞ。」と。
 このことをみんなに確かめるべきか否か…当時の僕は、僕なりにすごく考えた。その結果、誰にも言わないことにした。また怒られるかもしれないから。

 そして、それから30年近くたって今の僕がいる。あれは何だったのだろう。確かに言えることは、起きたことが真実だということ。とすれば、今の僕は、もともと5秒先を生きていた存在だったのだ。だからと言って、特に不都合なこともこれまでは経験しなかったし、多分これからもそうだろう。
 だけど、何かのきっかけで、ある瞬間に元の世界…5秒先の世界に戻されるかもしれない。もしもそうなるのだった、たった5秒だけど、僕には空白の5秒が出来るわけだ。時間は、平等ではない。失えば、取り返しのつかない5秒間というのもあるはずだ。出来れば今の僕が生活しているこの時間軸のまま、僕は僕であり続けたい。だから、僕はその瞬間瞬間を楽しんだり、悲しんだりする中でそれらを受け入れることだけは忘れないようにしている。間違っても
「ここから逃げ出したい」
と念じないようにしている。